40.
アンジェロは、シゲルが聞いているか聞いていないかなど気にしないと言いたげに続けた。
「鳥が空を飛べるのは、鳥が飛ぶことを望み、飛べるという事を理解したからだよ。人が魔法を使えるのは、魔法があると認知したからだ。わかるかい?」
何を言っているんだ、こんな時に。
だが、シゲルは頭の片隅でアンジェロの言うことを理解していた。
「魔力は誰しもが持っている。なのに、魔法は誰もが使えるわけではない。そこの無駄に魔力を持て余している爺さんだって、魔法は使えないんだ。おかしいと思わないかい?」
出血は止まったが、痛みはシゲルの意識を刈り取ろうとしている。意識を保つだけで精一杯だ。
なのに、アンジェロは鷹揚な口調で続けた。
「それはね、呪いなんだよ。アベル王子のね。魔法を理解しない愚かな人間たちの為によかれと思って魔法陣をしたためたけど、愚かな人間たちは魔法陣がなければ魔法が使えないと認識してしまった」
何を――いや、そうだ。仕組みさえわかっていれば……いや、できる事を知っていれば魔法陣を使わずに魔法は使える。仕組みなんか考えなくてもだ。
シゲルは痛みで混乱する意識を集中させようとアンジェロの言葉に耳を傾けた。
こいつは、なぜだか知らないが、僕に魔法の根源を教えようとしている。
魔法の根源――魔法陣――
ああ、そうだ。
シゲルはようやく思い出した。
シゲルは魔法陣など使わなくても魔法が使えた。だが、スクロールの存在を知って、ロジカルに考えなければならないと思うようになっていた。
そうじゃない。そうじゃないんだ――
シゲルは傷口に魔力を集中させた。
「気が付いたようだね」
アンジェロは紫の目を細めて嬉しそうに言うと、シゲルから距離を取った。
ロジックなんて必要ない。魔法は魔法だった。
ただ、怪我を治したいと強く思い描くだけでよかったのだ。
シゲルはナイフを持って立ち上がると、痛みも傷も綺麗に消えていることを理解した。
「なんでお前は僕に教えた?」
「今度は殺す覚悟ができたのかい?」
アンジェロは嬉しそうに微笑んでシゲルを見ている。
「殺さない」
シゲルが言うと、アンジェロは微笑んだまま首を傾げた。
「なら、そのナイフは何なんだい?」
「殺さないけど、僕を殺させもしない。そのためのナイフだ」
シゲルはそう言いながらも、目の前にいるこの美しい男が怖かった。
アンジェロからは殺気など微塵も感じない。なのに、少しでも動けば死ぬかもしれないという恐怖がシゲルを包み込む。
足が震えるのが、恐怖なのか怒りなのかはシゲル本人にもわかっていない。だが、そんなことは関係ないと、シゲルはアンジェロの紫色の瞳を睨むように見つめた。
「ここがどんな世界だろうと、人が人を殺していいわけがない。殺されていいわけでもない」
シゲルは恐怖を振り払うように言うと、アンジェロはその表情から微笑みを消し去った。
そして、感情のない紫の瞳で真っ直ぐにシゲルを見据えた。
その時間はとても長く感じたが、実際は数秒だった。
アンジェロは小さく息を吐き「気が変わった」と言った。
「君は先に進むといい。そこできっと私の力が必要になる。君が助けを求めたら、助けてあげよう」
アンジェロの表情からは微笑みは消えたままだった。感情のない表情の中で冷たい紫の瞳だけが、どこか苛立ったように見える。
アンジェロが何を言ってるのか理解ができなかった。
「ただし、ただ見逃すのは癪だからね。少しだけ趣向を凝らさせてもらう」
アンジェロはそう言うと素早く踵を返し、森の中に消えていった。
シゲルは唖然とその後ろ姿を見送ったが、すぐにパージに駆け寄った。
パージは魔力をぎりぎりまで吸い取られていたが、命に別状はないとすぐに分かった。
「あんな一瞬で――」
シゲルは、カインにしてやったのと逆のやり方でパージに魔力を注ぎ入れると、パージの意識はすぐに回復した。
アーノンとカインも、魔力を乱されて意識を失っていただけで、幸いすぐに回復した。
「後先を考えずに飛びかかるからだ」
アーノンが厳しい口調でパージに言ったが、その目には心配の色が濃く浮かんでいるのを、シゲルもカインも理解していた。
「すみません。つい――」
「つい、で命を危険に晒してどうする。相手の力量を見極めて動けといつも言っている」
アーノンはそう言うと、パージの頭に手を置いた。
「……命を無駄にするな」
「はい――」
アーノンの言葉に、パージが深くうなずくと、アーノンはパージを抱き寄せた。
「無事でよかった」
それが本音なのだろう。
シゲルは二人の姿を見て、どこか懐かしさを感じたが、シゲルの記憶の中にある父親はシゲルを抱き締めたことなどない。
きっと、これはずっとシゲルが憧れていた親子の姿なのだ。
一行は少しの休憩の後、先に進むことにした。
「アンジェロは先に進めと言ってました。そこであいつの力が必要になるって――正直、この先に行くのは不安しかないから、この先は僕一人で――」
「なに言ってんだ」
シゲルの頭をパージが小突いた。
「俺達はお前を守る。そう言っただろ?」
パージの言葉にアーノンも頷いている。
「私の目的も忘れてもらっては困る。その為なら君の護衛も私の目的のうちだ」
カインが言うと、シゲルは不安げな表情を浮かべた。
「でも、あいつは今度こそみんなの命を狙うかもしれない」
「お前と離れたとして、あいつが俺達を狙わないという保証はないだろ」
アーノンの言葉に、シゲルは息を呑んだ。
確かに、アンジェロならシゲルを追い込むためにアーノン達を狙うことも考えられる。
もしあの言葉がそのことを示唆しているのなら、行動を別にしても一緒なのかもしれない。
「でも――」
決断ができない。
何があっても自分が守ると言えないのが悔しかった。アーノンもパージも迷うことなく言ってくれているのに。
「俺達が守るんだよ。お前を」
シゲルの逡巡を察したのか、パージはシゲルの頭を掴むとくしゃくしゃと力強く撫でた。
「……うん」
覚悟を決めないといけない。
僕が――僕がアーノンさん達を守るんだ。




