ヤポニアの魔女(5)
魔女たちと魔女友好国の間では、ワルキューレの名前は恐怖の対象として良く知られていた。相手が魔女であれ普通の人間であれ、無差別な攻撃を仕掛けてくるテロリストだ。魔女の力は戦争に使ってはいけない。それは国際法にも明記されているし、有史以来魔女たちが自らに課してきた戒めでもある。
ワルキューレは国際同盟の条約に批准せず、魔女の掟にも反した無法者だった。
国際航空迎撃センターの食堂は、館内にいる全ての人間に解放されている。昼食の時間は過ぎているので、広い空間の中に人の姿はまばらだった。隅っこの方の席に陣取って、フミオは今日の取材結果のメモをまとめる作業に没頭していた。
フミオが持っている入館証なら、この食堂のような共通スペースへの出入りは自由におこなうことが出来る。後は正面ゲートから外に出て、受付に入館証を返却すれば終了だ。ルシエンヌにはエレベーターまで見送ってもらって、今はトンランが引率者の扱いだ。フミオはすっかり失念していたが、トンランも国際航空迎撃センターに所属している、正式なスタッフの一員だった。
「どう? 良い記事は書けそう?」
トンランが熱いコーヒーを持ってきてくれた。この食堂は一日中いつでも、休憩や打ち合わせに使用出来るとのことだった。お菓子や文房具、生理用品まで扱っている売店まである。正に至れり尽くせりだ。ヤポニアの会社で、こんな立派な福利厚生を実現しているオフィスはないだろう。ヤポニア新報の本社ビルなんて、汚くて散らかっている以外には何の特徴もなかった。
「なんかもう、今日一日で色々ありすぎて困っているよ」
フミオは持っていたペンを置くと、目頭を押さえて溜め息を吐いた。
最先端の科学技術に溢れ返っていて、ヤポニアで考えられた夢みたいな発明の実現すらも成し遂げている国際航空迎撃センター。
そのロビーには大国も小国も関係なく数多くの国々の外交官が一同に会していて、隕石の極大期の訪れへの対応を協議している。
ヤポニア出身の星を追う者サトミ・フジサキは美しい優等生で、模擬戦では単独でゲイボルグ隊三機を撃破してみせた。
そして今後ヤポニアが魔女友好国となることで影響を及ぼしてくることがあるかもしれないテロリスト、ワルキューレの存在。
眩暈がしてきそうなほどに、ここにはフミオを含めた母星に住むヤポニア人の知らないことが山と積まれていた。
その中で、現在のところ情報が不足しているものはどれだろうか。向かいに腰を下ろしたトンランの方に、フミオは視線を向けた。コーヒーの他に、ちゃっかりとチーズケーキを買ってきている。それはひょっとして、フミオの取材経費から落ちているのか。満面の笑顔で、トンランはケーキを頬張っていた。
「ワルキューレって、どういう集団なんだ?」
魔女同士での戦いも辞さない、人類の敵対者。『排魔女』を謳っていたヤポニアには、これまで縁のなかった相手だ。外国のニュースとして取り上げることはあったが、それにはやはりどこか他人事という感覚があった。魔女に対して積極的な友好政策を取っていくのなら、これからのヤポニアはそいつらと真剣に向き合う必要がある。民間人の間でも、その意識を高めておく必要はありそうだった。
「うーん、平たく言っちゃえば、人を殺したりして、母星に混乱をもたらす魔女、かな?」
トンランの説明によると、ワルキューレというのはまとまった一つの団体の名称ではなく、魔女の掟に反した行為に手を染めている一連の主義者たちのことである――とのことだった。
その起源は古くて、魔女たちが星を追う者を組織して隕石の迎撃を始めた、降臨歴元年の辺りにまで遡る。トンランはその辺りの歴史には詳しくはないが、兄弟星の崩壊にも何らかの関わりがあると目されているのだそうだ。だとすれば、魔女たちは実際に惑星を破壊した実績もあるというのか。
「そいつらは、隕石破砕を使うのか?」
「いやいや、それがあるならとっくに大事になってるって。基本的には小競り合いばっかり」
隕石破砕の魔術は、国際航空迎撃センターの中でも星を追う者だけが扱う秘術だ。その詳細は、門外不出の極秘事項とされている。また、その発動には特殊な触媒を用いる必要があった。隕石破砕の触媒は、国際航空迎撃センターの中で厳重に保管されている。関係者以外には、その所在ですら明らかにされていなかった。
