ブロンテスの追憶(1)
星を追う者ゲイボルグ隊隊長ノエラ・ピケットは、自らの掌を見下ろした。小刻みに、わなわなと震えている。今目の前で、何が起こっているのか。ノエラにはまるで理解できていなかった。
「破砕失敗! 構造解析に致命的な欠陥があったと推測。破片の軌道予測急げ!」
「母星に全チャンネルで警報を発令! 国際条約特例だ!」
「予測士の計算が追いつきません! 演算装置のキャパシティを全部こちらに回してください!」
ミッションは順調だった。今回の目標『ブロンテス』は、この極大期で恐らくは最大の規模を持つと目されていた。重力操作による軌道修正では回避が困難であると判断されて、隕石破砕の使用が推奨された。予言士の予知した破滅的な危険を避けるため、観測と調整が時間をかけて進められてきた。
「『ブロンテス』の軌道自体は隕石破砕によって大きく変動、母星の引力圏から抜けます」
「散乱した破片の大部分は大気圏内で焼失。大型破片が市街地近郊に落ちる可能性は……」
与えられた力を、ノエラは間違いなく手続き通りに扱い、行使した。大型隕石『ブロンテス』に対して、諸言に従って隕石破砕を発動。想定された威力をもって、正確に狙いを定めて直撃させた。
それなら――起き得る結果は揺るぎないものではなかったのか?
「警告! 最大破片落着予想位置、ヤポニア南東部沿岸!」
「『ブロンテス』より剥離した最大破片を、現時刻より『ブロンテスB』と呼称。落下軌道予測、ヤポニアに隕石災害警報発令!」
……まだだ。
ノエラはホウキの柄を強く握り締めた。この作戦を任されたのは、自分だ。それなら最後まで責任を持つ。やれることはまだあるはずだ。真っ赤な尾を引き始めた巨大な岩塊目がけて、ノエラは一気に加速をかけた。
「こちらゲイボルグ隊、『ブロンテスB』に攻撃を開始する」
ゲイボルグ隊の僚機が後に続く。隕石破砕はなくても、波状攻撃で細かく分断することは出来る。落着予想地点は海なのだ。人間の居住地への被害は、それで最小限に抑えられる見込みがあった。
「駄目だ。ゲイボルグ隊、攻撃は待て。そこからはすでにヤポニアの管理区域に入る!」
「そんな!」
よりによって、ヤポニアだ。ヤポニアは国際同盟加盟国だが、魔女たちの緊急時迎撃出動条約を批准していない。ここで迷っている時間なんて、本当に零に等しいというのに。星を追う者が全力で追跡して、それでやっと一撃を加えられるかどうかという間合いだ。真っ赤に焼けた虚空からの使者が、母星に深い傷を刻み付けようとしている。
「ヤポニア政府より回答ありません!」
どちらにせよ、もはや間に合うはずもなかった。ノエラはうなだれた。次の瞬間、眼下の母星で閃光と轟音が炸裂した。
「観測班より報告、『ブロンテスB』は母星に落着。震度計に感あり。海面に隆起を確認。ヤポニア沿岸部に津波接近中」
「予測士による計算、継続させています。ヤポニア南東部に、広範囲に及ぶ大型津波が到達します。引き続きヤポニア政府に対して隕石災害警報を発令中」
「ヤポニア政府からの応答、まだありません」
隕石の落着を、ノエラは防げなかった。母星に穿たれた罪は、ノエラをはじめとした魔女たち全員が背負うべきものだ。
だが、これで終わりではない。ノエラはぎりっ、と歯を食いしばった。奥歯が欠けて、歯茎から出血した。構うものか。助けるための戦いは、むしろここからが本番だ。
「ゲイボルグ隊、全機大気圏に突入せよ! ヤポニア沿岸部へ救援に向かう!」
「ゲイボルグ隊! ヤポニアの管理区域を侵犯している!」
「国際同盟隕石災害救助特例だ! 地上部隊も回せ! 早く!」
万一に備えて待機させておいた防御士や重力制御士たちが、ヤポニアの近くで出動可能状態にあるはずだった。隕石が落ちてしまった今となっては、ヤポニアの政府が何を言おうが知ったことではない。一秒でも早く現場に急行して、助けられる命を助けなくては。
