身の程を知るがいいと婚約破棄された元子爵令嬢は、王国を救う〈蓮の聖女〉でした《身の程を知れシリーズ2》
「身の程を知れ」シリーズ第2作です。
前作を読んでいなくても、この作品だけでお読みいただけます。
「身の程を知るがいい、フェアリ・フロバレラ、婚約破棄だ!」
舞踏会の入り口で婚約者を待っていたら、知らない令嬢と馬車から降りてきて、息つく間もなく私に婚約破棄を突きつけた。
「俺にはお前の子爵家よりも、伯爵家が相応しいとわかったんだ」
「……よくわかりました」
一瞬呆然としたけれど、次々と馬車が到着する場所で、立ち尽くすわけにはいかず、私は必死に心を抑え、すぐに自分の馬車に乗り込んだ。
私の婚約者だった男は、裕福な伯爵家の跡取り令嬢に目が眩んだらしい。
望んだ婚約ではなかった。父が病に伏し、急いでまとめられた婚約だった。
あれから、お父様とお母様は流行り病で亡くなった。
散財を続けた子爵家を立て直すことはできず、私は屋敷も家財も売り払い、使用人たちへ推薦状を書いて送り出した。
そして、子爵位を王家へ返上した。
私は王宮へ召された。
「フェアリ・フロバレラ子爵令嬢、近年の子爵領運営は其方がしていたと税務長官から報告を聞いている。
領地の薬草、花の栽培などの功績は失くすには惜しい。
どうだ、こちらで縁組を用意するので子爵を継がないか」
「陛下、ありがたきお話ではございますが、領民のためにも、王家の直轄地に加えていただきたく存じます。
薬草は価格が釣り上がれば民の健康にも影響が出ます」
「それがわかっている其方に領地を任せたかったのだが、決意は変わらぬか」
「謹んで御辞退したく、心よりお詫び申し上げます。
陛下にこのような事を申し上げるのはどうかと思いますが、わたくし、もう領民のために力を振り絞れないのです」
玉座にいらっしゃる陛下にも、きっとわかったはずだ。
流行遅れのドレス、傷んだブロンドの髪、日焼けした肌、荒れた手指。
どれをとっても、由緒ある子爵家令嬢には見えない。
それでも所作だけは子爵令嬢のままでいることが、かえって憐れに見えたかもしれない。
「わかった、それと婚約破棄は間違いないか、モウケーレ男爵家から次男と其方との婚約破棄の書類が出ておったが」
「間違いございません、お手数をおかけいたしました」
「うむ、手続きは無事に終了しておる」
「これまでのフロバレラ家へのご厚情に感謝を込めまして、御前を失礼いたします」
私は最後のカーテシーをした。
王の前に立つのは、これが最後だった。
そして私は平民になった。
◇
三ヶ月が過ぎた頃、私の暮らしも何とか様になってきた。
王都を離れ、ようやく辿り着いた魔獣の森に近い町で暮らしていた。
昼は治癒院で治癒師として働き、浄化魔法で魔石に魔力を込める仕事もしている。
夜は騎士団御用達の食堂で働いていた。
この町には冒険者向けや騎士団向けなど、いくつもの食堂がある。
私は貴族時代に身についた所作と薬草の知識を買われ、優しい女将さんのいるこの店で働くことになった。
「おかみさん、最後のお客さんがお帰りになりました」
「あいよ、今日もお疲れだったね、フェリちゃん。
入り口を閉めてくるから、いつものを作っておくれ」
「また、あれですか?」
笑いながら厨房に入る。
「そうだよ。あれを食べると疲れが吹っ飛ぶんだよ」
私が作る賄いは、薬草を使った薬膳料理だった。
疲労回復によく効くと、おかみさんのお気に入りになっている。
薬草を刻み始めた時、おかみさんの声が入り口から聞こえてきた。
「今日は店じまいなんだよ」
「女将、少し休ませてもらえないか」
「あれ、あんたの連れ、怪我してるのかい?」
「すまない」
「ちょっと待ってな。フェリ、フェリちゃん、ちょっと来ておくれ」
私は薬草を置いて店の入り口へ向かった。
「あ……これは酷い」
血に染まったローブの魔法師を、もう一人の魔法師が抱えるようにして立っていた。
