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StarChaser 星狩りの魔女  作者: NES
第4章 ワルキューレはかく語りき
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ワルキューレはかく語りき(4)

 コキュトスでの生活は、一言で表現すれば『最悪』だった。


 ワルキューレではあっても、まだ年端もいかない子供ばかりだ。それが、通常の犯罪者たちと同じ施設に入れられる。配慮、という名目で看守が付いてくれたが、そんなのは形式上のものだけだった。

 泣けば睨まれ、夜中には房の壁を蹴られ。毎日何かにおびえながら暮らしていた。不味い食事に耐え切れず吐き出す者もいたし、無重力に慣れずにぐったりとする者もいた。そして、更生と称した精神的な拷問。この気が狂いそうな世界から逃げるには、魔女たちの軍門に下るしかなかった。


 それでもイスナたち姉妹は、誰一人として魔女たちの言葉に耳を傾けなかった。目の前で仲間を無残な方法で殺されて。今こんな場所で、散々にみじめで恐ろしい仕打ちを受けて。そんな相手を、どうして信じることが出来ようか。イスナたちは、誇り高いワルキューレだ。その教えは、簡単にくつがえせるものではなかった。


「お姉ちゃん、お腹すいたよぉ」


 ただサラサがつらい目に遭うことだけは、イスナには耐えられなかった。ゴミみたいな食べ物ばかり与えられて、無重力にあえいで。怖い犯罪者たちに囲まれて、夜もロクに眠れない。サラサをこんなところに置いて、我慢をいてしまうことにイスナは胸が痛んだ。

 死んでいったサマーニャやスィタ、それに父親のことを考えれば、魔女たちに従うのはあり得ない選択肢だった。力で無理矢理にねじ伏せて、不都合な真実を全て覆い隠そうとする。こうやって捕まえたワルキューレの子供を痛めつけて、自分たちが正しかったのだと脅迫まがいに認めさせようとしている。

 そんな奴らに負けるのは、たまらなく悔しかった。ぐずぐずと言いながらも、サラサだって魔女に降参はしていない。間違っているのは、ワルプルギスの魔女だ。それだけは、疑いようのない真実だった。


「サラサ、もし我慢が出来ないなら、お姉ちゃんは――」


 サラサはもう、限界を超えている。イスナのために意地を張っているのが簡単に見て取れた。ここで折れてしまえば、サラサはイスナと離れ離れになってしまうとか。そんなことを考えていたのだろう。イスナはサラサを縛り付けるかせになんて、なりたくはなかった。イスナのせいでサラサの未来が閉ざされるなんて、あってはならない。


 ――いいよ。


 父親や、姉妹たちには恨まれるかもしれない。魔女たちはやっぱり嘘つきで、ここから出られることなんてないのかもしれない。


 でも、いいんだ。イスナは、サラサのためなら何だって出来る。サラサと同じでありたい。手を繋いでいたい。


 ここでワルキューレのことを間違いだと認めれば、サラサはワルプルギスに行ける可能性がある。そうすれば、ひょっとすると星を追う者(スターチェイサー)にだってなれるかもしれない。サラサはイスナの双子なんだから、イスナとは魔力だって近いはずなのだ。本気を出せば、その辺の魔女ごときになんて絶対に負けない。

 罪なら、一緒に背負ってあげる。そこに未来が、希望があるなら、イスナは名誉も何もいらない。たとえ自分の中にある全てを否定したって、サラサが元気でいてくれるなら、それが良い。



 イスナが、魔女への降伏を決意しようとしていたその日。

 降臨歴一〇一六年七月二六日。


 母星ははぼしに、巨大隕石『ブロンテス』が接近していた。




 夕食を終えると、後は消灯して眠るだけだった。無重力の雑居房で、イスナは膝を抱えて浮かんでいた。すぐ隣で、サラサがうつらうつらと舟を漕いでいる。今日は良く眠れるだろうか。ここでの生活ももう三年。よく耐えた方だと思った。

