20一人の理事
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翌朝まで、魔王軍の気配は微塵もなかった。野営地にはモンスターも近づいてこない。極めて平和な一晩だった。
レンたちは、早朝野営地を出発した。怪我人のディンを連れているはずの一行の移動速度は驚くほど速かった。それでも、ディンを気遣って昨日よりは速度は落としてある。魔王軍の残党狩りが続いている可能性が低くなったからだ。
出会うモンスターは片っ端からゾディアックが掃討していき、道の安全を確保していた。ベータ版ではベテラン中のベテランだったゾディアックは、機会さえ与えれば物凄い速さで全盛期の感覚を取り戻していった。エルトラントの森のモンスターがそれほど強力ではないことも幸いした。危なげなくモンスターを処理していき、着実にゾディアックはレベルを上げていった。
一晩休んだことで、ケイも完全に復活していた。相変わらず、レンに対しては友好的ではないが、ゾディアックと打ち解けてきているように見える。もっとも当のゾディアックは子供にまとわりつかれて、面倒そうだったが。
「ゾディアック、組合の居場所についていくつか予想を立てた。検証できるか?」
「へ?い、いやあ、どうでしょう?兄貴の命令ならば、応えたいのは山々なんですが、組合のことは大して知らないもので……」
「構わない。地理的に知識を補強してくれるだけでも有難いからな」
「それなら喜んで」
「ねえ、僕も聞いていい話だったら、一緒に聞いてもいいですか?組合に居たので少しでも役に立てるかも知れませんから」
「そうだな。そうしてくれ」
レンの考えていた候補地のうち、あり得ないものを二人に否定して貰う形で絞込み、最終的に四箇所にまで候補地を予想することが出来た。
一つはレンたちの逃げ込んでいるエルトラントの森の一部。これはすぐにでも確かめられる。二つ目は王都とルールの中間地点にある闇森の西方、ヴァンパイアがボスを張っているカーミラ城。三つ目はそこから更に西にあるここから最も遠い候補地、神獣ヘルの座す神殿付近。そして最後の候補地は、ルールの街の南西、レンにとっては懐かしい、始まりの町だった。
「虱潰しに行くか。探している過程で生き残りの組合員に遭遇できれば、そこで情報が得られるかもしれない」
二人の同意を得て、再びレンたちは移動を開始した。レンの背中には一晩中眠りこけ、いまだ惰眠をむさぼるディンが居た。既にそこが彼女の定位置になりつつあった。ケイは未だにそのことを快く思っておらず、時々刺すような視線を向けてくる。それでもディンが安心してそこに居着いてしまったことは理解しているので、口にだすことはなかった。
エルトラントの森の探索はすぐ終わった。誰もいない。
ここに来るまでに誰とも出会わなかったのだ。元からこの森に彼らが避難してきている可能性は低かった。距離で考えると、次に近い候補地は始まりの町。さしたる落胆も見せず、一行は次の目的地を目指した。
異変を始めに察知したのは、露払いの為に先行していたゾディアックだった。前方を蟻のように営々と行進する軍を発見した彼は、後方からついてくるレンたちの元に駆け戻った。
「兄貴!魔王軍です。この先一キロで魔王軍が移動中です」
ゾディアックに詳しく状況を聞くにつれ、レンの顔色は翳っていく。周辺は隠れられるような物陰の存在しない丘陵であり、向こうの進軍速度から計算すると、魔王軍がレンたちを発見するのも時間の問題だ。レンとゾディアックだけならば、一目散に逃げ出す選択肢が無いわけではなかったが、今はまだまだ未熟なケイと眠り姫のディンを抱えている状態だ。万が一戦闘になった場合に、二人を守りきれる自信はなかった。
レンの顔色を見て、事態が逼迫しているのを感じ取ったのか、ケイも不安そうに何度も腰の剣の柄に手をやっていた。