「治癒師です。お二人ともお怪我を?」
「私は大丈夫だ。こっちを頼む」
無事な方の魔法師が仲間のローブを脱がせると、その下の服は焼け裂け、ただれた皮膚から血が滲んでいた。
「もしかして……ポーションは効きませんでしたか?」
「……なぜわかる」
「…これは『不浄の捕食者』ゴルグロムです」
「ゴルグロム?」
無事な方の魔法師が聞き返した。
私は魔法師に頷いて、おかみさんに声をかけた。
「おかみさん、お湯を沸かして、リネンをたくさんお願いします」
「あいよ」
「魔法師様……ここで見たことは、どうか口外しないと約束してください」
「わかった、約束する……それで…助かるのか」
「はい、必ず」
私は厨房の奥の薬草棚から必要な薬草を急いで選んだ。
「おかみさん、お湯が沸いたら、この薬草を全部入れてこっちのリネンと一緒に煮立ててください。
こちらの薬草は別の鍋で、紫色になるまで煮出してもらえますか」
「わかったよ。でもフェリ、無理するんじゃないよ」
「ありがとうございます、大丈夫です」
鍋を任せて魔法師のところへ戻り、傷ついた魔法師を見つめた。
「火魔法をお使いですね」
「……なぜ、それまでわかる」
無事な方の魔法師が、息を呑むように言った。
「ゴルグロムは薬草を食べ、その薬効を毒へ変えて唾液として吐き出します。その毒には普通のポーションは効きません。
火魔法を持つ方は毒の回りが少し遅くなるだけです」
私は答え終えると、傷ついた魔法師の前へ静かに跪いて手を体の上にかざし、息を整え一気に詠唱した。
「泥よりいでし一輪のつぼみ、
汝を頼るこの者を清め祓え、
大輪の蓮となれ
──ロータス・ブルーム!」
手のひらから純白の光が溢れ、一輪の蓮のつぼみが現れ天井に浮かぶ。
やがてつぼみが膨らむと、花びらが一枚ずつ開き、透き通るような純白の大輪の蓮となった。
その光が魔法師の体を包み込む。
浮かんだ蓮から金色の粉が全身に降り注ぐと、傷口から黒い靄が立ち上って霧散した。
そして、光も蓮も消えていった。
「……ん」
「アルトリウス、気がついたか」
「……助かったのか」
「ああ」
アルトリウスはゆっくりと身を起こそうとして顔をしかめた。
「毒は浄化できましたが、失った血までは戻りません。どうか無理をなさらないでください」
アルトリウスは驚いたように私を見つめた。
「……君が…助けてくれたのか」
その紫の瞳が、私の目をじっと見つめる。
「……水色の瞳?」
「アルトリウス?」
隣の男が声をかける。
「……礼を言う。命を救われた」
その時、食堂の扉がたたかれた。
おかみさんが扉を開けながら声をかける。
「すまないね、今日は店じまいしちまって」
扉の外には、数人のローブ姿の魔法師がいた。
「連れの者が世話になっているかと」
怪我をしていない男が軽く手をあげ外の者達に合図をする。
「女将、治癒師殿、世話になった。せわしいが私たちは王都に戻らねばならぬ、礼は改めて」
アルトリウスと呼ばれた男も、もう一人に支えられて立ち上がった。
「治癒師殿、感謝する。改めて礼に伺う」
「道中お気をつけて、あ、あの少しお待ちになって」
私は急いで厨房に戻り、紫色になったポーションを瓶に詰めて、薬草で煮出したリネンを絞って油紙に包んだ。急いで処方を書く。
「これを、お持ちください、この毒に効果のあるポーションと傷口の湿布です。処方と薬草の内容はこちらに書いてあります」
「かたじけない」
そして魔法師達は去った。
◇
王都に帰る馬車の中でアルトリウスは、傷跡を押さえながら、もらった羊皮紙を広げた。
《湿布は一日二回交換、
ポーションは一日四回、添付の小さじ一杯。
飲んだ時に、ご自身の火属性の魔力を巡らせるようにすると効果があがります。この用法はゴルグロム毒限定》
「アルトリウス、あの治癒師はなんだ?」
「……この用法の書き方、羊皮紙が手に入る治癒師…」
