愛しているから結婚しないと公爵様はおっしゃいました
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「愛している」
「……公爵様」
ローザリーが私を見上げる瞳には熱が見えた。
「君を深く愛している」
ローザリーは静かに目を伏せた。
「だから結婚はできない」
「……えっ?」
彼女は顔を上げた。
「公爵様、おっしゃる意味がわかりません」
「君ほどの女性を手放すのは私も本意ではない。しかし、私には立場がある」
「お立場……ですか」
「王族としての務め、公爵としての責務。私情を優先するわけにはいかない」
私は胸が締めつけられる思いで伝える。
だが、愛しているからこそ、彼女を縛ってはならない。
「その代わり、一生困らぬだけの財産を用意した」
机の上へ契約書と金貨の目録を置く。
「これは私の愛の証だ。受け取ってほしい」
ローザリーはしばらく黙って書類を見つめていた。
「……身分が違うことは承知しておりましたが」
「身分など問題ではない」
私は即座に否定した。
「君は誰よりも素晴らしい女性だ」
ローザリーは何も言わずに聞いてくれている。
「だからこそ、私は結婚できない」
彼女は小さく息を吐くと、静かに一礼した。
「承知いたしました」
「ありがとう」
私は安堵した。
伝わった。
彼女は私の愛を受け入れてくれたのだ。
⸻
修道院を去るとき、
ローザリーは潤んだ目で私を見つめ、
静かに、最上級のカーテシーで見送ってくれた。
帰りの馬車の中で、私は窓の外を眺めていた。
胸が軽い。
これほど幸福な気持ちは初めてだった。
結婚はできない。
しかし、愛は伝えられた。
彼女も受け入れてくれた。
これ以上、何を望むというのだ。
⸻
ローザリーと出会ったのは、一か月ほど前だった。
公爵領に隣接するヒールディア伯爵領。
その外れにあるヒース修道院を監査のため訪れた時である。
老いた修道院長が杖をつきながら出迎えた。
その隣には、一人の若い女性。
白い衣装をまとい、髪をきちんとまとめている。
修道女見習いだろうか。
「公爵様、ようこそお越しくださいました」
その所作は洗練されていた。
王城でも滅多に見ないほど美しいカーテシー。
淹れてくれた茶は香り高く、
書類は一枚の乱れもなく整えられ、
修道院の収支は見事に整理されていた。
院内を案内する姿も自然で、
老いた院長をさりげなく支えている。
私はいつしか彼女ばかり目で追っていた。
⸻
数日間の監査で話す機会も増えた。
修道院の立て直し。
領地経営。
孤児院との連携。
彼女の考えは驚くほど的確だった。
私は確信した。
彼女は誰よりも優秀な女性だ。
そして。
恋をしてしまった。
……
しかし、
彼女は修道女になる。
ならば私は身を引くべきだ。
愛しているからこそ。
せめて一生困らぬよう財産だけは残そう。
◇
ローザリーへ想いを告げ、「愛の証」を託してからひと月。
私は王城へ呼ばれ、従兄である王太子リチャードと茶を飲んでいた。
「それで、首尾はどうだった」
「愛は受け入れてもらえた」
「ほう」
リチャードは嬉しそうに頷いた。
「それは何よりだ。父上も安心なさる」
「安心?」
「ヒールディア伯爵家との縁組なら、誰も異を唱えまい」
私は首を傾げた。
「縁組とは何だ」
今度はリチャードが首を傾げる。
「何だとは?」
「私は結婚はできぬ」
「……誰が言った」
「王位継承権を持つ者が軽々しく婚姻できぬことは、幼き頃より学んできた」
「いや、待て」
リチャードは額を押さえた。
「婚姻できぬなど、一度も教えておらん,王族の結婚は責任だ」
「だが王位を巡る争いは避けねばならぬ」
「それは子らに正しく継承させるためだ」
「だから私は最善を選んだ」
「最善?」
「愛は伝えた。結婚は断った。その代わり、一生困らぬ財産を贈った」
リチャードが手を挙げて待ての仕草をした。
そしてゆっくりと口を開いた。
「……誰に」
「ヒース修道院のローザリーだ」
「ヒース修道院?」
「そうだ」
「白い衣を着ていた?」
「そうだ」
「院長を支えていた?」
「そうだ」
「修道女見習いだと思ったのか」
「違うのか?」
長い沈黙が流れた。
リチャードはぐったりと椅子にもたれ、天井を見上げた。
「ウィリアム……」
「何だ」
「お前は最後まで人の話を聞かなかったな」
「……?」
「彼女は修道女ではない」
「…………」
「ローザリー・ヒールディア伯爵令嬢だ」
私は瞬きをした。
「修道院再建の責任者として滞在していただけだ」
「…………」
「父上は、お前に会わせるために視察を命じられた。
彼女は王族の婚約者候補だった、公爵家を継いで間もないお前には必要な女性かと」
「…………」
「私は、お前がようやく恋をしたと聞いて安心していた」
「…………」
「だから、婚約の話が進んだものと思っていた」
頭の中で何かが音を立てて崩れた。
修道女では……
なかった?
では、私は。
「……結婚できないと」
「自分で言った」
「愛の証を」
「金貨と契約書でな」
「…………」
リチャードは深いため息をついた。
「お前という男は」
そのとき、侍従が駆け込んできた。
「失礼いたします!」
「何事だ」
「ヒールディア伯爵家より届けがございました」
嫌な予感がした。
「申せ」
「ローザリー様は、本日未明、ヒース修道院を発たれました」
「どこへ」
「隣国の修道院再建支援のため、伝道師補佐として旅立たれたとのことです」
私は立ち上がった。
「まだ間に合う」
「ウィリアム」
「説明すれば——」
「無理だ」
リチャードが静かに言った。
「おそらく王命による派遣だ」
「…………」
「それに」
リチャードは少しだけ笑った。
「お前は最初に、結婚はできないと言った」
「…………」
「そのあとで、大金まで渡した」
「…………」
「普通の令嬢なら、きっぱり断られたと思う」
私は何も言えなかった。
あの日。
彼女は何度も何かを言いかけていた。
そのたびに私は遮った。
私は、自分の言葉ばかり話していた。
最後まで。
彼女の気持ちを、一度も聞かなかった。
窓の外では、初夏の涼しげな風が木々の間を抜けていった。
私は初めて知った。
愛とは、伝えることだけではない。
相手の言葉を聞き、その思いを汲むことでもあったのだ。
お読みいただき、ありがとうございました。
「言葉にしなかった想い」と「思い込み」が重なったら、どうなるのだろう。
そんな勘違いから生まれた物語でした。
少しでも余韻を楽しんでいただけたなら嬉しいです。澪