緊迫した空気でレンの体は幾分強張っていた。それを不快に感じたのだろうか。出会ってからずっと眠り続けていた眠り姫が目を覚ました。
「う~ん」
「ディン!怪我は大丈夫!?」
ケイが形相を変えたのも無理もない。このまま目覚めないかもしれない、という最悪の予感さえ芽生え始めていたのだから。
「なんか騒がしいの」
瞼をこすりながら、ディンはレンの右肩から顔を乗り出した。ケイは彼女の怪我を心配しているが、表面上は痛がる素振りは見えなかった。
「感動の対面はいいが、敵が迫っている。今直ぐにでも逃げ出した方がいい」
「おとーさん」
聞きなれない単語で、レンの反応は遅れた。舌足らずの甘い声が耳元で囁かれるように呟かれた。言うまでもなく、発言者はレンの背負うディンである。あろうことか、猫のように顔をレンの頬に擦りつけながら、
「おとーさん」
今度はケイたちにも聞こえたのか、反応は劇的だった。ケイは目が飛び出しそうなくらい目を見開いているし、ゾディアックも驚いているようだ。
「ちょ、ディン!?」
「あ、おはよー。ケイ」
レンの背中の上でディンがもぞもぞ身動ぎした。降ろすべきか迷ったが、彼女の足の怪我の状態がわからないので、降ろしていいものか判断がつかなかった。
「ディン、お父さんとは誰のことだ?」
まだ眠たげなディンを驚かさないように、小声で話しかける。顔のすぐとなりに耳があるのだから、これくらいの音量でも十分聞き取れるはずだ。
「おとーさんはおとーさん」
再び猫のように頭を押し付けてきた。開いた口に細くつややかな髪の毛が入り込んでくる。むせこみそうになりながら、彼女の勘違いを訂正する。
「違う。オレはお前の親じゃないぞ」
「そーなの?じゃあ誰?」
「レン」
名乗りを聞いていたのか、いないのか。ゴロゴロと本物の猫のように喉を鳴らしたディンは欠伸で答えた。
気が抜けるような反応だ。ディンと付き合いの長いケイに視線を向けると、首を左右にした。
「いえ、ディンもこんな性格じゃ無かったはずなんですけど。……確かに不思議なところは有りましたけど、目立つことといえば、いつも眠そうにしていたことくらいで、こんな人に懐くような子じゃなかったはずなんですが」
「幼児退行でもしたのか?」
冗談めかしていってみたが、言葉に出してからその意味を認識し、少し恐ろしく感じた。似たようなストレスからの逃避行動をしていたプレイヤーを、レンは知っていた。この世界に落ちてからの記憶の一部を欠損してしまった少女。思い出せなくなることと、退行は別物だが、どちらもこのカーズドワールドの極大のストレスに晒された結果、という点では異ならない。慣れない異世界の生活は、プレイヤーの心身を明らかに蝕んでいるのだ。
「ハハハ」
場違いな笑声はゾディアックのものだった。
「いいですねえ、兄貴。兄貴は家族が一杯居るじゃあありませんか」
レンの気分が沈んでいることを感じた彼なりの冗談だろう。その心遣いを有りがたく感じるが、あまり悠長に話し合っていることも出来ない。魔王軍はすぐそこまで迫ってきているかもしれないのだ。
「やはりやり過ごすしか無いな。連中の目的はオレたちじゃあない。見つからなければ積極的に攻撃されることはないはずだ。ここはゲームじゃない。なんとか地形を破壊するんだ。縦穴を掘ってそこに潜り込め。ゾディアックは、ハイディングで大丈夫だから、出来れば三人分、最低二人分のスペースの有る穴だ」
採掘や地形変化のスキルがあれば、仕事の能率は上がったのだろうが、あいにくそんなものは存在しなかった。ケイはいつもの剣をつるはしに持ち替えて、必死に振り下ろしている。前衛として筋力の高い彼が今回のキーマンだった。穴掘りの手段など無いレンとゾディアックは作業を手伝っても、足手まといだった。魔王軍の様子を見るための偵察を二人で行う。
ついに魔王軍が気配察知のレーダーに映るほどまで接近してきた。穴を掘るケイに合図する。どうやらノルマの二人分の穴は掘れたようだ。むずがるディンをケイに預け、その穴の中に隠れてもらう。