アルトリウスは羊皮紙を見せた。
「これは貴族が使う羊皮紙だ、それにこの洗練された文字」
魔法師は、ほぼ貴族。
魔法は貴族家代々に受け継がれる能力。
「魔法師である私たちに、あれほど自然に応対できる平民は少ない」
「うむ、いくら緊急とはいえ、我々と普通に会話できるものは存外に少ない、それに私はゴルグロムと言う魔獣に覚えがない、にも関わらずゴルグロムの特性を熟知していた」
「そんな事まで?」
「お前が気を失っている時にな。それにあの魔法はなんだ、
口外するなとまで言って助けた、魔法師団の蔵書にもない、そんな光属性の貴族家も聞いた事がない、王都へ戻ったら禁書庫を調べるか」
「希少な光属性の浄化魔法、もしあの者が行方をくらませたら?」
「見張りは二人残した、少し休め」
アルトリウスは馬車に揺られながら幼き頃の夢を見た。
――輝く純白の光。
大きな蓮の花弁が開き一瞬で体の毒が抜けていく、心まで温かくなったあの光の花を、私は知っている。ロータス・ブルーム!と可憐な水色の瞳の少女が唱えていたあの日――
◇
魔法師達を見送ってから、私は、ロータス魔法を初めて使った十二年前の出来事を思い出していた。
幼い頃、一人の男の子を助けたことがある。
銀色の髪に、紫色の瞳。それ以外思い出せない。
……まさかね。
「フェリ、大変だったね、遅くなったけど、夕食にしようか」
「女将さん、ありがとうございました。じゃあ薬膳作りますね」
「今度こそ店じまいだよっ」
◇
王都へ戻ったアルトリウスたちは国王に報告し、その足で王宮の禁書庫へ向かった。
ゴルグロム。
魔法師団の通常の蔵書には、その名すら残されていなかった。
記録があるとすれば、禁書庫しかない。
二人は手分けして古い書物を探し続けた。
「近年の討伐ではない。父上もご存知なかった」
「となれば、先代から陛下へ引き継がれていない。先々代より前を探そう」
「それと、ロータス・ブルーム。蓮の花の浄化魔法などやはり聞いたことがない」
「殿下、実は……」
「なんだ」
「あの魔法を知っています。私は幼い頃、あれで助けられたことが」
王太子が顔を上げた。
「ずっとその時の少女を探しているのですが、どこで、どんな状況だったのかが思い出せない」
「いつ頃の話だ」
「六、七歳の頃かと。その少女に、いつか迎えに行くと約束したことは覚えているのですが」
「食堂の女性ではなかったのか」
「水色の瞳が似ているような……違うような……」
「まあ、焦るな」
しばらくして、古い魔獣討伐史を開いていた王太子が声を上げた。
「アルトリウス、あったぞ。四代前のロナジウス国王の治世、百二十年以上前だ」
古びた頁には、こう記されていた。
《ロナジウス王の治世、王国の一部でゴルグロムが大量発生。
薬草を食らい、その薬効を毒へ変換する魔獣。繁殖した土地は毒に侵され、通常の浄化魔法では回復不可能。
幼生時には葉の裏、茎と葉の付け根に隠れて育つ。中期には緑色――。
その討伐には、蓮の聖女が浄化を担った。蓮属性ロータス・ブルーム及びヴァルフレア・ノヴァ――》
「蓮属性?にヴァルフレア?」
王太子とアルトリウスが顔を見合わせた。
「お前、ヴァルフレア侯爵から何か聞いていないか」
「聞いていません。なぜ、うちの家名が……」
「ロータス・ブルーム……ヴァルフレア・ノヴァ……」
アルトリウスの脳裏に広がる純白の光、幼い頃と数日前の光。
さらに書物を探していた王太子が声を上げた。
「あった! これだ、秘匿魔法属性書」
《フロバレラ家の女系にのみ受け継がれる蓮属性。浄化魔法、ロータス・ブルーム。蓮の聖女として王家で庇護。
領地の中央に広大な池があり、王国唯一の壮大な蓮の群生地を有する。フロバレラ家は代々薬草の栽培を担い、領外への持ち出しを禁じられた種や苗が存在。
薬効の高い種苗の一部にはゴルグロムが寄生することがあり、それを抑制可能な魔法が、唯一の蓮属性魔法ロータス・ブルームである――》
