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食い逃げ妖精、指名手配中

食い逃げ妖精、王女の結婚式でケーキの中から現れる。

作者: 堀吉 蔵人
掲載日:2026/07/19

 

 王女(おうじょ)は、朝から十四回、


「もう少し自然(しぜん)にお笑いください」


 と言われていた。


 十五回目には、自然というものが分からなくなっていた。


 (かがみ)の前で口の(はし)を上げれば、侍女(じじょ)が首を(かし)げる。


 歯を少し見せれば、笑いすぎだと言われた。


 目元をやわらかくすれば、今度は(ねむ)そうに見えるらしい。


「たいへんよろしゅうございます」


 最後にはそう言われたが、王女には、自分がどんな顔をしているのか分からなかった。


 大広間(おおひろま)には、白い花が天井(てんじょう)まで(かざ)られていた。


 金色(きんいろ)燭台(しょくだい)には小さな火が()れ、楽団(がくだん)は一音も間違(まちが)えず、招待客(しょうたいきゃく)はみな正しい席へ座っている。


 隣には、王女が自分で選んだ王子がいた。


 王子は朝から何度か、王女を笑わせようとしていた。


 転びそうなふりをした。


 王冠(おうかん)の中に小鳥が()を作ったと言った。


 靴を左右逆に履いてきたとも言った。


 王女はどれも面白いと思った。


 けれど、笑おうとした瞬間(しゅんかん)、広間中の目がこちらを向いているような気がして、(ほお)が固くなった。


 やがて、婚礼(こんれい)のケーキが(はこ)ばれてきた。


 三段重ねの大きなケーキだった。


 白いクリームには砂糖(さとう)の花がいくつも()き、細い飴細工(あめざいく)朝露(あさつゆ)のようにきらめいている。


 一段目には森。


 二段目には城。


 三段目には、王女と王子をかたどった小さな砂糖人形(さとうにんぎょう)が立っていた。


 王女と王子は、銀のナイフへ手を重ねた。


 拍手(はくしゅ)が止む。


 広間が静かになる。


 刃先(はさき)が、二段目の白いクリームへ(しず)んだ。


 そのとき。


 ケーキの中で、(だれ)かが大きなくしゃみをした。


 その前の日。


 リリィは、(まち)の上をふらふら飛んでいた。


 今日は特に行き先がなかった。


 タルムは町外(まちはず)れの木陰(こかげ)昼寝(ひるね)をしている。


 リリィは一人で煙突(えんとつ)の間を()け、屋根の上を(わた)り、洗濯物(せんたくもの)にぶつかって(おこ)られた。


 そうしているうちに、甘い(にお)いがした。


 焼けた小麦(こむぎ)


 溶かした砂糖。


 煮詰(につ)めた木苺(きいちご)


