アルセルドの日記、4
やっと判った。僕に教師は要らないのだと言う単純明快な事実に、何故今まで紆余曲折して嫉妬して羨んで悔しくて、て?仲睦まじい彼等なぞに憬れたのか。自己完結、秘密主義、淡白、そして読書を好みあまり教えを享受しない自分は不得手な分野以外結構卒なく出来た。知識の収集は読書で事足りたし、教師の口から出る言葉のほとほと聞き取り噛み砕いて理解する気もなかった。
要は興が乗ったとき意外はけして自ら間合いに入りもしなかったのだ。たまに構ってくれる物好きもいたが、嫌そうな顔をして暫らく寄り付きもしなくなった。それが少しだけ淋しかったのだとは口が裂けても言わないが。
何も知らない婆はこう僕を評した『何をするか判らない子、』それを偶々受け持った教室で大口を開けて嘯いたのだ。教育者に有るまじき冒涜だと、僕の内心は吹き荒れる暴雨だった。言われてはじめて、僕は内面の解りにくい不気味な子だとそいつに思われていたのだとやっと、やっと嚥下した。
ただの人畜無害な中年女だと思っていたのに。その時から微塵に等しい尊敬の念は廃れた。話もする、訊かれれば応える。何事も無く彼女と僕は擦れ違った、卒業して幾年月を経て再燃した痛みは猶も引いてくれない。思い出さなきゃ良かった…
思春期に足掛かりを作る齢、僕の成長速度は遅い足並みの彼等の比ではなかった。だから、少し達観と言うか彼等の無能さ精神的薄弱さを見限ってすらいた。異性に疎んじられ、虐げられることも有った。その度に辛くなった、励ましてくれる友人方は「大丈夫いじめられてなんて無いよ」客観的に見ても可笑しな言葉だった。
「は?」今でならこう返しただろう、
婆と友人方は同じ空間を共有していないのが幸いだった。それに知っているのだ、婆に関しては悪気も害する気も無かった事を。偶然、時期的に報道されていた事件の犯人像が『真面目な子だったのに、』『人の良さそうな好青年』『静かな感じでそんなことするようには』挙げられた例の一つに特徴が合致しただけだ。ようは連想ゲームだった、僕の名前を例えに出したのはあくまで昨今の物騒な具合を嘆いての言の葉だったのである。
しかし、もう少し場の情緒を読んで欲しかったのは紛れも無い恨めしい事実である。普段は道徳を軽んじる不良が「わー、怖ぇ――が凶器振り回したら…」悪乗りしだすのは自明の理だった。何故、御前に恐れられねば為らないのか。日々、殺されるのではと恐怖していたのは事実僕だと言うのに。解っている、それが冗談だと。
わかっている。