 イスナとサラサが根を上げれば、後はせきを切ったように残りの姉妹たちも転向するだろう。皆、限界が近付いているのが判る。最初の一人が現れるのを、じっと待っていた。

 これだけ頑張れば、誰にも責められることはないだろう。サマーニャの笑顔の記憶も、そろそろ色()せてきた。ワルキューレでなくなってしまうとしても、構わない。意地を張ったところで、得られるものは何もないのだ。


 サラサの手を、ぎゅっと握った。「お姉ちゃん?」サラサも握り返してきた。大丈夫だ。イスナには、サラサがいる。サラサの未来を犠牲にしないためには、イスナが傷付いてみせれば良い。


 それで。

 それだけで――



「緊急警報! 緊急警報! 全囚人は速やかに非常用脱出艇に退避! 職員は全セキュリティドアのロックを解除。コキュトス内の全員に避難警報発令!」



 大音量の放送と、サイレンだった。薄闇の中で、イスナとサラサは顔を見合わせた。何だ。何が起きているんだ。房の扉には、鍵がかかっていなかった。外に出てみると、他の囚人たちも状況がまるで判っていない様子だった。


「なんだぁ、避難訓練かぁ?」

「うるせぇなぁ、寝てらんねぇよ」


 おかしい。

 違和感の正体に、イスナは一瞬遅れて気が付いた。看守だ。これだけの騒ぎになっているのに、魔女が一人として姿を見せていなかった。イスナたちの房には専任の看守がいたはずなのに、そいつまでいなくなっている。


 この警報は、本物だ!


 ざわつく囚人たちを掻き分けて、イスナは急いで移動を始めた。いつもは勝手に通ることを禁じられている、外殻部に繋がる扉。それが、ちょっと押しただけで難なく開いてしまった。その先の通路にも、看守らしき人影は見られない。まずい。これは、完全に出遅れた。



 標準時一九時一〇分、星を追う者(スターチェイサー)の放った隕石破砕メテオブレイカーの魔術は、隕石『ブロンテス』を破壊することに失敗した。剥離した破片『ブロンテスB』の動向ばかりが注目されている中、本体である『ブロンテス』は大きくその軌道を変えていた。

 その進行方向は、母星ははぼしの方からは大きく外れて――


 代わりに、輪の中にある監獄衛星コキュトスを直撃するコースを取っていた。


 監獄衛星の座標はセキュリティ上の観点から、限られた魔女たちにしか知らされていない。ただでさえ『ブロンテスB』に全ての眼が注がれている中、コキュトスの異変に気付けたものは皆無に等しかった。


 コキュトスに常駐していた魔女たちは、一目散に脱出をはかった。『ブロンテス』の接近速度は、それだけ高速だった。囚人たちを避難誘導している余裕などなかった。ドアのロックを解除し、脱出艇までの経路を確保し、避難するように放送を流した。果たすべき義務は果たしたというのが、生存者たちの言い分だった。

 実際にコキュトスから生還出来た魔女は、全体の半数にも満たなかった。衝突の衝撃、飛び散った残骸。その力の激しさは、輪の中にぽっかりと何もない空間が生じたところからも容易に想像が付けられた。


 そんな状態であったため、囚人たちの生存は絶望的であるとみなされていた。



 イスナは後ろを振り返った。異変を察した囚人たちが、我先にと押し寄せ始めている。姉妹たちのところに戻るのは難しそうだ。イスナはサラサの手を、強く握り直した。


「いくよ」


 明暗は別れた。運が良ければ、生きてまた会うことが出来るだろう。今はイスナと、サラサが助かることを第一に考えなければならない。壁を蹴って、イスナは無重力の通路を進んでいった。


 食堂に入っても、重力は発生しなかった。いつもなら、ここでぺたんと足が付く。重力を作り出していた重力制御士グラビターがコキュトスを離れたのだ。だとすれば、空気や気圧だっていつまで持つか判らない。サラサの身体をぎゅっと抱いて、イスナは更に表層を目指した。