地響きが足に伝わってくる。レーダーには雲霞のごとく反応が湧き出る。ルールの街で組合が襲撃されっ時以来の反応の多さである。ざっとみても2,300は下らないと思われる。レンたちの隠れている場所目掛けて移動しているわけではない。レンたちを掠めるようにして移動していく彼らの目的は別にあるのだろう。緊張の時間が続く。行列を作り行軍していく魔王軍。彼らが完全に消えるまで、一時間は必要だった。
――完全に彼らの反応がレーダーから消えたのを確認して、レンは土中に隠れていた二人の元に向かった。どこからともなくレンの後ろにはゾディアックが続いている。
「魔王軍は行ったぞ。二人とも大丈夫か?」
「レン!」
穴を覗きこんだレンの顔めがけて、大きな物体が突進してきた。腕で抱きとめることで、直撃は避けたが、反応が遅れていれば鼻頭をぶつけて、かなり情けないことになっていたかもしれない。
レンに抱きついて来たディンに続いて、ケイがムスッとした顔を見せた。
「まあ無事です。それよりもレンさんはよく見つかりませんでしたね。隠れるような場所、無かったじゃないですか」
「まあ……な」
二人を呼びに行く前に、体を綺麗に洗っておいて良かったとつくづく思う。300人分の返り血でトッピングされた姿は、子供には刺激的すぎるだろうから。
「兄貴、それにしても連中どこに向かっていたんでしょうか。直線上には何もないはずですが……」
おおよその地図を思い浮かべてその言葉に頷く。直線の進路上には都市などは存在しない。あえて言うとすれば、始まりの町が少し近いといえるかもしれない。
「オレたちが目指しているのは、組合の集合場所だ。連中、魔王軍もその目的は同じだろう。彼らのほうがオレたちより先に組合を発見した可能性は高い。先ほどの軍はその為に送り込まれたものではないだろうか?」
「あり得るかもしれないです。正直、僕の聞いていた組合の集合地点の記憶も曖昧ですから」
魔王軍はもう居ない。けれど、彼の向かおうとしていた方角は分かっている。レンたちはその情報を当てにして、移動することを決めた。
レンにくっついて離れようとしないディンは再び背負う。そのほうが速く移動できるだろう。本人も嫌がるどころか、嬉しそうにしがみついてくる。ケイの冷眼だけは堪えたが、これは移動効率を最優先した結果なのだ。なにも疚しいことはない。
結果として、その推測は正しかった。始まりの町から離れた山中に彼らは居た。
プレシャス。別れてから、それほど経った訳でもないのに、懐かしささえ感じる顔がレンたちを出迎えた。
山中に逃げ延びた組合員は三人だった。プレシャスと、彼女の部下、それと護衛役の戦闘部隊のウィザード。二人共レンの知らない人だった。
レンが知っている組合員の数のほうが圧倒的に少ないのだが、何故か知人が見つからないことは、レンの心に焦燥を生んでいた。亜貴に貰った魔道具の示した数値によれば、あの魔王軍の襲撃で八人のプレイヤーがこの世界に分かれを告げたことになる。その中の一人は、もしかしたらレンをしつこく加入してきたあの女性かもしれないし、助けようとして助けられなかった土砂に呑み込まれた一人かもしれない。そう思うと、プレシャスが生き延びてくれたことで、少しでもレンの心は慰められていた。
「ディンにケイ、二人共無事でほんとよかった」
レンが道中保護した二人の子供は、プレシャスの知り合いだった。というより、組合にいる間、二人の面倒を見ていたのはプレシャスらしい。他にもこの過酷な世界の重みに耐えられなくなって、リタイアしかけたプレイヤーを何人も、非戦闘部隊として引き取っていて、組合内に彼らの居場所を作ったのもプレシャスだという。
プレシャスはディンとケイを抱きしめ、二人の無事を喜んでいた。子供のように扱われて、ケイなどはむくれているようだが、本心では喜んでいるであろうことは、容易く想像できた。照れ隠しというか、嬉しさの裏返しなのだろう。
