この星に仇なす者(3)
ヤポニアでは、一般人による銃の所持は固く禁止されている。そのせいもあって、フミオには拳銃に対する知識が不足していた。イスナの手に握られていたものがそれだと判ったのは、引き金が引かれた後のことだった。
サトミが防御壁を張って。
それを貫通して銃弾がすぐそこにまで迫って。
まるで、出来の悪いスローモーションだ。
一秒にも満たない時間が、永遠にも感じられたその終わりに。
「積層防壁!」
懐かしい声と共に、フミオの身体は後ろに押しやられた。
銃弾とフミオの間に、何重にも重ねられた魔術の防御壁が構築された。その勢いに、フミオ自身が圧迫された形だ。いくら抗魔術加工が施されているとはいっても、完全に無効化される訳ではない。僅かでもその威力が減衰されるのであれば、止まるまで次の壁を用意してやるだけだ。
フミオの身体に触れる直前で、弾丸は停止した。推進力の全てを相殺されて、重力に従い地面へと落下する。きん、という固い音がフミオの耳に遅れて届いた。
「防御士かっ!」
イスナは銃を上に向けた。空から、誰かが落ちてくる。国際高空迎撃センターの制服が、風にはためいた。琥珀色の瞳が、その場にいる全員の位置と状況を把握する。
数発の銃声が轟いたが、弾は全て逸れていった。今度はさっきほど難しくない。進行方向に対して斜めに壁を作って当ててやれば、いかに抗魔術加工といえども誘導されていない弾丸の軌道を変えることなど造作もなかった。
ヤポニアの記者を守ることを使命とした防御士を、そう簡単に貫けるとは思わないことだ。トンランはフミオの眼前に着地すると、イスナを威嚇するようにして身構えた。
「トンラン! 気を付けて――」
サトミの警告が発せられる前に、イスナの眼光がトンランの身体を捉えていた。防御壁を扱う魔女が相手なら、それが効かない魔術を使うまでだ。四肢の一つでも吹き飛ばせば、それでもう集中は出来まい。
トンランは冷静だった。イスナがやろうとしていることを察すると、すぐに自分の肉体から実体の半分を別次元の位相に移し替えた。霞と化したみたいに、トンランの実像がぼやける。イスナが舌打ちし、トンランは不敵に笑った。
「ワルプルギスの防御士を舐めんなよ」
魔女たちがワルキューレの使う沸騰する血液に悩まされていたのは、もう十年も前の話だ。それの対策を何も検討しないで放置しておく程、防御士たちは抜けてはいない。この術の発動には、相手が固定された物質状態であるという条件が必要になることが判明している。それも比較的長い、連続した期間だ。
ほんの一瞬で良い。実体の整合性を、あやふやな状態にずらしておく。それだけで沸騰する血液は無効化することが可能だった。
「盾打!」
今度はトンランの番だった。目に視えない魔術の壁を作り出して、それでイスナを強打する。銃弾の数十倍の速度で飛来する宇宙の塵を防ぐ壁だ。猛烈な追突を全身に受けて、イスナは吹き飛ばされた。
「ちっ、ここまでかね」
悪態を吐いて、空中でくるりと器用に一回転する。いつの間に手にしていたのか、イスナはホウキを握っていた。そのままそれに跨って、上空へと舞い上がる。
「待ちなさい!」
間髪入れずに、サトミがイスナを追いかけた。こちらも既にホウキを準備していた。星を追う者から逃げられると思うな。不意を突かれた借りは、何倍にもして返してやる。二人はあっという間に音速を超えて、その場から姿を消した。
「フミオさん!」
トンランに声をかけられて、フミオはようやく我に返った。ついさっきまで、ここで起きていたことは何だったのだろうか。
イスナが銃を撃って。トンランが割り込んできて。
逃げたイスナをサトミが追跡している。
ぼぅっと熱に浮かされたみたいな目で、フミオはトンランを見つめた。
その時、フミオの頬に熱くて鋭い痛みが走った。トンランの掌の形に、じんじんと痺れたような感覚が広がっていく。
「しっかりして! 怪我はない?」
「あ、うん。大丈夫」
……そうだ。
フミオはイスナに命を狙われたのだ。そして、魔女たちの戦いに巻き込まれた。トンランが来てくれなければ、今頃フミオは無事では済まなかった。
ワルプルギスにいることで、フミオはどこかで安心しきっていたのかもしれなかった。魔女たちは誰もが友好的だし、ここは見ている限りにおいてあまりにも平和すぎた。この調子なら、イスナとも判り合えるのかもしれないなどと。