 たっぷり泡立(あわだ)てた(ちち)の匂い。


 リリィは空中で止まった。


「お菓子だ」


 匂いの先には、大きな菓子店(かしてん)があった。


 表の(とびら)は開け放たれ、職人(しょくにん)たちが出たり入ったりしている。


「クリームを(いそ)げ!」


「花飾りはどこだ!」


「下段を運ぶぞ。角に気をつけろ!」


 店の奥には、見上げるほど大きなケーキがあった。


 まだ完成(かんせい)していない。


 丸い生地(きじ)が三つ重なり、その表面(ひょうめん)には下塗(したぬ)りのクリームが(うす)くのばされている。


 周囲(しゅうい)には、果物(くだもの)砂糖菓子(さとうがし)(あめ)(つる)(ぎん)の粉、白い花が山のように置かれていた。


「明日の王女さまの婚礼だぞ!」


 職人の一人が(さけ)んだ。


絶対(ぜったい)失敗(しっぱい)するな!」


 リリィは窓枠(まどわく)()りた。


 王女の婚礼。


 それはきっと、大事なお菓子なのだろう。


 大事なお菓子なら、味見も大事である。


 リリィはしばらく考えた。


 それから、ケーキの裏側(うらがわ)へ回った。


 表から食べれば、()ったことが分かる。


 上から食べても、飾りを置くときに見つかる。


 下から食べれば、台が邪魔(じゃま)だ。


「真ん中なら分からないね」


 リリィは、二段目の側面(そくめん)へ飛びついた。


 外側(そとがわ)のクリームを指ですくって()める。


 ふわりと軽く、舌の上で溶けた。


 後から蜂蜜(はちみつ)の甘さがやってくる。


「おいしー!」


 金色の粉が、ほんの少しこぼれた。


 リリィは周囲を見た。


 誰も見ていない。


 もう一口だけ。


 今度は顔を近づけた。


 クリームの下から、(やわ)らかな生地が現れる。


 ()むと、焼いた小麦の(かお)りがした。


 その(おく)には、薄く切った木苺が(はさ)まっている。


 甘い。


 ()っぱい。


 また甘い。


「もうちょっとだけ」


 リリィは穴へ頭を入れた。


 さらに食べた。


 (かた)まで入った。


 もう少し食べた。


 (こし)まで入った。


 赤い木苺、黄色い蜜桃(みつもも)、小さな青葡萄(あおぶどう)


 内側(うちがわ)には、外から見えなかった果物が、柔らかなクリームに(つつ)まれていた。


 リリィは夢中(むちゅう)で食べた。


 やがて、(はね)の先までケーキの中へ入った。


 外側には、小さな丸い(あな)だけが(のこ)った。


 そのとき、店の奥で(かね)()った。


「休憩終わり!」


 職人たちが(もど)ってくる。


 リリィは(あわ)てて外へ出ようとした。


 しかし、(せま)い穴へ羽が引っかかった。


「待って」


 足音が近づく。


「待って。まだいるよ」


 声を出したが、口の中には生地が()まっていた。


 外では、職人が足を止めた。


「ここ、へこんでないか?」


 別の職人が近づいてくる。


「運んだときにぶつけたか」


「まずいな。仕上(しあ)げ前でよかった」


 柔らかな生地の欠片(かけら)が、穴へ()()まれた。


 その上から、冷たいクリームが()られる。


「むぐ」


 リリィは押し(もど)された。


 へこみをならすように、職人は仕上げ用のクリームを(あつ)く重ねていく。


 穴はきれいに消えた。


 最後に砂糖の花まで置かれた。


「よし。これなら分からん」


「危なかったな」


 職人たちは次の作業(さぎょう)(うつ)った。


 ケーキの中で、リリィは暗闇(くらやみ)に座っていた。


「閉じ込められた」


 少し考えた。


 目の前の壁を舐める。


「でも、おいしい」


 リリィは脱出口(だっしゅつぐち)を作ることにした。


 内側から外へ()かって食べればいい。


 生地をひと口。


 クリームをひと舐め。


 木苺をひとつ。


 蜜桃もひとつ。


 食べ進むたび、穴は少しずつ広がった。


 けれど、穴が広がるより先に、リリィのおなかがふくらんだ。


「あと少し」


 もうひと口食べた。


「あと、ちょっと」


 さらにひと口食べた。


 やがて、リリィはクリームの壁にもたれた。


 中は暗く、甘い匂いに満ちている。


 外からは、職人たちの忙しい声が聞こえた。


 その声も少しずつ遠くなる。


「起きたら、出よう」


 リリィは丸くなった。


 枕代(まくらが)わりに、柔らかな生地を少しちぎる。


 ひと口食べた。


 それから、眠った。


 翌朝(よくあさ)


