63話 月見
久我為幸、いくら攻撃しても再生し、無敵のように思えたそいつが血を吐いた。
膨張した体で俺のつけたヒビは隠れたが、やっとダメージが目に見えてきたんだ。
「美玲たちがこれを……!」
シャスティが言っていた大規模な術式の解体、それがこの結果につながったのか。
なぜか、なんていうのは今はどうでもいい。みんなが頑張ってくれたことで光が差したんだ。
「よし、攻撃を続け――」
「はーい、レイちゃんストーップ」
俺が剣を構えると、後ろから月城がそれを止めた。
「えー、レイちゃんには今からその灰をこれ以上生み出すことを禁じます」
「はあ!?」
「まま、落ち着いて……あたしのとっておきを使うから、さ。また時間稼ぎしてほしーの。そっちの力も温存してほしーわけ」
とっておきに、また時間稼ぎ?こいつ何しようとしてんだ。
「……その力に代償がないとも限らないのに、バンバン使うもんじゃないでしょ」
代償、そうだ。確かにジェームズは代償が伴うと言っていた。すぐにほいほいと使うのはまずい。
「あ、あたしが倒れたらよろしくねー」
「は、倒れるだって?」
月城はなんてことないように言うと、メガネ越しに月を見た。
すっかり暗くなった空に浮かぶ、黄金に輝く丸い月、それに吸い込まれるかのようだった。細く鋭い目には、乾いたような感じがした。
まるで、何かを決意したような目だ。電話越しの冷たい声をしていたあの月城が姿を現したようだ。
「――ふう、集中……」
これは、ただ事ではない。
「……分かった」
あいつを止めるべきじゃない。俺と同じ、覚悟の目をしてる。
「私も了解。あいつ、もう動きそうだし、気を引き締めてよレイジ!」
シャスティの喝でまた気合を入れなおす。こいつは受け入れまでが早いな。
……やるしかない。すでに作った灰の剣で久我に対処しよう。
「血か。まさかあの男、なにか変なことをしているのか、それとも失敗かな?」
「どうやら急いでこの場を治めないといけないらしい」
久我はそう言うと、俺たちを見る。
少しずつ余裕はなくなっていそうな雰囲気はある。
「できれば話し合いたいのだが、どうやら何か良からぬことを企んでいるようだし、僕にも急用ができた」
「すまないが、少し荒っぽくさせてもらうよ」
俺は本能のまま、腕で防御し、月城と久我を結ぶ直線上に飛び出た。咄嗟の反応だった。
破裂にも似た音、それが久我の移動音と認識するよりも先に聞こえた。
地面蹴った音かよそれが!
「ッ!」
衝撃。腕に電気を流されたような振動と痛みが走る。よくこれだけで済んだなこれ!
「はぁっ!」
俺が攻撃を受けると同時に、シャスティが空中に浮かべた光の矢を久我の腹部に発射した。
先生の術式によって近くの道路の縁石が久我の足元に現れ、久我が姿勢を崩す。矢はそれによって命中した。
普通なら痛みでまともに動けないような状況でも、やはり久我は変わらない。
一瞬で矢を引き抜き、その穏やかに見える目で月城を見つめている。
すぐ近くの俺とシャスティよりも、月城の方が危険だと判断したようだ。
「――――」
月城は座り込み、月を一心に見つめている。
周囲の魔力を少しずつ目元に集中させているようで、さっき久我が突進しようとしていたのにも気づいていないみたいだ。空気が冷たく感じるうえ、やけに月城に意識が向かう。
本当に何をしようとしてるんだ?