ワルキューレは実際には極めて少数であり、まとまった組織活動をおこなっている者たちはほとんどいないと予測されていた。ワルプルギスの魔女たちに、正面から直接攻勢をかけてくるようなことはしないからだ。ワルキューレは主に人間のテロリストに加担して市街地で破壊活動をおこなったり、極大期の隕石対応作戦に対して妨害行為を仕掛けてきたりする。殊に、魔女友好国がその標的とされやすい傾向にあった。
潜伏しているワルキューレは、発見され次第魔女たちによってその身柄を拘束されていた。魔女に対抗できるのは、魔女だけだ。魔女を相手にした場合の専門の戦闘訓練を受けているのが、戦闘士だ。
戦闘士は一切の戦争行為を否定する魔女の世界において、唯一の完全な対人戦闘要員だった。魔女は本来、人間を傷付けることを是としない。それ故に、戦闘士の認定数は厳しく制限されていた。
また、戦闘士の派遣や配置に関しては、各国の外交官との綿密な交渉が必要な項目だった。母星で起きている戦闘状況に介入しないという条約を、明示的に締結しておく必要があるからだ。魔女を相手にするということは、人間を相手にできるということでもある。戦闘のプロフェッショナルである戦闘士は、ワルプルギスにおける明確な軍事力でもあった。
「捕まえたワルキューレたちは、全員漏らさず監獄衛星行きになる。母星にも、ワルプルギスにも置いておけないからね」
魔力がある限り、魔女たちは強大な力を行使することが出来る。そのため罪を犯した魔女を監禁する牢獄は、母星の輪の中のどこかにある、小さな岩塊に置かれていた。捕らえられたワルキューレたちはそこに閉じ込められて、マナを断絶される。そしてそのまま魔女としての力を失って、外の世界に戻ることなく生涯を終えることになる。
魔女の掟は絶対だった。魔女の力で人を殺した者。魔女同士での殺し合いを目論んだ者。それらは母星を危険に晒す邪悪な行為であり、この世界から追放しなければならない。非常に重い刑罰のようにも思えるが、それは魔女たちが人々からの信頼を得るための、やむを得ない措置でもあった。
「魔女の力は、母星を守るもの。これで人を傷付けるのは、あってはならないことにされているんです」
「……でも俺、トンランに結構やられてるんだけど?」
顔面を防御壁にぶつけられたり、飛んできたドアに直撃させられたり。その度に鼻血やら痣やらと、フミオは散々な目に遭っている。あれは明らかに故意だろう。トンランはむっ、と眉根を寄せた。
「自己防衛は認められてるんですよ。そうでもしないと、あたしはフミオさんに何をされるか判らないんですから」
「何もしてないだろう。俺はただ、自分の部屋で着替えてただけだ」
「護衛に若い女の子が来るって知ってるんだから、そこは気を遣って当然です。デリカシーの問題です」
フミオにその意思はなかったが、確かにやられっぱなしでは困ったことになる。正当防衛はアリなのだ。トンランはぷいっと横を向いた。どうやら母星にいる時と同じの、気楽な独り暮らしの感覚は許されないらしい。
まあそれは仕方がないかと、フミオはコーヒーを口に運んだ。可愛い魔女が毎朝起こしにきてくれるのは、なかなかどうしてまんざらでもなかった。
「こんにちは、トンラン」
後ろから聞こえた声に、フミオは思わずコーヒーを噴き出しそうになった。一度聴いたら忘れられない、凛とした涼やかな音色だった。不意打ちも甚だしい。むせそうになるのを必死にこらえて、フミオは急いで首を後ろに回した。
「サトミ、おひさ。こんな時間に珍しいね」
「丁度一段落して、今から休憩しようと思って。サクラヅカさんも、こんにちは。ご一緒してよろしいですか?」
つい先ほどゲイボルグ隊の記録映像で観てきたばかりの魔女が、そこには立っていた。ぱりっとした国際高空迎撃センターの制服に、星を追う者の徽章。真っ赤に輝く瞳に、フミオは吸い込まれてしまいそうになった。
いけない。これではまた前回の二の舞だ。フミオは椅子から立ち上がると、指先までをぴんと揃えて気を付けした。トンランが、ぽかんと口を開けて見上げている。とにかく、無様な姿だけは見せないように。ぎぎぎぎ、と錆びついた音が聞こえてきそうな動きで、フミオは腰を折り曲げてお辞儀した。
「喜んでご一緒させてください。サトミ・フジサキさん」
「サトミ、で良いですよ。そんなに畏まらないでください」
フミオのあまりにも滑稽な反応に、星を追う者フラガラハ隊の候補生サトミ・フジサキは屈託のない笑顔を浮かべた。