子爵家でありながら、フロバレラ家が長く王家の庇護を受けてきた理由もそこにあった。
しかし、最後にゴルグロムが大量発生したのは百年以上前。
長い年月の中で、その理由を知る者はいなくなっていた。
「では、あの治癒師は……」
「フェアリ・フロバレラ」
王太子が答えた。
「三ヶ月前、自ら爵位を返上したフロバレラ子爵家最後の令嬢だ」
アルトリウスは目を閉じた。
――蓮の群生地。
その言葉とともに、途切れていた記憶が蘇った。
純白の蓮が見事に群生する広大な池。
祖父に連れられて行った場所。
池の小魚を追って一緒に遊んだ、ブロンドの髪に水色の瞳の少女。
池の中の水草も薬草だと聞いて、二人で覗き込んで水をかけ合った。
十二年ぐらい前だったか。
そうだ、フェリと呼んでいた。
「フェリ……フェアリ」
その時、アルトリウスの目が別の記述で止まった。
「ん?これは……ヴァルフレア家?」
そこには、ロータス魔法とは別の秘匿魔法が記されていた。
《ヴァルフレア・ノヴァ。
ヴァルフレア侯爵家、直系男子のみに伝わる特別な火魔法――》
現侯爵でさえ使ったことのない魔法だった。
◇
その頃、王都へ急報が届く。
ゲロバイヤ伯爵領で、正体不明の魔獣が大量発生した。
薬草畑から始まった被害は瞬く間に広がり、魔獣は唾を吐き、かかったものは全身が爛れて死に至る、伯爵領の民も土地も毒に侵されていた。
報告を聞いたアルトリウスと王太子は顔を見合わせた。
「ゴルグロムだ」
すぐに国王へ禁書庫で調べた内容が報告された。
「では、討伐にはフロバレラ家のロータス魔法が必要だというのか」
「はい。そしてヴァルフレア家の火魔法も」
国王はしばらく考え、命じた。
「フェアリ・フロバレラを王命で迎えよ」
その名を聞いた瞬間、アルトリウスは立ち上がっていた。
「私が迎えに参ります」
◇
あれから魔獣の森がある町は、日常に戻っていた。
治癒院の仕事を終えて食堂へ向かっていた。
食堂の近くの街道沿いに馬車が停まり、たくさんの馬が休んでいる。
馬車には、どこかで見た炎に剣の紋章。どこの貴族家だったかしら?大きな討伐隊だわ。
食堂の前におかみさんが立っていて、私が手を振るとおかみさんが小走りでこっちにくる。
「フェリちゃんっ、大変なんだよ」
「おかみさん、ほんと、凄い討伐隊が街道脇に…」
「違うんだよ、フェリ、来てるんだよ、この前の」
「この前の……?」
おかみさんの後ろから、ローブを翻して魔法師が大股で歩いてきた。
ローブの胸元には、馬車と同じ紋章。
「アルトリウス・ヴァルフレアだ」
そして彼は私の前でサッと跪き、顔を上げた。
あの夜、私が助けた魔法師様だった。
「あ、アル、ト、リウス様?」
「フェアリ・フロバレラ嬢」
平民になった私を、彼は以前の名で、微笑み呼んだ。
「私は、あなたを迎えに来た」
「……迎えに?」
「フェリ……アルトだ」
その名に、遠い記憶が小さく跳ねた。
アルトリウス様の紫の瞳に秘められた魔力。
さらりと束ねられた銀髪には水色の髪紐、少し短い…。
大人の男性が結ぶには少し短いそれは、子どもの頃、私が渡したものだった。彼はそれを、当然のように身につけていた。
「これを、遅くなってすまない」
彼は、小さな箱を差し出した。
「私に?」
「約束しただろう?」
箱を受け取り開けると、中には、深い紫色の髪紐が入っていた。
私は息を呑み、彼を見る。
アルトリウス様の紫の瞳が真っ直ぐに私を見つめてくる。
胸の奥に蘇る記憶。
純白の大輪の蓮が群れ咲くフロバレラ領の池のほとりの薬草園。
男の子が池の魚に手を伸ばす、美しい銀髪が池の水面について濡れた。
「これあげる、アルトの髪が濡れちゃう」
「ありがとう、でもフェリの髪紐が」
「うーーん、私はいい、お魚取らないから」
「じゃあ次に逢うとき、僕はフェリに髪紐を贈る」
「やくそくね、アルトっ」
そこには、祖母と銀髪で紫の瞳のおじいさまがいた。