フミオは心の奥底で、根拠もなく楽観視してしまっていた。
だが、それは甘い考えだった。
「言ったでしょう、一人で出歩いてたら危ないって」
トンランが正しかった。ヤポニア新報の記者として活動している以上、フミオには色々なものが付いて回る。それは決して、善意と呼べるものだけとは限らなかった。
フミオがすることに、悪意と害意を持って干渉してくる者たちはそこかしこにいる。それらはフミオに対してしっかりと狙いを定めてやってくる分、無作為に飛来する塵以上に危険な存在だった。
「フミオさんの馬鹿! 馬鹿馬鹿! ……大馬鹿!」
気が付いたら、トンランは大声で泣き出していた。フミオにすがって、罵詈雑言を喚き散らしながら涙を流した。ワルプルギスに来てから、フミオはトンランに迷惑をかけっぱなしだった。この上、その使命すら果たさせずに命を落としてしまっては、合わせる顔がない。
せめて、生きていなくてはいけない。この褐色の魔女の手の届くところで、しっかりと守られて。
「ごめんよ、トンラン」
フミオはトンランを抱き締めた。こんなに細いのに、誰よりも頼もしい。トンランがいてくれたから、フミオは今こうして無事でいられる。
ヤポニアから遠く離れたこの魔女の世界で、恐らく多分――フミオが最も信じられる女性。若くて美しくて、まだどこかに幼さを残したワルプルギスの防御士。
「ありがとう」
素直な感謝の言葉に、トンランはこくりとうなずいた。
そして先程からどうしても止められなかった肩の震えが、ようやく収まってきたのを感じた。今はもっと、お互いに無事であることを喜ぶべきだ。同じようにフミオが落ち着きを取り戻してきたのを察して、トンランはやっと笑顔の作り方を思い出せそうだった。
――速い!
サトミは星を追う者候補生として、魔力にはそこそこの自信を持っていた。星を追う者に選抜されるということは、それだけで普通の魔女よりも数段優れていると判断されたのだ。特にホウキの扱いに関しては、教官のニニィですら一目置くところがあった。
それが、全速力を出しても追いつけないなんて。イスナ・アシャラというワルキューレは、星を追う者の資質を持つ魔女だ。悔しいが、その力量を認めてかからないと手痛いしっぺ返しを食らう羽目になりそうだった。
サトミが着いてくることを知ると、イスナは一度後ろを振り返り――
それから、ホウキの上にひょい、と立ち上がった。
「なっ!」
飛行制御しながら、重力制御している。ホウキの柄を中心に、母星と同等の重力が生じているのが判った。そんな高度な曲乗りは、サトミには真似出来ない。呆気にとられているサトミに向かって、イスナはそれぞれの手に持った二丁の拳銃を構えた。
そういうことか。
攻撃魔術にマナを割く代わりに、ホウキの上での行動の自由度を選んだのだ。銃弾が次から次へとサトミに襲いかかった。抗魔術加工のせいで、通常の塵以上に慎重に対処する必要がある。更に悪いことに、イスナはホウキの上で自在に姿勢を変えられるので狙いが正確だった。
横に並ぼうがどうしようが、イスナの攻撃は止まらなかった。再装填の隙を狙うしかない。弾丸がサトミの頬を掠めて、髪の毛が数本弾け飛んだ。流れ弾がワルプルギスの環境を傷付けなければ良いが。
がちん、と撃鉄が固い音を立てて空振りした。
「誘導弾!」
サトミは瞬時に集中を完了させた。標的を追跡するエネルギー弾は、攻撃魔術の基本だ。単純ではあるが、威力も性能も申し分ない。八つの光弾が、イスナ目がけて殺到した。
「誘導囮!」
イスナのホウキから、ばらばらと数本の破片が飛び散った。それらは急速に膨らんで大きくなると、ホウキに跨ったイスナの姿に変わった。散開して周囲に分かれる。誘導弾は迷うことなくそちらを追いかけた。
着弾し、派手な音と光を発して消滅する。イスナ本体は何事もなく飛び続けていた。全弾、囮に捕まってしまった。二つの銃口が、再びサトミの方に向けられる。サトミとイスナは、そのままじっとお互いの出方を窺った。
「星を追う者、今日のところはあんたをどうこうするつもりはない」
「ふざけないで!」
このワルキューレは危険だ。フミオの命を狙っただけではない。先ほどイスナが口にした言葉を、サトミは良く覚えていた。
「ヤポニアに何をするつもり?」
イスナはヤポニアで、教わって以来一度も使う機会のなかった魔術を行使すると述べていた。しかもその触媒は、非常に希少なのだそうだ。そんな魔術に、サトミは一つしか心当たりがなかった。