サトミとトンランは訓練生時代の同期で、同い年だ。そのことを、フミオは情報としては知っていた。しかしそれはあくまで知っているというだけで、理解を伴ってはいなかったらしい。並んで話をしている二人の様子を見て、フミオはその事実をありありと突き付けられた気分だった。
「ゲイボルグ隊との訓練映像を観てきたんだよ。サトミ、カッコいいね。三対一で圧倒的だったじゃん」
「やめてー。あの後、『訓練区画で指示もなく勝手にヘルメットを取るんじゃない』って、ルシエンヌさんにもニニィ教官にもいっぱい怒られたんだから。恥ずかしいし、あの記録はあまり見せないでほしいよ」
サトミはちらり、とフミオの方に目を向けて、頬を赤らめた。どう応えようかと戸惑っているフミオを眺めて、トンランはニヤニヤとしている。
ここにいるのは、若い女の子が二人、だ。
彼女たちが国際航空迎撃センターの有能な防御士と星を追う者候補生だなんて、とても思えない。フミオは呆気にとられて、何も言葉が出てこなかった。
「フミオさんはすっかりサトミのファンだからね。いいサービスショットになってたと思うよ。撮影禁止じゃなかったらフィルムを使い切ってたかも」
それは確かに、その通りだった。否定はしない。サトミは「ええー」と悲鳴みたいな声を上げて、テーブルの上にくにゃくにゃと突っ伏した。この子が、あの場にいた規律正しいゲイボルグ隊に勝利した優等生、ヤポニアの魔女だ。フミオは自分の目から、色眼鏡やら鱗やらの類がぽろぽろと零れ落ちていくのを感じていた。
星を追う者候補生に選ばれた、ヤポニア出身の天才魔女。そんな煌びやかな言葉に、フミオはすっかり惑わされていた。
サトミはトンランと同じ、十八歳の女の子だった。空き時間に食堂で、アイスティーなんて飲んで寛ごうとしている。同期の友人のトンランの姿を見つけて、懐かしくなって声をかけてきたりする。トンランが食べているチーズケーキを羨ましがって、一口欲しがったりもする。自分の記録映像を観られたことを、恥ずかしいなんて言って赤面してしまう。
フミオは被っていたハンチングを脱ぐと、ぼりぼりと頭を掻いた。今まであれこれと身構えていた自分が、ひどく可笑しかった。トンランと会って、ずっと一緒にいることできちんと理解できているつもりだったのに。
フミオがここまで来たのは、ヤポニアの魔女の姿を確かめて、ヤポニアの人たちに知ってもらうためだった。ならば曇りのない目で、あるがままのサトミを見ておかなければならない。サトミ・フジサキは、ヤポニア出身の優れた魔女である。トンランと同じ、ワルプルギスに住んでいる若い魔女。
それは即ち――サトミが魔女である前に、一人の人間、女の子であることを意味していた。
ヤポニアにいた頃だって、フミオの周りには当たり前のようにいっぱいいた。明るくて、おしゃべりと甘いものが大好きで。近くにいると少々うるさいが、若さに溢れていて。ちょっぴり元気を分けてもらえるみたいな。
サトミもまた、そんなごくごく普通の、ヤポニア人の女の子だった。
「うん、俺はすっかりサトミさんのファンだよ。だから君についてのあれこれを、ヤポニアにも沢山伝えたいと思うんだ。君のことをもっと、教えてくれるかな?」
自然に、そんな言葉が表に出てきた。いつも通り、若い女性を相手に取材をお願いする時みたいに。トンランが、やれやれとでも言いたげに眼を閉じて背もたれに寄り掛かった。フミオはこれまで、サトミに対して必要以上に幻想の壁を作り出していた。全身に入っていた、無駄な力が抜け落ちた感じだ。そのことが、フミオには自分でも良く判った。
「ええっと、今は休憩時間中なので。プライベートな話は、あんまり記事にしてほしくはない……かな」
「わかった。じゃあ、ここでは雑談だけにしておこうか」
焦らなくても良い。インタビューの時間は、また今度たっぷりと取ることができるだろう。サトミの分のケーキ代を払うと申し入れると、サトミは大喜びで注文カウンターの方に走って行った。そういうところも、女の子だった。感心したり、納得したり。落ち着いてサトミの様子を観察しているフミオの額を、トンランが軽くつっついてきた。
「……なんだよ?」
「やっと飲んでかかれそうで、良かったね」
にっこりと笑うトンランが本当に嬉しそうで、フミオは少しだけ動揺した。トンランはこういうところは、ちゃっかりと魔女している。ちょっと油断していると、すぐにフミオの中で大きな場所を占めて居座ろうとする。フミオは澄ました顔で冷めたコーヒーを啜った。
「まぁな」