目の前で死んでいこうとしている人々を見過ごすなんて――魔女が魔女である意味がないじゃないか。
「こちら待機中のカラドボルグ隊。緊急発進シークエンスを開始する。全機爆装は解除。災害対策マニュアルに従う」
「待て、カラドボルグ隊。司令部からの指示はまだ出ていない」
司令部は今、それどころではなかった。この規模の隕石が母星に落着したのは数十年振りどころか、ここ百年はなかったことだ。平和な時代に慣れ過ぎて、魔女たちは緊張感を失ってしまっていた。静かすぎた平穏を打ち破って訪れたこの惨事に対してどう立ち向かうべきか、まるで追いつけていなかった。
「カラドボルグ、迎撃司令官だ。今回の極大期はこれで終わりではない。二機残せ。後は現場の判断を優先する。ゲイボルグで息切れを起こした奴をバックアップしてやれ」
突然割り込んできた通信に、星を追う者たちは全員息を飲んだ。国際高空迎撃センターの最高司令官から、直接の指示が発せられた。これは非常事態だ。ホウキを掴む手に、ぐっと力が込められた。
司令官からの通信は、国際高空迎撃センター内の全ての部署にも届いていた。浮足立っていた魔女たちは、その場でしゃんと背筋を伸ばして一度立ち止まった。
必要なのは、手続きを重視することではない。
この手で救える命を、可能な限り助けることだ。
母星は今、大いなる危機にさらされている。それを守るのが、魔女の使命だ。魔女たちは近くにいる者たちの顔を見て、お互いにうなずき合った。
この星を、諦めない。魔女の戦いは、ここで終わる訳ではないのだ。
「カラドボルグ四番機並びに五番機は待機。次の相手を二機でやるんだ、休んでおけ」
「カラドボルグ出るぞ! 大気圏を突っ切る。火傷しないように気を付けろよ!」
「地上部隊に伝達。ヤポニア南東部沿岸に集結せよ。津波の到達に間に合わなくても、出来ることは幾らでもある」
「ワルプルギスに停泊中の全艦船に、支援物資及び人員の搬送を依頼します。郵便船も全機スタンバイ。積み込みが終わったものから随時ヤポニアに向けて出港してください」
「ヤポニア付近を航行中の全ての空船に緊急通達。災害時行動マニュアルに従い、要救助者の救援に向かってください。繰り返します……」
ヤポニアは、まだ夜が明けたばかりの早朝だった。ノエラは弾丸のような猛烈な勢いで地上に舞い降りると、無人の波止場の上空で静止した。邪魔なヘルメットをかなぐり捨てる。空気との摩擦熱に耐え切れずに、防護服は焼けて所々溶け落ちてしまった。アンダーウェアが剥き出しの姿だが、この緊急事態に形振りなどは構ってはいられなかった。
「各国首脳より、救援申請が届いています。ヤポニア政府はまだ状況把握に手こずっている模様。災害対策本部の設置が追いついていないみたいです」
「ヤポニアへの救援関係はチャンネルを統一。国際高空迎撃センターで一括対応してくれ。ヤポニア政府への通達は後で良い」
指示を出してから、ノエラは海の方に向き直った。海面がうねって、水位が大きく下がっていた。高波の兆候だ。残り時間、五分を切っている。避難勧告と誘導は、他の魔女たちに任せるしかない。
ノエラの背後にはヤポニアの街が広がっていた。南東の沿岸部では、恐らく最大の都市だ。いくら星を追う者であっても、ヤポニア南東地方の全ての海岸線をカバーすることはできない。より多くの命を助けるために、ノエラはこの場所を選択するしかなかった。
他の人口密集地には、ゲイボルグ隊のメンバーが向かっているはずだった。配置を確認している時間的余裕はない。今はそれぞれが各自の判断で、目の前からやってくる化け物みたいな質量と単独でぶつかり合う必要があった。ここを選んだからには、これから生じるであろう犠牲者の数を上回る生存者を出してみせなければならない。
「先回りに成功したゲイボルグ隊全機、偏向制御準備。全魔力をもって、ヤポニアの市民を守れ!」
魔女を認めない国。魔女の助けを拒む国。
だから、なんだ?