テロリストが喜びそうで、特殊な触媒を必要とし、ワルキューレや一部の魔女たちにしか伝承されていない秘術。
それは、まさか。
「隕石破砕……あんただって使えるんだろう?」
サトミの頭に、かっと血が昇った。隕石を砕くために用いられる隕石破砕は、究極の破壊呪文だ。それが母星の上で発動すれば、かつてない規模の災害をもたらすことになる。魔女たちが隕石の迎撃を始めてから千年余り、そんな不祥事は一度として起こしたことはなかった。
「本気で、そんなことを言っているの?」
「さあな?」
長い歴史の中で、魔女たちの中にも裏切り者がいなかった訳ではない。自らの使命に疑問を持ち、その在り方について異議を申し立てて反旗を翻した者たちはいた。
しかしどんな反逆者であっても、母星の上で隕石破砕を使おうとはしなかった。そこにいかなる理由があろうとも、母星を破壊する行為には手を染めない。それは魔女が魔女としてあるために、最後まで守るべき一線だった。
イスナ・アシャラはその禁忌を犯す、最初のワルキューレになろうとしているのか。それほどまでに魔女を憎んで、この世界を滅茶苦茶にしてやろうと願っているのか。
ならば――それは、もうただの怪物だ。魔女でも、ワルキューレでもない。この星に仇なす、気が狂った化け物だ。
サトミが魔術を発動させようと意識を集中したのを察して、イスナが銃を構え直した。あれを撃たれると厄介だ。強い魔術を行使するには、それなりに集中のための時間が必要になる。ただの銃弾なら無意識にでも打ち払えるが、抗魔術加工は想像以上に厄介だった。
それでも、大きく動きながらならそうそう当たらないはずだ。銃弾なんて、所詮は直進しかしてこない。意を決して急旋回をかけようとしたところで、イスナの背後に大きな影が現れた。
「うわっ」
慌てて回避する。イスナはそれを予見していたのか、停止してひらりとホウキから飛び降りた。
空船だ。ついこの間、国際高空迎撃センターで見た記録映像に写っていたものと同じだった。監獄衛星フレゲトンに突撃して、囚人を回収して逃走した改造船。その上に、イスナが腕を組んで仁王立ちしていた。
「ここらで帰らないと、怪我するよ、お嬢ちゃん」
馬鹿にして。
サトミは空船に突撃をかけた。隕石に比べれば、こんなものは大したことがない。通常の魔術でも充分にバラバラに分解してやれる。
そう思ったところに、無数の銃撃が浴びせられた。船内から、抗魔術加工された銃で大量に撃ってきている。イスナが持っている拳銃だけではなかったのか。サトミは急制動をかけて、空船から距離を取った。駄目だ。迂闊には近寄れない。
「必要なものはまた、後で取りに来るからさ。ヤポニアの記者さんにもよろしく言っておいてくれ。今日のところは、サラサに免じて生かしておいてやる、ってな」
空船が機敏に動いた。操っているのは、イスナの仲間のワルキューレたちだ。ワルプルギスの上空を、我が物顔で飛んでいく。追撃しようにも、サトミはマナをだいぶ消費してしまっていた。これ以上一人で深追いしたとしても、あのイスナに対抗出来るかどうか。
苦々しい想いで、サトミはイスナを乗せた空船が去っていくのを見送った。
イスナ・アシャラを乗せた空船には、ドラグーンという仮称が与えられた。フレゲトン襲撃の調査から、ドラグーンは船体の外装に抗魔術加工が施されているとみなされていた。
サトミが追跡を断念した後、通報を受けて緊急発進したパトロール及びカラドボルグ隊三番機が逃亡中のドラグーンを発見した。交戦を試みたが抗魔術加工の銃弾に苦戦し、最終的にはワルプルギスの外に取り逃がすことになった。この件に関するカラドボルグ隊隊長シャウナ・ヤテスのコメントは短く、「クソがぁ」の一言だけだった。
空船を用いて大胆不敵にも魔女たちの中枢部であるワルプルギスに乗り込んできたことは、ワルキューレのテロ行為であるとしてその日の内に大々的に公表された。ただし、ヤポニア人の新聞記者であるフミオの命が狙われた一件は、非公開情報となった。その理由は、偶発的事象である、とのことだ。それ以上の詳細は、フミオ本人にも告げられなかった。
イスナたちワルキューレの目的は、隕石破砕の触媒である。これを渡すことは、魔女たちが母星を守る上で絶対にあってはならない事態だ。国際高空迎撃センターはそう発表し、テロリストとの対決姿勢を明確にした。




