35最後の団欒
更新が遅れてしまい申し訳ありません。
自分で納得の行くエンディングにしようと何度も書きなおし、迷走していました……。
いよいよ終幕は間近ですが、よろしければ最後までお付き合いいただけると幸いです。
レンが居るのは、王都内のとある一軒の酒場だった。店内に他の客は居ない、どころか店の人間も居ない。以前王都で迷子になった時に、道を尋ねた寂れた店である。マスターに幾ばくかの金を渡し、貸切にするのはそう難しいことではなかった。万年閉店中、というほどに客が少ないのだ。交渉は、とあるこちらの要求を通すところまで、うまく行った。
窓から見える通りも、裏通りということで人影は少ない。好んで吐瀉物の放置されているような裏路地を、誰も歩きたいとは思わないのだろう。
じっと椅子に座り、時を待ち続ける。
お昼ごろから待っていて、日が暮れなずむ頃。赤い西日の差し込む店内に、待ち人が入ってきた。
「いらっしゃい」
彼女に声をかける。同時に予め選別していたコーヒー豆をガリガリと砕く。器具の隙間から、濃厚な香りが立ち込める。
返事もなく、入ってきた女性は、カウンター席に座る。
マスターに教えてもらった通りの手順を思い出しながら、コーヒーを淹れる。
一連の動作を興味深そうに見守っていた女性が、ついに初めて口を開いた。
「いい香りね。あまり詳しくはないのだけれど」
「気にするな。オレも昨日教えてもらったばかりだ」
夕日が優しく店内に差し込む。
薬缶で沸かせた湯がコポコポと軽快なリズムを刻む。現実世界の喫茶店のように、お仕着せのBGMは無い。その分小さな音、日常音や調理の音の全てが、はっきりと聞こえてくる。じわりと、耳に染みこむようだ。
――そして、コーヒーが完成する。二杯分。彼女の前にそれをコースター付きで配膳する。
自分の分は、その隣の席に。カウンターを出て、客席に座る。
「美味しい」
カップを傾けた彼女の口から、感嘆の言葉がため息のように溢れる。ほめられるのは、素直に嬉しい。咄嗟に応じる言葉が見つからず、コーヒーを口に含む。
芳醇な香りが鼻孔に満ちる。マスターの見本を思い出すと、若干苦味が強い気もするが、十分及第点だろう。ひとまずうまく出来た、とホッとする。
「知らせたいことが、ある」
切り出す。彼女がこうして護衛も付けず、単身誘いに応じてくれたのは、気まぐれのようなものだと分かっているから。伝えたいことを過不足なく、誇張せずに伝える。
昨晩話したいことを纏めておいたのが、奏功した。
「実験……なんだと」
「何がかしら?」
「この世界が、実験場。オレたちは被験者、ということになるのかな」
聞いて、冷静沈着な彼女の表情が、歪む。
「……同意書にサインした覚えはないのだけれど」
「もちろん、オレだって。というか、無断で、だな。そもそもこんな非人道的な実験、認可されるはずがない」
「目的は?」
「科学の手の及ばない最終最後の領域――21gを解明するための実験装置。そう、言っていたな」
「魂の実在論か、面倒な連中に捕まったものね」
「ああ。GMって分かるか?このゲームを運営している側の、いわば管理者だ。そいつから聞いた話だ。真偽は分からん」
「……つまり、私の最後の獲物ってことね」
予想していた通りだ。レンでさえ、彼ら運営側に対する怒りは、煮えたぎっている。冷たい炎のような彼女が、このことを知れば、最も短絡的な手段を取るであろうことは分かっていた。
「……そいつによると、元の世界に戻る方法は、魔王を殺す、もしくは自分以外を皆殺しにすることらしい。最初にアナウンスされたのと寸分変わらないな」
「……いいえ。そうでもないわ」
彼女は怒りを押し隠し、思案げな顔に変わる。
「私は魔王、というのは擬人化された目に見えない障害のようなものだと、理解していたから。実態がある存在だというのは、初耳ね」
「……。魔王は……お前だと言っていたな。そいつは」
舌が締め付けられているかのように、言葉を紡ぐことは辛かった。
「……そう。じゃあ私を殺せば、この世界から解放されるというのね」
そんな悲しい結論を出さないでくれ。そんな儚い願いを込めて、上滑りする反論を飛ばす。
「もちろん、それが本当かどうかは分からない」
彼女が薄く笑う。突然の笑顔は、どうしようもなく儚げで。言葉とのギャップが強く感じられる。
「ええそうね。でもそれが、天から垂らされた一筋の釈迦の糸。救いのない世界で、唯一与えられた救いだとすれば、倫理も道徳も投げ捨てても、縋り付きたい弱い人間が大勢を占めるでしょうね。……でも、それが真実だったとしても。大人しく殺される謂れはないわね。例え私の死と引換に、この世界がクリアされるのだとしても」