 普段は立ち入れない魔女たちのエリアに入ると、赤い警告灯が明滅していた。サイレンの音がうるさい。もうここには、魔女は一人も残っていないみたいだった。どこかに非常用の脱出艇があるはず。イスナはきょろきょろと辺りを見回した。


 マナのない魔女は、普通の人間と何一つ変わるところがない。そんな状態で真空の宇宙に放り出されれば、どうなるか。魔女たちも馬鹿ではない。こういった非常事態のために、魔力のない囚人を逃がすための脱出艇が準備されている。コキュトスに収監される際に、イスナも説明だけは受けていた。

 脱走に使えないかと調べようとしたが、脱出艇のある場所は監獄エリアからは直結していなかった。それに脱出艇で外に出たところで、ホウキで追いかけてくるパトロールからは逃げきれない。そこであきらめて、それ以上の情報収集はしていなかった。


 分厚い金属の扉が並んでいるのが見えた。気密扉、エアロックだ。あれに違いない。イスナはそちらに向かって力いっぱい床を蹴り飛ばした。


「あっ」


 サラサが何かに引っかかってバランスを崩した。離れそうになったところで、イスナは即座に手を伸ばした。てのひらを掴む。危ない危ない。


 この手だけは――絶対に離さない



 その時、轟音と衝撃がコキュトスを震わせた。



 『ブロンテス』の質量、及びその運動エネルギー量から、予測士はそれが一瞬の出来事であったと推測した。コキュトスに収監されていた囚人、八十六名。中にはあの砂の国の急襲作戦で保護された、ワルキューレの少女たちもいた。母星ははぼしに落ちるはずだった『ブロンテス』は、異なる場所にその生贄を求めた。

 マナのない魔女は、手足をもがれたも同然だ。苦しみを感じる暇も、自らの罪をかえりみる余裕も、何もない。ありとあらゆるものが粉々になって、母星ははぼしを巡るデブリの群れと一体化した。




 イスナは、自分が死んだものだと思っていた。ただ、右(てのひら)から伝わってくる温かさが、まだこの世界にイスナの命があることを告げていた。


『頑張って、お姉ちゃん』


 気密扉を開けたところで、物凄い音がした。イスナは何かに背中を押されて、その中に飛び込んだ。運が良かった。引きはがされていれば、それまでだった。エアロックは安全装置で自動的に閉じられた。良く出来ている。これを作った魔女たちには、嫌でも感謝をしておかなければならない。

 遅れて、身体中に痛みが感じられた。どうやら、本当に生きている。『ブロンテス』に蹂躙じゅうりんされても、この脱出艇はなんとか機能を保っているようだった。

 目を開けると、イスナは無重力の中を漂っていた。空気も気圧もある。マナは少ないが、ひとまずは無事みたいだ。本当ならすぐにでも脱出艇の状況を確認しなければならないが、身体が言うことを聞かない。情けないお姉ちゃんだ。イスナは苦笑した。