魔女たちはずっと、こうやって生きてきた。そこがヤポニアだからだとか、どうだとか。そんなことをいちいち考えてなどはいなかった。
ただこの母星の上で生きる命たちを、こうやって守り続けてきた。今までも絶えずに、そうしてきて。そしてこれからだって、変わらずにそうしていくつもりだ。
何年経っても、何十年経っても、何百年経っても。
どんなに嫌われても。人ではない異物であると蔑まれたとしても。
例えこの母星の大地に、足をつけて住むことですら許されなくなっても。
「『ブロンテスB』落着による高波第一波、来ます!」
――守ってみせる。
「偏向制御、全開!」
そそり立つ壁のように迫りくる大質量の海水の塊目がけて、ノエラは持っているありったけの魔力をぶつけた。
ワルプルギスの街並みには、いつもどこかふわふわと浮ついているような感じがあった。魔女であってもそうでなくても、商店の人間はみんな陽気だ。人の出入りが少ないということもあって、皆が皆顔見知りみたいな状態だからだろう。ヤポニアから来た記者であるフミオも、すぐにその一員として迎え入れてもらえた。
ただ唯一悔やむべきは、フミオに対する親しみやすさを醸造しているその要因が、デイリーワルプルギスの『あの記事』であるという事実だった。
「ああヤポニアの記者の人、星を追う者の子とは話せたのかい?」
「ヤポニア人の魔女の子、可愛いよね。わかるわかる」
「女の子と話すのにアガってたら、記事なんて書けないでしょ? どう? ちょっと寄っていかない?」
そういった街の人々の声に愛想笑いを返すだけで、フミオはウンザリだった。
それにつけても、今日のワルプルギスはいつにも増して賑やかだった。理由はトンランに聞いて知っていた。八月の終わりに、ワルプルギスではお祭りが開かれるのだ。国際高空迎撃センターも、夕方には業務を停止してしまう。ワルプルギスの大通りではそこかしこに屋台が建てられて、夜が明けるまで飲めや歌えやの大騒ぎになるとのことだった。
「あ、サクラヅカさん、トンランさん、いらっしゃい」
大使館の受付にいる職員も、ヤポニアの民族衣装である浴衣姿だった。今日の仕事は日中で切り上げて、大使館の敷地内でバーベキューをすると聞いていた。ちゃんと火を扱う免許を持った調理師までやってくる。ヤポニアの庶民の間で親しまれている郷土料理『ヤキソバ』が振る舞われるということで、フミオも楽しみにしていた。
「借りていた本を返しに来ました」
フミオはカバンから、分厚い本を数冊取り出した。返却の事務手続きだけしてもらって、書庫までは自分で返しに行く。その方が、ついでに他の資料を探せるから都合が良かった。トンランは受付の魔女が着ている浴衣を、物珍しげに眺めていた。
「浴衣がそんなに珍しいかい?」
「見たことはあるけど、いつも見る訳じゃないから」
そういうことなら、ヤポニア人のフミオにとってもそこまで日常的なものではない。昔のヤポニアならいざ知らず、今ではお祭りの時ぐらいにしか見かけなかった。
涼しげですらりとしたシルエットは、なかなかに雅だった。ヤポニア大使館の職員を勤めている魔女は、皆ヤポニア出身だ。着こなしの方もばっちりだった。
「『ブロンテス』の資料を読まれているんですね」
「ええ。ここの大使館には関係書籍が多くて助かります」