奇跡のような逢瀬の時間は終わる。コーヒーを残らず飲み終えた彼女は、静かに席をたった。
「ごちそうさま、でいいのかしら」
レンが彼女を呼び出すために送った恋文の文面は、たった一行。
――ここまで付き合ってくれた礼をしたい。
レンがこのゲームに誘わなければ、彼女がデスゲームに巻き込まれることは無かっただろうし、彼女が大勢のプレイヤーの命を奪うこともなかった。
全ての発端。到底贖いきれる罪ではない。
だから謝罪ではなく、感謝。レンに出来る行動はそれだけだった。
その気持は伝わったのだろうか。驚くほどあっさりと、何の未練もなく。店を出ていく彼女の後ろ姿からは、心情を窺い知ることは出来ない。
特別な時間は終わり。
次に会うときは、敵同士。その言葉を聞いてから、彼女に会うのは何度目か。純粋に命がけで戦ったこともあるのに、こうして互いに五体満足で居られるのは、奇跡みたいな幸運の賜だ。
店のドアに手をかけた彼女が、振り向きざまに言い放った。
「他の誰かに殺されるくらいなら、私が貴方を殺すわ。だから、貴方も――」
尻すぼみに消えていった言葉の残響が、レンの脳で跳ねまわる。
何を言おうとしたのだ。一体何を。
彼女は二度と振り返らずに、出ていった。真意を問いただす暇もない。
この逢瀬で、気持ちに決着をつけようと考えていたのに、結局主導権は取られてしまった。きっと一生彼女に勝ったと思える日は来ないのだろう。
斜陽は地平線の向こうに消え、街灯が灯り始める。ざわざわと活動をはじめる夜の香りが、僅かに残ったコーヒーの香りを吹き払った。
翌日になっても、王都は静かだった。通りの角に立つのは、行政機構を事実上支配しているNPCの自警団である。魔王が帰還したとなれば、大騒ぎなっているはずなのだが、そんな気配は微塵もない。
魔王に反抗する組織は、その実何よりも魔王を恐れている。彼女の動向が分かれば、すぐさま迎撃なりの対策を取るだろう。彼らが何の行動も起こしていないということは、魔王は表向き王都に戻っていないということになる。
ならば、昨日の逢瀬は、夢幻だったのか。
そんな迷いを断ち切ってくれたのは、意外な人物だった。
初めて王都を訪れた時に泊まった宿の屋上に、レンは立っていた。魔王不在のせいで、プレイヤー禁制の商店は随分減った。秘密警察も長官のリュウが死亡したせいで、半ば組織として崩壊している。プレイヤーを判別する踏み絵の魔道具は、その大半が撤去されてきているのだ。
この宿屋もそんな店の一つだった。レンの顔を覚えていたわけはないが、快く宿泊を了承してくれた。昨晩は屋根のある部屋で眠り、今朝方からこうして屋上に寝転びながら、街の雑踏の会話を聞き取り、情報収集に努めている。
耳を傾けているように見えて、その実為すこともなく、ぼんやりとしていると、広域をなんとなく走査させていたレーダーに、目に付く反応があった。レンの元へ一直線に向かってくる。単に宿屋を目指している可能性もあるが、楽観は禁物。上半身だけを起こし、合図をする。
虚空から、誰かが頷いたような気配が伝わる。
接近してくる人物は、矢張りレンに会うことが目的だった。レンと同じ目線、つまり屋上から屋上へ飛び移りながら、王都の空を舞うのは、ヤマメだった。両腕は治療済みのようで、切断した部位も元通りになっている。
前回別れた時のことを考えると、復讐にでもきたのだろう。レンは彼に対し、割と辛辣なことを入ってしまった記憶がある。彼の人生ごと踏み越える、と。
恨まれても仕方ない、それくらいは覚悟していた。
だというのに。
「レンさん!探しました!」
いつかみたような顔で走り寄ってくるものだから、そんな覚悟には一瞬でヒビが入ってしまう。
「緊急情報。知らせたいことがあるんです」
殺しあった過去が無いがごとく。彼が平然と振る舞うものだから。釣られてレンも仮面をかぶる。昔の自分、そんなペルソナを。
「何があった?」
王都の遙か西方。神殿と湖の中間辺りの原野で、魔王軍と組合軍が衝突しかかっているらしい。魔王軍には魔王の姿はなく、総指揮官としてジョシュア将軍が率いている。反対に組合側は、NPCの貴族勢力を併合し、対等な兵力を招集した決戦ムード。では、魔王は何処に行ったかといえば、
「鎮魂の洞穴、懐かしい名前だな」
王都を乗っ取られた魔王が選んだ次なる本拠地は、そこだった。彼女には二つの選択肢があっただろう。