レンは信頼出来る人に、拾った二人を預けることができて、ホッとした。当初は組合に預けられればそこで自分の役目は終了だと思っていたのだが、短い間に情が移ってしまったのか、あまり投げやりな対応はしたくない、と考え始めていた。その点プレシャスならばどんな人間か重々承知しているし、信頼もできる。
ディンの足は無事に治った。プレシャスの部下がヒーラーに就いていて本当に助かった。ディンとケイをこのまま彼らに預けても安心だろう。
問題はゾディアックだった。彼が今の今までどの組織にも属さず、フリーだったのには理由があったのだ。
「レン、あんまり人の悪口はすきじゃないんだけどね、うん。そいつ。ゾディアックはベータ時代に悪名を轟かせた殺人ギルドに所属していたやつだよ。しかもそこのエース。組合の中にもその時に殺された人が何人も居たからねー、彼らが強硬に主張したんだよ、『こいつを組合に入れるな!』ってね、うん」
「その女の言うことは事実です。隠していた訳じゃあ、無いんですけどね……。出来れば兄貴に知られる前に、俺の命を使って欲しかったとは思っています」
「そう……か」
レンは元々それほどPKのことを嫌っていたわけではない。
このカーズドワールドオンライン以外でもPKはどのゲームにも居る。それらのゲーム内でPKの存在を知ったレンは、単にそれを災害や事故の一種として認識していた。罪を憎んで人を憎まず、というのとは少し違うだろうか。出来事の裏にいるであろう人間の意志から目を背け、限りなく希釈化、事実をただ事実としてのみ認識することは、レンの心からPKに対する好悪の情を消し去っていた。
だから、PKについてレンは肯定も否定もしない。傍観、中立の立場だった。
しかし、それも過去のこと。
この死んだらどうなるかわからない、デスゲームの世界でレンはMPKによって仲間たちを失った。ゴンという一人のPKの手にかかって消えた仲間たちを見送ったレンは、無力を痛感した。PKに対していい印象を持て、と言う方が無理だった。
ゾディアックに目を向けた。苦しさと悲しさをないまぜになったような、複雑な表情をしている。
「ゾディアック、お前の過去はどうでもいい。一つだけ聞く。オレに近づいたのは騙し討ちにするつもりだったのか?」
「そんな!まったくそんなつもりはありません!信じてください」
ゾディアックの表情が変化し、困惑と悲しみに染まる。その必死な言葉に真実の香りを嗅ぎとったレンは、
「信じる。だったらもう、この話を蒸し返すのは止めだ。……もしオレを殺したいのなら、それはそれで構わない。オレはお前を信じると決めた。それはお前の全てを肯定することだ。例えお前がオレを殺そうと、裏切られたとは思わない。すべての責任はオレ自身にある」
「あ、兄貴……」
「ま、そこまで言うなら外野がやいのやいの言うのは、野暮すぎだよねー。ところで、二人のことは私が責任持って守るけど、レンはこれからどうするつもりなの?組合に入ってくれるつもりになった?まあ、今の状態じゃあ組織は半壊してるから、復興にしばらくかかるんだけどね、うん」
組合の人員は半減したといっていい。プレシャス以下三人の主要メンバーは全員存命であり、むしろ組織はスリム化出来たと言えなくもないのが、唯一の救いだろうか。意外と弱点であった意思決定の遅さが改善されて、魔王襲撃前よりも強固な組織になったのかもしれない。レンは半ば言い訳気味にそう考えた。
「いや組合には加入しない。最初に言った通りだ。GMの情報の責任はこれで取った。もう組合はオレと無関係の組織だ」
「ははは、なんか見捨てられちゃったように感じるんだけど、これは私たちの精神によゆーが無くなっちゃってるだけの錯覚だよね、うん。レンは元からこうするつもりだったはずだし……」