「……あ」
頭の中で、十二年前の記憶が一気につながった。
浄化の力が弱まり始めていたフロバレラ領の薬草園で、私はロータス・ブルームの練習をしていた。
まだ幼く、魔法も不完全。
薬草の陰から現れたゴルグロムの幼虫。
吐き出された毒は私に向かい、男の子は私を庇い毒を受けた。
私は泣きながらロータス・ブルームを唱えた。
――泣かないで。
銀色の髪の男の子はそう言った。
――これからは僕が君を守るから。
そして。
――大きくなったら、迎えに来る。
私は目の前の男性を見上げた。
紫の瞳の彼が、静かに私を見つめていた。
私が紫色の髪紐を胸の前できゅっと握ると、彼は微笑んだ。
見つめ合っていると、咳払いが聞こえた。
「んん、そろそろ、よいだろうか」
ハッとしてそちらを見ると、ヴァルフレア家の馬車の後ろに、王家の紋章がついた王立魔法師団の馬車隊が並んでいる。
そしてそこに先日のアルトリウス様を運んで来た魔法師が立っていた。
ローブには金糸の縁取り、胸元には王族だけがつけられる王家の紋章。
王太子殿下だわ。
私は咄嗟に跪いた。
「フェアリ・フロバレラ嬢、過日は世話になった。
礼を述べたいところだが、国王陛下の命により、迎えに来た。
ゴルグロムが王都に近い領で大量発生した、
王立魔法師団への同行を頼みたい」
「王命……?」
私はアルトリウス様を見る。
「フェリ、君のロータス・ブルームが必要だ」
私は紫色の髪紐を胸に抱き、
王太子殿下へ深くカーテシーをした。
「謹んでお受けいたします」
顔を上げると、アルトリウス様が静かに手を差し出していた。
私はその手を取った。
◇
王立魔法師団が向かったのはゲロバイヤ伯爵領。
薬草畑は、すでに見る影もなかった。
薬草は食い荒らされ、無数のゴルグロムが地を這っている。
毒に侵された土地では、草木さえ枯れていた。
伯爵家にも多くの犠牲者が出ていた。
生き残っていた者の中に、私の元婚約者モウケーレ卿がいた。
火属性を持っていたため、毒の回りが遅かったのだ。
「助けてくれ!フェアリ!」
彼は私を見るなり叫んで縋ろうとしてきた。
「悪いのはフロバレラのその女の薬草だ! あの苗に魔獣がついていたに違いない!」
王太子殿下とアルトリウス様が同時に振り返った。
「フロバレラの苗?」
「ああ! 新しく植えたのは、あいつの領地から持ってきた苗だけだ! だから――」
モウケーレ卿の声が止まった。
「なぜ、門外不出のフロバレラ家の苗がここにある?」
彼は答えない。
王太子殿下は静かにモウケーレ卿を見た。
「モウケーレ卿、詳しい話は、討伐が終わってから聞こう」
◇
ゴルグロムの黒と緑の模様の群れが薬草畑を覆って蠢く。
アルトリウス様が前へ出る。
その隣には私。
隣にいるアルトリウス様の魔力の流れが変わっていくのを感じる。
「ヴァルフレア・ノヴァ!」
炎が渦を巻き、地を這った。
一帯が赤く染まり、ゴルグロムの群れを包み込む。
「ギュブッ」
炎の中から奇妙な声が響いた。
「ギュエッ、ギュブッ」
「ギュブッ、ギュッ、ギッ」
あちこちから声が上がり、次々と燃え尽きていく。
そして最後の一匹が消えた瞬間、炎は一つに集まり、真紅の焔柱となって天へ駆け上った。
しかし、魔獣を倒しても土地に残った毒までは消えない。
私は荒れ果てた薬草畑へ進み、ゆっくりと跪いた。
十二年前とは違う。
今ならわかる。
祖母が教えてくれた魔法も、この力を受け継いだ意味も。
両手を大地につける。
「泥よりいでし一輪のつぼみ、
汝を頼るこの地を清め祓え、大輪の蓮となれ
──ロータス・ブルーム!」
純白の輝く光が両手から溢れ、
音もなく大地を渡り、どこまでも広がっていく。
やがて、その中央から一輪の白い蓮のつぼみが現れ、
ゆっくりと空へ昇っていく。
高く。
さらに高く。
誰もが見上げる中、巨大なつぼみが静かに開いた。
一枚。
また一枚。