『ううん、お姉ちゃんは頑張ったよ』


 サラサは、いつだって優しかった。イスナを立てて、認めてくれた。イスナの、大切なもう一つの自分。サラサを守れたのなら、それで良い。イスナはサラサの手を引っ張った。



『だから――ごめんね、お姉ちゃん』



 漂ってきたのは、サラサの左(ひじ)から先だけだった。



 血が幾つもの粒になって、脱出艇の中に浮いている。重さを感じなかった。それは無重力のせいだと思っていた。だってまだ、温かい。柔らかい。

 声だって聞こえた。『頑張って』って。イスナには確かに聞こえていた。間違えるはずがない。あれは、サラサだ。


 窓の外を、沢山の残骸と死体が流れていく。そこにはきっと、逃げ遅れた姉妹たちもいる。サラサの身体だって――

 嫌だ、そんなもの、見たくない。


「うぁ……」


 イスナが何をしたんだ。

 サラサが何をしたんだ。


 この世界に産まれてきて。

 何も知らないままに厳しい訓練にさらされて。

 世界に裁きを与えるワルキューレであると告げられた。


 そんなイスナとサラサを、魔女たちは間違っていると断言した。

 そうなのか。父親の教えも、ワルキューレのことも、全部間違いだったのか。


「うぁ、うぁぁ……」


 なら、魔女たちのおこないは正しいのか。


 戦闘士グラディエーターに姉妹を殺されて。

 汚くて怖い監獄に閉じ込められて。

 誰にも助けられることなく、ゴミみたいにバラバラに分解されて散っていく。


 これが魔女たちの正義なのか。


「うぁぁああぁ……」


 戦争ばかりしている人間を助けるために隕石を砕いて。


 その破片で、サラサが死んでしまっても、構わないのか!


「うわぁああああっ!」


 イスナの激しい慟哭どうこくは、誰の耳にも届かなかった。




 コキュトス崩壊の報が国際高空迎撃センターに届けられた時、母星ははぼしではヤポニア救済作戦が展開されていた。人手は全てがそちらに回されている。監獄衛星の位置が機密であることもあって、コキュトスの生存者の探索はおざなりなものとなった。

 イスナの乗った脱出艇は、最後まで魔女たちに発見されることはなかった。内部にある一週間分の空気が持つ間、イスナはじっと救助を待っていた。息苦しさを覚えた辺りで、イスナは魔女に絶望した。自分は見捨てられたのだと悟った。


 脱出艇の噴射機構は無傷だった。それと残りわずかなマナを用いて、イスナは母星ははぼしの引力圏に脱出艇を飛び込ませた。船体は大気との摩擦で分解、焼失したが、イスナは船内にあった保護泡バブルを使用して一命を取り留めた。

 マナに満ちた、母星ははぼしの大地。足の下にその感触を確かめて、イスナは確信した。


 間違っているのは、魔女だ。


 例えそこにどんな理由があったとしても、イスナからサラサを奪ったのは魔女たちだ。その罪を、必ずつぐなわせてやる。




「手紙、ヤポニアの記者さんにね。今日の輸送便で出してよ」


 自習室の机の上に封筒を置くと、イスナは大声でそう告げた。そうやって念を押しておかないと、ここにいる魔女たちはすぐに仕事をさぼる。コキュトスもフレゲトンも一緒だ。囚人のことを同族だなんてこれっぽっちも思っていない。


「締切時間ぎりぎりだ。ご褒美時間(トークンタイム)から三十分削る」

「はいはい、もう好きにしてくれ」


 時間内の要求なのにペナルティが課されるとか、意味が判らない。イスナはさっさと自習室を後にした。すぐに光と重力が恋しくなる。せめて最後に、サラサには母星ははぼしの大気を吸わせてあげたかった。監獄衛星のマナのない空気は、常にゲロの臭いが混じっていて最低だ。魔女は呼吸するだけで生きるにあらず。コキュトスを出て、その事実をイスナは思い知った。


 監獄エリアに戻ってくると、突発的なレクリエーションの真っ最中だった。はしゃぎ過ぎた囚人数名が、看守連中から楽しい暴力風味のスキンシップを受けている。下卑げび雄叫おたけびを上げる野次馬の集団の中に、イスナは食堂で声をかけてきた顔見知りがいるのを見つけた。

 やれやれ、すっかり忘れていた。フレゲトンに二ヶ月もいると、それだけで神経がすり減ってくる。もう来ないものだとばかり思っていたが、ワルキューレは魔女と違って約束を守るのだ。その辺りの戒律は、イスナ抜きでもちゃんと徹底されているみたいで大助かりだった。


「よ、調子はどうだい?」

「もうばっちりさ。今夜辺り、大ハッスルだね」


 なるほど、全ては予定通りだった。後は折角書き上げたイスナの大作が、無事に今日の午後の便でワルプルギスに届けられることを願うばかりだ。フミオとの文通は楽しかった。ただ一つ残念なのは――



 彼の祖国ヤポニアが、いよいよ本格的に魔女友好国になろうとしてしまっていることだった。


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