度重なる心労のせいか、悄然とするプレシャスの姿を見ていられなくなったレンは彼女を励ますことにした。似合わないとは自分でも思っているが。
「プレシャス。組合はまだ魔王を倒すつもりなのか?」
「え?ああ。マラークはその気みたいだね。はんぺんは……正直裏切られた思いが強いんだけど、あいつはあいつで昔から変わっていないんだよね。ただ戦いたいだけというか、バトルジャンキーというか。変に理性的だから本質を見誤ってたけどね、うん。だから理事の過半が魔王との対決を望んでいるんだよね。私も非戦を訴えたいわけじゃないんだよ、でも今回の事件でますます魔王が絶対的に見えてきたというか。恥かしい話だけど、戦いの意思を粉々に打ち砕かれたような気分です、うん。簡潔に言うと、ビビってる……のかなー?」
「魔王なんて弱点だらけだ。打倒できないはずがない」
「は?弱点?有るわけ無いよ。最強無敵を地で行ってるんだよ?もし本当にそんなものが存在するんだったら、是非拝聴させて頂きたいよ、うん」
「そうか?ぱっと思いつくだけで両手の指じゃあ足りないくらいだぞ?」
「具体的に教えてよ」
「まずは魔王は人間であるということだな。幾ら強いといってもそれはプレイヤーとしての強さだ。こっちも順当に戦力を強化すれば、まっとうに撃破することが可能だ。闇討ち、暗殺なんでもいい。とにかく殺せば、死ぬ。それは弱点と言っていいだろう?闇の衣を纏っていて、”なんちゃらのたま”を持たないと倒せない――なんて魔王らしい反則じみたチートなんて持っていないんだから」
「まだあるぞ。軍としての弱点だ。魔王はプレイヤーで人外じみた身体性能を持っている。それこそ不眠不休、絶食状態で行軍することだって可能だ。しかし、それに従うNPCの兵士はどうだ?補給も休息も必要であって、それは軍としての常識を超えるものではない。魔王がその強大な戦力を、戦力として運用したいのならば、彼らののろのろした歩みに歩調を合わせなければならない。ある意味足手まといを連れているとも言える」
「加えて、単純に魔王領はでかすぎる。マップ全土を支配するなんて一個人にできるはずがない。それだけ支配域が広いと、全土隅々まで目を行き渡らせることは不可能だ。現に、組合は今魔王に捕捉されていない。あいつにだって限界はあるんだ。ゲリラでもなんでも効果があるということだ」
「でも、それは……」
「まあ聞け。それだけの大事業を一人で成し遂げることは、不可能だ。魔王にも部下がいる。具体的には、魔王の下にいる四天王だな。魔王は指揮権の一部を彼らに移譲している。アイバルクの戦いで魔王軍の判断が早すぎる、と以前言っていたな?将に判断を委ねるということは、それだけの権利を分散させているということだ。離反工作でも成功させれば、魔王の戦力をそぎながら、こちらの戦力を強化できる」
アイバルクの戦いは、組合の拠点奪取作戦に端を発する、一連の魔王軍と組合側の交戦模様の総称である。組合過激派の意見で、魔王軍の支配する街の一つを解放することになった組合は切り込み隊数名を送り込み、警備兵を撃破、一つの街を陥落させることに成功した。組合襲撃の報が魔都に届いた頃には、すでにアイバルクは組合の手に落ちていた。その時点で派遣された魔王軍増援の任務は、都市の防衛強化だったはずだ。侵入者の組合員を追い払い、抹殺することも命令に含まれていたかもしれない。どちらにせよ、都市奪還の任を帯びていたはずはないのだ。そのはずなのに、指揮官の独断のような形で、魔王軍はアイバルクの街に攻め入った。これで、少なくともある程度の現場の判断の自由を魔王は与えていることになる。
これが、レンの指摘する権力の分散である。ただ、これはあくまで空論であり、指揮権があったとして、その指揮官が魔王を裏切って組合に入るかどうか、というのは全くの別問題だった。
