第28話 やっぱりわたし、大丈夫じゃないかもしれません。
「座れば……?」
偶然近くの席が空いて、橘くんがすすめてくれたので、わたしはありがたく座らせてもらうことにした。
「ありがとう」
そっか。
橘くんは、吉木くんのこと、知らないんだもんね。
わたしは少しだけほっとした。
「橘くんさっき、わたしのこと、『陽雨』って……」
いつもは「西嶋さん」なのに。
名前で呼ばれるの、初めてだった。
「西嶋さん、困ってるみたいだったから。名前呼びで彼氏のフリしたら追っ払えるかな……って。イヤだった……?」
さっきまでの威圧感たっぷりの橘くんとは打って変わって、不安そうな声だった。
彼氏の『フリ』……。
「イヤじゃない……!全然イヤじゃないよ……!ありがとう……助けてくれて」
イヤじゃない。
すごく嬉しかった……。
もう一回呼んで欲しい。
何度でも呼んで欲しい。
そう口にするのが、恥ずかしすぎてできなかった。
「そっか。良かった。さっきのやつ、何だったの?知り合い?」
「え……っ?えと……うん。うちの高校の2年だよ」
告白してフラれた相手です。とは口が裂けても言えません。
さっきの橘くん、ほんとに恐かったしな……。
さながら外敵を追い払う野獣だったよ……。
橘くんの彼女になるって、こう言うことなんだね……。
身をもって体感した気分。
橘くんが、彼氏……?
身体がおっきくて、耳にはピアスだらけで、真っ黒なオーバーサイズのシャツ(スタンドカラーって言うのかな。襟がないお洒落なやつだ)とぶかぶかのパンツを着こなしてる、
こんな、厳い人が、彼氏……?
いつかこんな人と付き合うのかな……って想像していた「彼氏」とは、全然違う。
想像の範囲外の世界だ。
想像の100倍ぐらい厳いよ……。
わたし、大丈夫かな……。
だけど……。
わたしはもう知ってしまった。
橘くんが、本当は優しくて、とてもピュアで素敵な男の子だってこと。
もう、後戻りはできない。
「そう言えば……どこの駅で降りるの?」
気が付くと、電車は高校の最寄り駅も通り過ぎていた。
「次の次」
次の次……。
市立大学前。
降りたことのない駅だ。
「市立大学、学食が広くて、一般にも解放されてるから、勉強してる人けっこういるんだ。うちの高校の生徒にはあんまり知られてないから、知り合いに合うこともないし」
駅は無人で、小さな改札だけがある静かな雰囲気だった。
「雨……まだ降ってるな」
橘くんは、大きな黒い傘を開いた。
橘くんにぴったりのビッグサイズの傘だ。
傘、どうしよう……。
自分の、差した方がいいかな。
まあ自分の傘、あるんだし、差すよね、普通は。自分のを。
でもそれだと並んで歩きにくいし、前後で歩くことになっちゃうし。
それとも……
えい……っ!
わたしは勇気を出して、橘くんの傘の下に入った。
「えっ、入んの……?」
橘くんはびっくりしている。
これは、「自分の傘あるのに入るの……?」っていう戸惑いの反応だ、明らかに……。
やっちゃった……恥ずかしい、わたし。
「ご、ごめん……!恥ずかしいよね、自分の傘、持ってるのに。自分の、差せばいいよね」
わたしは慌てて自分の傘のベルトを外した。
「あ……っ、え……っ、い、いや……待って……差さないで!」
え……っ?
見上げると、戸惑い顔のまま顔を紅くした橘くんがいた。
「このまま隣にいて。俺も一緒に歩きたい」
「…………っ!!」
この人、なんなの……!?
だから、その強面でそんなこと、言わないでよ……!
こんなの、心臓が持たないよ……!
やっぱりわたし、大丈夫じゃないかもしれません。
いつか、萌え死ぬときがくるかもしれません。
橘くんの大きな傘の下、しとしと降る雨に閉じ込められて、大学までの路地を、わたしたちは並んで歩いた。
たまにわたしの肩が、橘くんの腕に触れる。
そのたびに、ドキドキが止まらなかった。