 ケーキは大きな馬車(ばしゃ)()まれた。


 職人たちは揺れないように(ぬの)を詰め、四隅(よすみ)(なわ)固定(こてい)し、ゆっくり王宮(おうきゅう)へ運んだ。


 石畳(いしだたみ)()えるたび、ケーキはわずかに揺れた。


 中でリリィも揺れた。


 けれど起きなかった。


 王宮へ着いても起きなかった。


 大広間へ運ばれても起きなかった。


 楽団が演奏(えんそう)を始めても、眠ったままだった。


 そして。


 銀のナイフが、二段目のクリームへ沈んだ。


 ケーキの内側が、ぴくりと揺れた。


 眠っていたリリィの鼻先(はなさき)へ、細かな砂糖の粉が落ちてくる。


「……むずむずする」


 もう一度、粉が落ちた。


「はくしゅん!」


 広間の外まで(ひび)きそうな、大きなくしゃみだった。


 リリィは目を開けた。


 目の前へ、銀色の刃先が()き出している。


「わっ!」


 内側から生地を()る。


 ナイフの()れ目から、クリームまみれの頭が飛び出した。


 広間中が(しず)まり(かえ)った。


 リリィは周囲を見た。


 花。


 楽団。


 正装(せいそう)した人々。


 目の前には、銀のナイフを握った王女と王子がいる。


 リリィは少し考えた。


「おはよう」


 誰も答えなかった。


 リリィはケーキの中から()い出した。


 髪にも羽にもクリームがついている。


 頭には、砂糖で作られた小さな花が引っかかっていた。


 王女が(たず)ねた。


「あなたは、どなた?」


「リリィだよ」


「どうしてケーキの中に?」


「食べてたら()()められたの」


 リリィは正直(しょうじき)に答えた。


 王子が口元を押さえた。


 客席(きゃくせき)のどこかから、小さな笑い声が()れた。


 王女は、まだ笑わない。


 リリィはケーキの上へ立ち、羽を広げた。


 飛ぼうとした。


 しかし、クリームの重さで羽が動かなかった。


 そのまま前へ倒れる。


 ぽすん。


 王女の胸元へ飛び込んだ。


 白い婚礼衣装(こんれいいしょう)に、丸いクリームの(あと)がついた。


 侍女が息を()む。


 王子が今度こそ吹き出した。


 リリィは王女の(うで)をよじ(のぼ)り、王冠へ乗った。


「高いね」


 王冠の先から、王子を見下ろす。


「そっちの人、靴が左右逆だよ」


 広間が静かになった。


 王女が王子の足を見る。


 本当に左右逆だった。


 王子は朝から王女を笑わせるため、わざと()(ちが)えていた。


 誰にも気づかれていなかった。


 王女の口元が(ふる)えた。


 王子が困ったように笑う。


 王冠の上では、クリームまみれの妖精が胸を張っている。


 王女は、ついに笑った。


 最初は、小さく。


 それから、肩を揺らして。


 朝から練習(れんしゅう)した笑い方とは、まるで(ちが)っていた。


 王子も笑った。


 客たちも笑った。


 楽団の一人が間違えて音を鳴らし、それでまた笑いが広がった。


 王女の王冠から、金色の粉がこぼれた。


 リリィの羽についていた粉だった。


 粉は婚礼ケーキへ()りかかる。


 砂糖細工の花が、ひとつずつ開いた。


 白い花。


 赤い花。


 薄青い花。


 甘い香りを広間いっぱいに(はな)ちながら、ケーキの上に本物(ほんもの)の花が咲いていく。


 天井から()られていた花々も、光を受けてきらめいた。


 王女は、咲いた花を見つめた。


「まあ」


 リリィは王冠の上で、残っていたクリームを指ですくった。


「おいしー!」


 王女はまた笑った。


 しばらくして、菓子職人が人混(ひとご)みをかき分けてきた。


 ケーキの穴を見る。


 リリィを見る。


 もう一度、穴を見る。


「おまえか!」


 リリィの羽が、ようやく動いた。


「たいへん」


「代金を払え!」


「ないよ!」


「捕まえろ!」


 リリィは王冠から()()った。


 クリームを()りまきながら、花飾(はなかざ)りの間を抜け、楽団の上を越え、開いていた窓から外へ飛び出す。


 王女は窓辺(まどべ)まで追いかけた。


 小さな妖精は、王宮の屋根を越え、町の向こうへ逃げていく。


 その後ろを、菓子職人たちが走っていた。


 王女は、また笑った。


 その日から、王家(おうけ)の婚礼ケーキには、小さな扉がひとつ付けられるようになった。


 妖精が中へ入らないためではない。


 入った妖精が、食べ終わったあとに出られるようにするためだった。


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