「抽象的な話でも良ければ、まだまだあるぞ。魔王が広大な領土を持っているという事は、恐るべきことのように感じられるが、これを魔王との一対一の対戦ゲームだと考えると、魔王の弱点としても見ることが出来る。このゲームが陣取りだとして、全ての陣地を手中に収めた魔王は、もう攻める場所がない。反対に守るべき場所は無数に存在する。必然的にその体勢は守りを意識したものにならざるをえない。今の魔王は守勢に入っているんだ。為政者として君臨する以上仕方ないことではあるが、そこにつけ込むことはたやすい。どこでも攻められるこちらと、全てを守らなければならない魔王。有利なのはどちらなのか、一目瞭然だろう?」
「……ところどころ反論したいところはあったけど、すごく意外な気分だよ、うん。絶対無敵で逆らうことさえ許されないような、あの魔王が弱点だらけなんて……。しかも、そのどれもがどうして私達が気づかなかったのか、という位簡単なものばかり。本当にどうして気づかなかったんだろう?」
「その理由こそが、オレが組合を嫌う理由だよ。プレシャス」
「え」
「魔王を一人のプレイヤーだと考えるのを、無意識のうちに避けていたんじゃないか?」
「なにを……」
「そもそも、だ。一体全体、誰が彼女を魔王と呼び始めたんだ?彼女も元はただのプレイヤーの一人だったはずだ。少しばかり陰謀の規模が大きくて、赤子の手を捻るように容易く王国の政治機構を乗っ取っただけじゃあないか。たかがそれだけで何故、魔王だなんて仰々しい渾名が付けられたんだ?」
「魔王という呼び名は……。正確には誰が呼び始めたかは定かじゃない。でも、私達組合発祥だというのは分かってる」
「魔王は……。魔王という名は、この世界に閉じ込められたプレイヤーたちにとって特別な意味を持った言葉だったはずだ」
この人造世界において、運営側からのメッセージは意外なほどに少ない。
ゲーム開始のアナウンス。
一人目のPKを成し遂げた時に現れると言われるメッセージ。
潜伏し、プレイヤーの中に紛れ込むGM。
この世界を抜け出す方法は二つ。自分以外のプレイヤーを全て殺し尽くすか、魔王を打倒するのか。前者は道徳的にある厳然と立ちはだかる壁を踏破しなければ、到底達成は不可能な目標だ。そうすると、基本的に後者のみが脱出方法として、有力なものになる。
けれど、魔王は姿を見せない。その存在すらあやふやで、探しても探しても噂さえ耳に入らない。
そんなむしゃくしゃを彼女にぶつけているのではないか?
人身御供として、彼女に魔王というレッテルを貼り付け、都合よく敵視しているのではないか?
更にあろうことか、人を殺すという覚悟を持てないために、彼女を魔王と断じ、罪悪感をごまかそうとしているのではないか?
レンは長い放浪生活で、敵対を続ける魔王軍と”勇者互助組合”を第三者的に観察してきた。その観察結果がこれである。レンが組合を嫌う理由もここにあった。
偽善、ごまかし。
欲望をむき出しにした魔王と違い、組合はその醜さを虚飾で隠している。そう、思ったのだ。
「それは、違うよ……違う……」
レンに浴びせられた言葉の強さに打たれたように、プレシャスは震えていた。呟く言葉は今にも消え入りそうなほど弱々しく、目尻には薄っすらと涙の粒さえ見て取れた。
レンが組合に抱く悪感情は、嘘偽りのないものだが、それをすべてプレシャスにぶつけるのも筋が違う。本格的に泣き出しそうなプレシャスの姿に罪悪感を感じた。
おかしい。こんな筈ではなかったのに。最初は彼女を慰めようと考えていたのに……。
「そうだ。聞きたいことがあったんだ」
「な、何かな?うん」
涙と激情を懸命に堪えながら、笑ってみせるプレシャスは被虐的にたまらなく魅力的で、そんな趣味のないレンでさえも、その道に引きずり込まれそうになった。
突如湧き上がる欲情を押し殺し、レンは大事な質問をした。
「組合に所属していたヤマメとメフィストフェレスというプレイヤーの行方を知らないか?」