王都の謀反を鎮圧し、実権を取り戻す策。
西方の決戦で組合を粉砕し、国全体の乱を収める一発逆転の策。
そのどちらでも無い。確かに魔王の撒き餌を仕掛けていたダンジョンである鎮魂の洞穴ならば、罠のたぐいは豊富に取り揃えてあるに違いない。ただそれを考慮に入れたとしても、魔王の選択は消極的に見えた。
「誘っているのだろう、な」
別れ際に投げかけられた言葉を思い出す。事此処に至って、躊躇など無い。
罠の危険性など考えもせずに、レンはラストダンジョンへと向かう。従者は二人。
気配を消したまま、影のように付き従うゾディアックと、成り行きで付いて来たヤマメ。ヤマメはゲームクリアを阻止する立派な理由がある。ゲームクリアを目指すレンとしては、敵である。土壇場で裏切られるかもしれない。そんな危惧をゾディアックはしていたが、レンは気にしていなかった。
正確には気にする余裕もなかったのか。世界の真実に気づき、それを亜貴に伝えたことで、ずっと張り詰めていた気が抜けてしまったよう。アバターとして100レベル相当の能力を持ちながら、ヤマメを力尽くで排除しないのは、そういうことなのだろう。
疲れた。終わらせたい。
使命感は消えるどころか、より強くなっている。他のプレイヤーをできる限り死なせたくない、という崇高な思いは。
けれど、この倦怠感と使命感は矛盾する感情ではない。
元から破滅思考のようなところはあった。
殺されるなら、殺されるで、それまで。
もちろん、全力で足掻き抜いて、生存を目指すが、死地に自らを置くことを然程ためらわない。命を軽く扱うという意味では、はんぺんや、リュウに近い性質。
ヤマメを連れているのは、彼を信じている、という綺麗な気持ちからではない。
裏切られても、それはそれで構わない。という達観した気持ちからだった。当然、レンの身を気遣うゾディアックは、ヤマメを見張るのは自分だ、と息巻くのだが、それすらもどうでも良かった。
私財を投げ打ち、最後の武器調達を行う。魔道具によるプレイヤー排斥が撤廃され、弾薬類も可能な限り、アイテムストレージに詰め込む。
終わらせる。
寂寥感さえ伴うエンディングの気配が肌で感じられるほど、レンの散財っぷりは激しかった。ラスボス相手に出し惜しみはしない。一文無しになるまで、買い込みを続ける。
お陰で、食料を買うだけの金銭は残っておらず、ゾディアックに怒られることになる。
「何考えているんですか!まさか、鎮魂の洞穴まで断食していくわけじゃあないでしょうね!?」
「ん、忘れていたな。あって困るものじゃなし、買っていこうか……。……しまった、財布が空だ」
「当たり前です!そんな勢いで買い物して、お金が無くならないほうが奇跡です。無尽蔵に湧いてくる物じゃないんですよ?……どうしても必要なら、郊外に出てモンスターを狩りに行きましょうか……?」
「いや、そこまでしなくてもいいだろう。現実ならともかく、欠食したからといて死ぬわけじゃない。三ヶ月くらい絶食して生きていたオレが言うんだから、間違いはない」
「はー……。分かりました。俺のポケットマネーで買い揃えておきます。二日分もあれば十分ですよね?」
「一日分でいい。帰りの分はいらない。勝つか。負けるか。どちらにしても、ゲームの食事は必要なくなっているだろう。何度も言っているが、お前もこんな事に付き合う必要はないんだぞ?」
「それこそ、今更です。兄貴の道の礎になれれば、俺はそれで満足なんです。使い潰してください」
恥かしいセリフを真顔で言う。おかしくなってレンは吹き出す。直前までのやり取りの馬鹿らしさもあって、優しい気持ちになる。
ヤマメは偵察に行く、といって先に出発している。これも疑おうと思えば、魔王に誘い出しが成功したことを内通に行っているとも取れるが、最早そんなことをはどうでもいい。
罠とか、策とか。そういう段階は通り越してしまった。
後先も考えず、魔王の元へ向かう。無論、負ける気はない。勝ちに行く。
けれど、負けたところで悔いは残らないであろうことも、同時に直感している。
それは相手が他ならない亜貴だから。彼女が相手ならば、負けてもしょうがないし、殺されてもそれはそれで――
準備は整い、王都に入ってきた時と同じように、西門をくぐる。守衛を何人も斬殺しているため、心苦しいものはあるが、それすらも遠くへ押しやる。
残った気持ちは純粋な闘志。勝負の先など考えないし、見ようとも思わない。
彼女との力比べ。来るべき戦いに全力を尽くしたいという、気持ちだけだった。