戻ってきたサトミは、フミオよりも主にトンランと会話をしていた。研修生時代の同期がどうしているのかとか、最近のワルプルギスのデザート事情とか。聞いているだけで楽しかったし、ワルプルギスや魔女の私生活、それにサトミについても知ることができる内容だったので、それはそれで全然構わなかった。
たまにフミオがメモ帳に何事かを書き記すと、目ざとく発見されて二人がかりで検閲された。魔女というよりは、女の子の秘密だ。仕方なく、フミオは途中から取材であろうとすることは完全に断念した。女子二人とお茶。唯一、砂糖が貴重品に分類されるワルプルギスでは、ケーキが母星よりもはるかに高価であるというところだけが大誤算だった。
「そろそろ行かないと」
話し込んでいると、あっという間に時間が流れてしまった。サトミには次の訓練が待っている。席を立とうとしたところで、フミオはサトミを呼びとめた。
「ごめん、ケーキ代の分、これだけ聞かせてくれないかな?」
とても大事な質問だった。本当なら、歓迎会の時サトミと初めて顔を合わせた際に、尋ねておかなければいけなかった。首をかしげたサトミは、明らかにヤポニア人の女の子だ。ならばこそ、これからの全てのインタビューに先駆けて、フミオはこのことをサトミ本人にどうしても確かめておきたかった。
「君は……サトミさんはヤポニアのことを、どう思っている?」
『排魔女』の国。それは過去と呼ぶには、記憶に新しすぎた。サトミが子供の頃、ヤポニアはまだ魔女に否定的な世の中であったはずだった。サトミのヤポニア時代を調査しても、情報は何も出てこなかった。恐らくは魔女であることを隠して、ひっそりと暮らしていたはずである。そんな少女時代を過ごしたサトミは、ヤポニアという国をどう評価しているのか。
「サクラヅカさん、私はヤポニアのことを――」
サトミがワルプルギスを訪れたのが、亡命のようなものであるとすれば。ヤポニアから来た記者であるフミオは、サトミの目にはどんな存在に映っているのだろうか。ヤポニアの国民に魔女との友好の証として紹介されることに、どんな想いを抱くだろうか。
もしサトミがそれを望まないなら、フミオは記事にすることを断念するのも一つの手段だと覚悟を決めていた。石を投げて追い出した相手を、今度は持ち上げて広告にするなんて。あまりにも虫が良すぎるじゃないか。それこそ、政治的なプロパガンダだ。これは国際航空迎撃センターに来る前、この取材の最初から考えていたことだった。
サトミ・フジサキが、ヤポニアとの繋がりを拒絶するのなら――それを無理強いしたり、その意思を捏造したりすることはないように。
それを守ることは、フミオのジャーナリストとしての矜持だった。
「故郷、だと思っています。今までもそうですし、これからもずっとそうです」
清々しい、晴れやかな笑顔だった。嘘や誤魔化し、建前での回答であるは思えない。フミオはほっと胸を撫で下ろした。
良かった。決して褒められた国ではないが、少なくともサトミはヤポニアという国を憎んではいない。この答えを得られて、フミオはようやくサトミに対する恐れを失くすことができた。フミオは今度こそ、完全に緊張を解いた状態でサトミと向き合うことが出来そうだった。
サトミというヤポニア人の魔女は、ヤポニアと魔女たちの世界を繋ぐ希望になれる。フミオにはそれを伝える、重要な役割が与えられているのだ。自分のやろうとしていることが認められた気がして、フミオは嬉しくなった。
「サクラヅカさんはひょっとしたらご存じかも知れませんが……私は子供の頃、ヤポニアのヒナカタに住んでいたんです」
初耳だった。ヒナカタといえば、南東地方の沿岸部だ。後でヤポニア新報の本社に連絡して、裏付け取材をおこなってもらおうか。そう考えながらメモ帳に途中までペンを走らせて。
フミオは慌てて顔を持ち上げた。なんだって?
フミオの驚いた表情を見ても、サトミは微動だにしなかった。今から十年前、ヤポニアの沖合に隕石の破片が落着した。破砕作戦の失敗によって発生したその災害は、ヤポニア南東地方に甚大な被害をもたらした。死者行方不明者は、五千人を超える。その出来事を切欠として、ヤポニアには魔女を認める世論が生まれてきた。
「私は――『ブロンテス』の被災者なんです」
当時サトミ・フジサキは八歳の子供。ヤポニア南東地方の街、ヒナカタに在住していた。ヒナカタは『ブロンテスB』が落着した際に、津波によって大勢の死傷者を出した街だった。
第2章 ヤポニアの魔女 -了-