「ごめん、生きてることだけは分かるんだけど、行方はわからない。組合も気にしてるんだよ」
知らない、という反応を予想していたレンは驚いた。それに彼女の言葉にも違和感を感じる。壊滅寸前まで追い詰められ、四散した組合に、構成員の生死を把握出来るだけの機能が残っているのか。レンの疑問は、プレシャスがアイテムストレージから取り出した銀盤で氷解どころか沸騰した。
13/21
「組合員の生存者数。あの装置を参考にして作ってみたんだ。亡くなった八人は全員誰か判明しているけど、その中にヤマメとか、メフィストフェレスの名前はなかったよ、うん」
「すごいな……。魔道具を見せたのは一瞬だったのに、こんなものまで作ってしまうとは……」
「所詮二番煎じだからねー、うん」
どうやらプレシャスも幾分元気を取り戻してきたようだ。いつもの調子が出てきた。
今この場にディンとケイは居ない。レンとプレシャス、そしてそれぞれの後方に控えるゾディアックと、組合の護衛者。
「プレシャス……良くないニュースがあるんだが」
だからレンは、魔王軍がすぐそこまで迫っていたことを告げた。そしてそれらを既に全て撃滅したことも。
ここを移動した方がいい、というレンの助言は受け入れられ、ディンとケイを含む五人はこの山中を慌ただしく離れることになった。
「本当にお世話になりました」
ケイが深々と頭を下げた。そのとなりのディンは瞳をうるうるさせていた。
「レン行っちゃうの……?」
「ああ。もともと組合に送り届けるまでの約束だったしな」
「やだ、いかないでよ。一緒にいて」
「ディン、ワガママを言うとレンさんが困っちゃうよ」
「やだー!」
ついには泣き出してしまったディンをケイが必死に宥めていた。ケイがちらりとレンに目配せした。
「抑えている間に早く行け」
レンは有りがたくその申し出を受け、二人に別れを告げた。
「じゃあな、二人共。生きていればまた会うこともあるだろう」
返事も聞かず、そそくさとその場を後にする。振り返ると、ゾディアックの姿があった。彼は二人との別れをごくごく簡素に済ませてしまっている。あまりの淡白さに、レンでさえ驚いたほどだった。
「兄貴、行きましょうか」
特に行き先は決まっていないが、レンは一度魔都の近くまで行ってみようと考えていた。そうでなければ、神殿へと向かうか。それぞれヨルムンガンドとヘルのいる場所だ。既にレンは神獣の一角、フェンリルを倒してしまっている。その事はもしかしたら、この世界中に広まっているかもしれない。何もしなくても厄介事が舞い込んでくる事は、目に見えていた。
(それに、ヤマメたちのこともある……)
ヤマメに真意を問いただしたい。その思いは、胸の奥で小さくくすぶり続けていた。レンが動きまわっていれば、あちらから接触してくるかもしれない、と漠然と思った。
最後に、世話になったプレシャスにも別れの挨拶をした。
「繰り返しになるが、二人のことは頼んだぞ」
「任せてー。ま、私の目の黒いうちは二人に手出しさせないからー」
「ありがとう。そういえば、もう一つ聞いてみたい事があった」
「井の中の蛙大海を知らず、という諺は知っているな?そのカエルが大海を知らないほうが幸せ、というのはどういう意味か分かるか?」
「え?どうだろう……。普通に考えれば、大海を知らずに井戸の中で満足していたカエルが、外の世界を知ってしまったことを後悔している、という風に取れるけど……。元々井戸の中で満足できていたのに、上には上がいることを知らされてしまって、絶望?みたいな感じかなー、うん」
プレシャスの解釈を聞いても、ヤマメの真意はわからなかった。まず、そのカエルがヤマメ自身を指しているのか、それともヤマメの知り合いの事を指しているのかすらも分からない。
(これは本人に聞いてみるしか無いな)
ヤマメのあの辛そうな顔は、レンの瞼の裏に張り付き、何時まで経っても薄まることはなかった。




