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九 伝説


 寝台の上でアクラブはハイヤトゥンの腕に閉じ込められたまま天井を眺めていた。

 まるで安心人形だ。

 彼は規則正しい寝息を立てながら眠っている。

 ターシャが戻ってくる気配は無い。

 まさか本気で昼寝の為に戻ってきたのだろうか?

 アクラブは考える。

 ふと、窓の外を何かが通った。

 ここは七階のはずだ。人が通れるはずがない。

 見間違いに違いないが、染み付いた用心癖は治らない。


「誰?」


 アクラブの声は室内に凛と響いた。

 ハイヤトゥンが目覚める気配は無い。

「おや、見つかってしまいましたか」

 男の声。

 少年にも聞こえる声。

 聞き覚えがあるような声。

「誰?」

「僕を忘れてしまいましたか? アクラブ。まぁ、無理もありません。前に会った時は随分と幼かったですからねぇ」

 彼は笑う。

 天幕の裏から現れたのは赤毛の若い男だった。

「……西の死神!」

「おや、今はそんな風に呼ばれているんですか? 昔は赤い死神と評価されていましたが……時代の移り変わりとは面白い」

 彼はただ、笑う。

「何しに来たの?」

 まさか国王暗殺?」

「その男を殺すように依頼されましてね」

「陛下を?」

「陛下? は?」

 彼は固まった。

「ハイヤトゥン・ハウル国王陛下を暗殺するつもり?」

 もし、この男が本当に西の死神なら、アクラブは勝つことができないだろう。

 それどころかハイヤトゥンの命さえ守れない。

「待って下さい、僕は国王暗殺なんて話は聞いていません」

 アクラブが武器を構えようとしたことに気付いたのか彼は慌てだす。

「いくら僕でも蝎娘とまともにやりあったりはしたくありません。それに、クーヘンの娘を殺したとなるとあとあとねちっこそうで嫌です」

 彼がうんざりした様子でそう言うと、ハイヤトゥンがぴくりと動く。

「誰かいるのか?」

「どうぞ、眠っていてくださいませ。ついでに私を放して下さると助かります」

「……誰だ?」

 ハイヤトゥンはむくりと起き上り、気だるそうな表情で西の死神を見た。

「はじめまして。セシリオ・アゲロと申します。僕はちょっと、そちらのお嬢さん、アクラブ・レープの婚約者なる男を殺して来いと命じられただけで……国王陛下? の話は全く聞いてません。王宮に居ると聞いたので、てっきり大臣か何かに見染められたのか思いましたが……。まさか、本当に国王陛下が?」

 彼は戸惑うようにハイヤトゥンを見た。

「アクラブの婚約者を殺す? 依頼主は誰だ?」

「彼女の父親です。ああ、ハウルに居る育ての親ではありませんよ。ちょっと、いや、凄く性格の捻くれた男でしてね。僕もわざわざ、こんな異国まで出張させられたんです。まったく、国王暗殺なら料金がだいぶ変わる。僕は正当な報酬を支払われない仕事はしない主義です。還りますよ」

 少しいらだった様子で、彼は入ってきたであろう窓へ向かう。

「待て」

「なんです?」

「お前はアクラブと知り合いか?」

「まぁ、知り合いと言えばそうなりますかね。うーんと小さいときの話ですが……。ああ、そう言えば僕の娘がアクラブを一目見たいと言っていました。もし、僕の祖国に観光に来る際はうちに寄って行って下さい。賑やかですよ」

 彼は楽しそうに言う。

 そして、ぶつぶつ「はやく朔夜の顔が見たい」だとか「土産を買っていかないと瑠璃が拗ねるだろうか」だとか「玻璃はきちんと朝起きられているだろうか」など呟いている。

「……娘って何人いるの?」

「三人です」

「それは随分賑やかね」

 アクラブは溜息を吐く。

 まさか伝説の暗殺者、西の死神と対面して、こんな会話を交わすことが人生の中であるなんて予想もしていなかったのに、さらにその伝説級の恐怖が子育てをしているというのだ。怪談以上に恐ろしい。

「ってことで、お土産、頂けませんか?」

「は?」

「勿論、代金は支払います。あなたの精製するものは非常に質が良くて僕好みです」

「はぁ……」 

 何の話をされているか理解できなかった。

「じらさないでください。早く」

「あの、何を?」

「何って! 涙ですよ。あなたの涙は非常に質の良い毒だ。堪りません」

 どうやら伝説の男は変わった趣味を持っているらしい。

「……あれ、熔解毒よ?」

「ええ、身体がじわじわ崩れていく感覚がクセになります」

 まさかとは思うが、この男。

 自分の体で毒を試す趣味でもあるのだろうか?

 アクラブはぞくりとした。

 世の中には変わったやつが居るものだ。

「あげてもいいけど。ハウル国王の暗殺依頼は引き受けないって言うのが条件よ」

「ええ、約束します」

「じゃあ、そこの箱取ってくださる?」

 寝台から動けないアクラブは机の上の蝎と蛇の箱を指す。

「これ、ですか?」

「ええ」

 箱を受け取ったアクラブはいくつかの装飾を動かす。

 装飾が鍵になっているのだ。

「熔解毒はこれよ」

「まだ、他にもあるんですか?」

「あげないわよ。これは私のなんだから」

「あなたとはじっくり語りたい気がしますが……娘たちのお土産を真剣に選ばなくてはいけないので今回は失礼します。あ、何か良い土産はありますか? ハウルにはあまり来ないもので」

 彼はまるで子供のようだ。

「……そうね、刺繍はとてもお土産に人気だと思うわ。あとは果物のジュース。とっても高いけど」

「そうですか。ありがとうございます」

 彼は大事そうに小瓶を袋に仕舞って窓から飛び降りた。

「……アクラブ、その箱はなんなんだ?」

「私の収集物ですので触らないように。うっかり触ると融けますよ」

 アクラブは笑う。

 ハイヤトゥンは状況が理解できないと困った表情を作った。

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