「でも、任せるって決めたからな……!」
俺は右手に持った剣で久我の手を切りつける。
シャスティは俺が切りつけた両手を繋ぎ合わせるように、矢で腕を串刺しにした。
「本当に厄介だね」
久我は両腕が串刺しにされたまま、月城に向かおうとする。
これまでのように攻撃された部位を切って再生だとか、そういうこともしない。
それどころか、どこか再生速度が遅くなったり、最初につけたヒビの辺りが見えやすくなっている。
「――――」
月城の周囲に集まる空気がさっきより冷えている。
それに動悸がする。心臓が締め付けられ、息が浅くなっていく。
冷たく惹きつけ、周囲を圧する魔力が、だんだんと空気を震わしているようだった。
「なにあれ……意味分かんない。魔力の変換……ちがう、何を……」
シャスティが月城を見て信じられないものを見る顔をしている。
だからといって久我に対する妨害を緩めることはない。何をしているのか分からなくとも、俺もシャスティも、月城の策のために耐え続ける。
――そして、その時がきた。
静寂の中、月城がその瞳を久我に向ける。冷たく、乾いた、まっすぐな瞳だ。
その瞳は空に浮かぶ月のような黄金だった。
「『ゆゆしき月、ゆかしき月、汝をめづ、汝見たりける――』」
月城が片手を振りかざす。
「『――狂か現か、汝が理』」
か細く、しかしハッキリと聞こえる声。その凛とした呪文が最後まで紡がれた直後だった。
「――!? ぅおごぁが? いいぐぇ?」
久我に異変が起こった。
自らの頭を抱え、何かを払うように振ろうとした。
それでも月城から目を離せなかった。
久我だけじゃない。俺も、シャスティも、先生も、紫ですら、月城を……月を見ている。
月城本人の目線は久我に向いている。まるで月が見ているようだ。
「……ごほっ、ごほっ」
だが、月城が咳をして膝をついた瞬間、その場の全員がふっと解放されたように息を吸い込んだ。
月城は意識を失い力なくその場に倒れた。
「もう、終わりかな? 頭がおかしくなりそうだったな」
久我が頭を押さえながらもゆっくりと立ち上がり、額の汗をハンカチで拭った。
「おかしくなりそうって、お前はもともとおかしいだろ!」
「そうそう! 何普通ぶってんだか!」
俺も、シャスティも、なんとか久我に向き直る。月城のとっておきがどんなものか完全にはわからないが、効いているはずだ。
また消耗させて倒す!
そんな俺たちの言葉に対する久我の態度は、どこか前と違うものだった。
「僕がおかしいだって?そんなことはないさ。僕の感性が違うのはなにも変なことじゃない。十人十色、多様性というやつさ」
言葉が完全におかしいとかではない。表情の余裕が減って、身振りが激しいようだ。
目も泳いでいて、さっきまでと同じ人間と思えない。
「普通のやつはそんな体じゃねえし、人を殺さねぇ! 多様性を免罪符にすんな!」
「いや僕は普通だ。普通に生きていける。やめてくれ、もうこれ以上はよそう。君たちもこんな争い、望んではないのだろう。一旦冷静になってくれないかい?」
「その武器をしまってくれないかい。まだ話し合えるはずだ。僕たちには語り合う知能がある。ほら、もうよそう、ね?」
妙だ。自分が絶対正しいと押し付けてくるようだったあの久我に、少しずつ必死さが見えてきた。
動きもおかしい。何かにおびえるように、足が一歩、また一歩と下がっている。そしてしりもちをついた。
「なにが語り合う知能だ。私たちの紫を人質に使っといて!」
シャスティが矢を生成して空中に構えると、久我は呼吸を荒くしていった。
なぜか抵抗しようとしない。いや、まるで非力な一般人が命乞いをするかのように、ただ後ろに手をついて下がるだけだった。
もう戦闘が終わった。そう思った。
「待て、こんなこと、やめるべきだ。まだ足りないんだ。僕は生きなくてはいけない……知らなくてはいけないんだ……!」
生きなくては?知らなくては?
人を殺して、幸福だの言うやつが、こいつ、こいつ!