純白の花びらが空を覆い、やがて一帯を包み込むほどの大輪の蓮となった。
空に浮かぶ蓮から、金色の光の粒が降り始める。
雪のように。
祝福するように。
音もなく大地へ降り注いでいく。
光が触れるたび、毒に侵されていた土から黒い靄が立ち上り、跡形もなく霧散していく。
ゴルグロムの気配は、もうどこにもない。
やがて巨大な蓮は光へと溶け、無数の金色の粒となって空へ還っていった。
長い間失われていたロータスの浄化が、再びこの地に満ちた。
◇
ゲロバイヤ伯爵領の薬草畑は全滅した。
伯爵家も多くの者を失い、領地を維持できる状態ではなかった。
そして調査の結果、私の元婚約者モウケーレ男爵家次男が、フロバレラ領から門外不出の薬草を無断で持ち出し、ゲロバイヤ伯爵家へ苗を渡していたことが明らかになった。
その苗に潜んでいたゴルグロムの幼生が、今回の大繁殖の原因だった。
「子爵家より伯爵家が相応しい、か」
王太子殿下の言葉に、モウケーレ卿は顔を上げた。
「その伯爵家へ婿入りするために、フロバレラ家の薬草を持ち出した。その結果がこれだ」
彼は何も答えられなかった。
ゲロバイヤ伯爵家は取り潰し。
彼はモウケーレ男爵家から廃嫡され、貴族籍を剥奪。財産も没収され、生涯にわたる強制労役を命じられた。
爵位を求め、私を捨てた元婚約者は、最後には自らの身分さえ失った。
◇
後日、私は再び王宮へ召された。
三ヶ月前、子爵位を返上した時と同じ謁見の間。
けれど、あの日とは何もかもが違っていた。
私の隣にはアルトリウス様。
私の髪には紫色のリボン。
玉座の国王陛下の隣には王太子殿下。
陛下は穏やかな表情で私を見つめ、仰った。
「フェアリ・フロバレラ。其方のロータス魔法なくして、ゴルグロムの討伐も土地の浄化も成し得なかった」
「恐れ入ります」
「ゲロバイヤ領は王家が接収する。
そして、フロバレラ領へ編入する。フロバレラ家を再興し、其方にこの地を任せたい」
「陛下、私は……」
私は言葉に詰まった。
もう一度、領地を背負うつもりなどなかった。
隣にいたアルトリウス様が国王へ一礼した。
「陛下。ヴァルフレア侯爵家は弟に継がせます。父にも了承を得ております」
「そうか」
「陛下、御前でありますが」
王太子殿下が陛下に耳打ちされた。
「よいよい」
陛下が手を振っておられた。
アルトリウス様は私に向き直った。
紫の瞳が、まっすぐに私を見つめる。
「十二年前、私は君に約束した、大きくなったら迎えに行く、と」
アルトリウス様は私の前に跪き、手を差し出した。
胸がキュウっとなり、周りの景色が滲み始める。
あの幼かった日。
泣いていた小さな私に、銀色の髪の男の子が差し出してくれた手。
ずっと忘れていた約束。
「今度こそ約束を果たしたい」
紫の瞳が優しく細められた。
「フェアリ、私と結婚してほしい。共に、フロバレラの領地と薬草を守ろう」
もう周りがぼやけてアルトリウス様しか見えない。
「……はい」
差し出された手の上に、震える私の手をそっと乗せた。
アルトリウス様は、指先に少しだけふれる口付けを落とした。
◇
数年後。
再び薬草の花が咲くフロバレラ領。
蓮の群生する池のほとりを、銀髪に水色の瞳の小さな女の子が走っていた。
女の子は池の前で立ち止まり、小さな両手を広げる。
「ロータス・ブルームーッ!」
純白の光が溢れ、小さな蓮のつぼみが、ゆっくりと開いた。
〜Fin〜
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「身の程を知れ」シリーズ第2作でした。
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第1作は,この作品のタイトルの上の、《身の程を知れシリーズ》の
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