第7話 リフレイン
肉体が浮く――と錯覚するほどの破壊音に我に返った。らくだみたいな重機が、雷撃に似た大きな音をたてながら、解体作業をしてる。
「大丈夫ですか? まだ本調子ではないでしょうに」
大家が俺を覗く。
「あ、はい……」
我ながら塩い。でも、これが“俺”なんだ。
「きてくれるとは思っていませんでした。その、お身体のほうは……」
大家が気にする通り、俺はしばらく胸元から三色のコードをつなげっぱだった。奇跡的に後遺症はないけど、ここに立つまで三か月かかった。大家は続ける。
「発見が遅れていたら、と思うと……。本当によかった」
あの日、ドアの前で倒れてたらしい俺。大家が灯油を買いに、たまたま管理室を訪れてなかったら、死んでた――
「俺のせいっすよね。すんません……」
俺の部屋だった場所に重機が届く。まっすぐ見続けることができない。目の端で見守りながら、大家へ深く頭を下げる。
「いえ、潮時だったんです。もう住人は貴方だけでしたし」
「……そうですか」
俺は、聞き返さなかった。
解体現場から、一枚、紙が舞い上がる。
「おかしいなー。ぜんぶ回収したと思ってたのに」
大家はその紙を目で追いながら、俺の前にアタッシュケースを寄せる。
「拾ってくるので、すみませんが見ててください」
そう言って、解体現場へ向かった。
取り残されたアタッシュケースから、紙がはみ出てる。直そうと開くと、想像以上に紙が詰まっていた。鼻をつく臭いがする。雑になるのも納得できる。ただ、俺はこの臭いを知ってる。夥しい数の油彩画。一枚一枚確認しなくても何が描かれてるかわかる。唯一、記憶と違うのは、畳皺が目立つほど古びていたことだ。
「……根岸」
勝手にこぼれ落ちる言葉。根岸が蹲っていた畳の下に、ずっと敷かれてたんじゃないだろうか。
紙を揃えようと、まとめて持ち上げる。金属音が鳴る――ペインティングナイフだった。
どこからか湿った匂い。塀の上で顔を洗う三毛猫に気付き、空を見上げる。遠くに積乱雲が見える。急な突風、紙が舞い上がった。踊り狂う絵が一瞬、空に形を描く。粘土みたいに色褪せたハーブたちが重なって、人影を作った気がした。空高く昇っていくのを、雲の色に溶け込むまで見送った。
死んだら無。容赦ない。マジで綺麗さっぱりなくなってしまった――
(この体験残したら、バズるだろうな……)
そうすれば、彼女は永遠に生き続けるだろう。でも、それは誰のためにもならない。周知させる必要なんてない。誰かひとりの心で、生きるだけのものがあったっていい。
死後の情報がタイムラインに流れないのは、ネットの狭さが嫌になるくらい、移りゆく空の広さを知ったからなんじゃないかって――
「……地縛霊」
オカルトはこれからも信じない。だけど、俺は自然とそう口にしてた。地縛霊は特定の場所に強い執着を持ち、その場にとどまり続ける存在。自分が死んでることすら気付かない。たまにかまってくれる奴を見つけると喜んで憑りつく――
『――本当の地縛霊は』
俺は、無意識にスマホを取り出す“私”に気付き、ポケットに戻す。
(クソリプで怪奇現象を起こす、ネットの地縛霊……)
「俺だった」
ぜんぶ失った。なんもない。……でも。堕ちるとこまで堕ちたんだ。
「あとは……シンプルだ」
それから積乱雲を追うように、電車に乗った。わざわざ各停で、海沿いの長い道のりを揺られた。雨が打ち付ける車窓、そこから覗く荒れた海をひたすら見つめてた。
乗り換えを促すアナウンスで、慣れない駅に降りる。ドカ雨、クソデカ雷――屋根の下の俺には関係ない。世界のしがらみから切り離されたみたいで、妙に清々しかった。
ペインティングナイフを、掌で確かめる。不思議な高揚感だ。耳の奥に居着いたバラッド――気付けば口ずさんでた。
「パセリ、セージ、ローズ……」
列車の開くドアに、俺の声はかき消される。
三番線、そのまま東海道線に乗り込んだ。