「どの口がいってんだ! お前! 先輩も、三好さんの旦那さんも、他の人も! 生きなくちゃいけなかっただろ! お前、お前だけが見逃されると、本気で思って……!」
「待ってくれ、頼む。後生だ。誰しも間違えることはあるだろう?」
……………………倒すなんて、曖昧な言葉で逃げるのはやめだ。
「……お前はもうだめだ。殺す」
「レイジ……!」
横でシャスティが目を見開いた。俺の肩に手を置くと、目を合わせてくる。
「レイジはそれでいいの? 殺すって、命を奪うってことだよ! こいつと同じ手段になっちゃう!」
「まだ分かってないことだってある! 今やったら……!」
肩が揺らされる。シャスティが背を向けても久我が攻撃をする様子はなかった。
それどころか久我の体は徐々に人間のものへと戻っていた。ヒビでボロボロな体が不気味だった。足の方にも浸食したヒビによってうまく歩けないようだ。
「…………」
確かに殺すことは、久我が幸福を得ようとした行為そのものだし、背後にいるであろう「おじいさん」の正体だってわかっていない。
でも、こいつを否定しないと、殺された人が、俺が納得できない。
「俺は、正義じゃない。こいつの存在は否定しなきゃだめだし、俺がそれをすべきなんだ」
「なんで……」
シャスティはそれでも立ちふさがる。
その時後ろから声がした。
「天野君」
「……先生」
紫を抱きしめて俺らの方を見せないようにしながら、来夜先生が静かに俺を呼んだ。膝の上には月城も眠っている。
鼻から垂れた血はすでに渇いている。口元にも血の跡があった。
「先生も、止めますか」
「……先生としても、大人としても、本当は私は止めないといけない」
「でも、私としては、ティアラの仇を討ってほしい」
先生の切り詰めたような表情、すこしうるんだ瞳。この人も善人ではないんだ。
「先生まで!」
シャスティが叫ぶ。
すると、紫が先生の腕を払うようにして振り返り、俺の目を見た。
「うちは、殺しちゃだめだと思う」
「殺したら、殺されても文句が言えなくなっちゃう」
紫からは言いながらも、止めようとする気は見えなかった。
「そうだ。父さんも、母さんも、いっくんも、ゆみちゃんも、君が僕を殺せば悲しむだろう!? それはよくない。絶対によくない……! 人はみな不幸になるべきではない……! そうだろう!」
シャスティや紫に合わせるように久我が減らず口をたたく。
「……」
殺しちゃいけない。理屈では分かる。でも、ここで見逃して逮捕されたとして、俺の気は晴れるのか?
その終わりに納得できるか?
「――でも、やっぱり俺はこいつを殺す」
心臓から湧き上がる激情もある。けど、これは俺自身の選択だ。
俺は俺の敵を否定する。俺の日常のために、俺が俺の時間を過ごすために。
「……わかった。レイジ」
シャスティが優しく語りかけてきた。
手を握った後、俺の額に人差し指を立て、3回円を描いた。
「私も一緒にやる。もし、罰を受けることになっても、神様に指をさされても、二人のが心強いでしょ」
「私たち、共犯者だもん」
悲しく、優しい笑顔だった。
「な、なんで、いくら共犯者って言っても、そこまで背負ってもらうのは……」
「それに、やっぱりなんでそこまで言ってくれるのか、俺には分からない」
シャスティと話した夜、シャスティは『なんとなく、私とレイジは似てる気がするから』としか言わなかった。
それにいくら仲間といっても、まだ出会って数か月の仲だ。意味が分からない。
「前言った通りだよ。それに、いつか私はゼダを殺す。レイジを止める理由はあっても、私が止まる理由はない」
「悪を許せないのに変わりはない」
シャスティは覚悟を決めたように深呼吸し、魔力でナイフを作り出した。
魔力で作られたナイフ。久我の肉体の硬さも再生能力もほとんど失われている。さっきまでの戦闘ではまるで役にたちそうにない、消耗品のナイフ。
ただの人間を殺すには十分なものだ。
「じゃあ、一緒に頼むよ」
「うん、一緒に」
二人でナイフの柄を持ち、久我へ近づく。
「ああ、だめだ。僕は、死にたくない。そう、死にたくないんだ。頼むよ……僕が悪かった……社会的に罪であることは分かっていたんだ……ほら、その手に持った物を置いてくれないかい……」
「きみも、ひとをころしたくはないだろう?」
久我はまだ、保身に走る。
嘘で隠した自分、本来の久我がこれなんだ。
「人を殺したくない? そんなの当たり前だ。でも、それをお前が言うな」
「俺は、お前を否定する。お前が幸福のために人を殺すなら、俺は不幸にならないために、仇を取るためにお前を殺す」
「死ね。久我為幸」
二人で、ゆっくりと、久我の心臓に刃を突き立てる。
刃がぼろぼろの体にすんなりと刺さっていく。
それでも肉が深くに進むのを防ぐ。重く、生き物の命を奪う感覚が手に、脳裏に刻まれていく。
シャスティの手が、微かに震えていた。
「ごふっ……」
久我の口から血が噴き出す。言葉を紡ごうにも血が発語を邪魔してうめき声しか聞こえない。
そして、ピクリとも動かなくなった。
月明かりに照らされ、俺たちの影が死体に重なった。
俺は、シャスティは、久我為幸を殺した――。