十年前に母星に落ちた、巨大隕石の破片『ブロンテスB』。あの災害があったからこそ、ヤポニアは魔女との付き合い方を考えるようになった。この大使館が出来たのだって、『ブロンテス』の災害後だ。それまでのヤポニアは、魔女に対して必要以上に冷たい国だった。
大使館の書庫には、『ブロンテス』に関する資料が大量に所蔵されていた。ヤポニア大使、ヨシハルの指示によるものなのだそうだ。
ヤポニアは『ブロンテス』落着の際に最も被害を受けた、被災当事者国である。そこで起きた悲劇を良く理解して、後世へと伝える義務があるのだ。大使館ではその使命を果たすべく、今でも『ブロンテス』がらみの一般書籍を蒐集し続けている。お陰様で母星で出版されている書物に関しては、常に完璧に網羅されている状態だった。
その『ブロンテス』による災害に、星を追う者候補生であるサトミも被災していた。初めて知る情報に、フミオは少なからず戸惑った。まだ子供の頃、フミオはヤポニアに住んでいながら、『ブロンテス』のことは新聞の記事だけでしか知らなかった。
頭を下げている魔女たちの写真。『排魔女』で酷い目に遭わされているはずの魔女たちが、どうしてヤポニアに対して謝るのか。少年時代のフミオには、判らないことだらけだった。フミオが新聞記者になった原点は、そこにあった。
サトミはその現場にいた。魔女たちが迎撃に失敗し、被害の拡大を止めるために国際条約の特例を持ち込んでまで駆けつけた、『ブロンテス』の惨劇の最前線に。
そこでサトミは何を見て、何を聞いて。
そして、何を感じたのだろうか。
サトミのことを理解するためにも、フミオはもう一度、『ブロンテス』について調べ直してみようと思い立っていた。
「そういえば、オコウ大使が話を通してくださったそうですよ。国際高空迎撃センターの資料室で、機密レベルCまでの文書の閲覧許可がおりたそうです。詳しくはセンターの窓口で問い合わせてみてください」
「それはありがたい。後で行ってみます」
ヨシハルは、フミオが思っている以上に国際高空迎撃センターに対して顔が利いた。この前のゲイボルグ隊とのスペシャルセッションも、ヨシハルが手配してくれたものだった。魔女たちの側の都合もあるのだろうが、フミオはこのワルプルギスでの取材に、窮屈さを感じたことはあまりなかった。
「じゃあ午後は、国際高空迎撃センターかな。夕方には閉まっちゃうから急がないとだね」
「ずっと中で資料を漁ってるだけだし、トンランは友達とお祭りを回ってきても良いぞ?」
『ブロンテス』に、ワルキューレ。国際高空迎撃センターで調べたいことは、文字通り山のようにあった。トンランはただでさえ普段からフミオに付きっきりなのだ。たまにはそういう休息があっても良いだろう。
そう考えて、フミオは気を遣ったつもりだったのだが……
どうやら、逆効果みたいだった。トンランはむむうっ、と頬を膨らませて抗議してきた。
「あたしはフミオさんの警護なんだから、離れる訳にはいかないの!」
「センターの資料室で、警護は必要ないだろう。屋内ならそこまで塵に警戒しなくて良いって、トンランが言ったんじゃないか」
「塵だけじゃないの。とにかくフミオさんは危なっかしいんだから、警護は外れませんからね!」
折角休みをくれてやると言っているのに。疲れ切った表情を浮かべたフミオを見て、受付の魔女が上品にふふっと微笑んだ。こんなやり取りも、すっかり日常茶飯事と化してしまった。悪い気分はしないというところだけが、唯一の救いだった。




