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前田 -04-

「そろそろ陽が沈みますよ。外にでませんか、」

「前田さん? あれ? いつの間に?」


 そろそろ日課の散歩の時間だと声をかければ、彼はちらりとディスプレイの隅にある時計に視線を流した。

 一度、もう少し早い時間――日光を浴びることができる時間帯に外に出たらどうかという提案をしたが、素気無く却下されている。


「まだ早いよ」

「休憩を入れないと、かえって効率が悪くないですか?」


 億劫そうな彼に重ねて言えば、彼はタイピングしていた手を止めた。

 昼食の代わりだったのか、デスクの上に散らかった子供が好むような菓子の包み紙を見て思わず嘆息する。私は寝そべったパンダが、開かれた菓子の包み紙に頭を突っ込みそうになっているのを救済した。


「昼食も抜いたらしいですね。頭脳労働だと糖分は必須でしょうけど、お菓子(そんなもの)ばかり食べているから筋肉がつかないのでは」

「口うるさい保護者みたいなことを言うね」


 不貞腐れたような彼に苦笑する。

 常々、子供みたいな人だと思っていたが、まさか自覚があるとは思わなかった。


「子供じみている自覚があるならちゃんとしてください」

「は? 僕のどこが子供だというんだ。こう見えて重大犯罪を起こしたことがあるんだからな!」

「……さすがにその冗談は笑えないです」

「冗談じゃなくて事実だからね? だいたい君はたまに僕を子供扱いするけど、普通に失礼だ」


 諫めれば、彼は心外そうに腹を立てたふり(・・)で、椅子の回転を利用して私の方へ身体を向けた。ぎっと椅子が軋む音。

 不貞腐れているようだが彼の意識がこちらを向いたので、さらに畳みかける。


「大人なら自己管理はちゃんとしてください。また健康講習(ヘルスケア)を受けたいんです?」


 彼の文句を遮り脅せば、分の悪い彼は口を噤み、視線をそらした。


「夕焼け、綺麗ですよ」


 今度は甘い言葉で誘えば、彼はちら、と視線を投げてくる。まるで大人の気を惹きたくて、様子をうかがう小さな子供みたいだ。

 本土に残してきた我が子を思い出して思わず笑ってしまう。

 彼は私の笑みを見て何かを察したのか、小さく頬を膨らませた。頬のふくらみがいつもよりも小さいのは、彼なりの小さな抵抗なのだろう。


「前田さん、今週は夜勤なの?」

「いいえ、遅出です」

「ふ~ん、夕飯一緒に食べてくれるなら行こうかな、」

「じゃあ、ご一緒します」


 どうせ食事休憩の時間も食べるものも一緒なのだ。同じテーブルに着くことは特に禁止されていることではない。

 彼のおねだりを快諾すれば、彼はようやく重い腰を上げた。


「今日は金曜だからカレーだよね」

「確かポークカレーです」


 ウラシマには民間人はいない。防衛隊隊員のみで構成されている。

 そして、防衛隊の前身である自衛隊――特にウラシマに配属される第2部隊の前身は海上自衛隊であり、さらにその前身の大日本帝国海軍の頃から金曜日はカレーなのである。


「野菜を小さく切ってくれる班だといいなぁ」

「人参くらい食べましょうよ。カレーの中に入っている野菜なんて、ほぼカレー味じゃないですか」


 以前彼が残していた野菜を思い出して諫めれば、彼は不本意そうに鼻を鳴らした。


「前田さんと違って、僕の舌は繊細なんだ」

「はあ。その割には駄菓子ばかりですよね」

「前田さんだって人のこと言えないだろ。だいたい、僕は牛乳やジュースで白米を食べれる人間の味覚は信用しないことにしてるんだ」

「私が食事と一緒に取っているのはただの炭酸水で、甘味はついていませんから」


 他愛もない会話を交わしながら、海面(・・)に浮上すれば、丁度、陽が列島の陰に沈もうとしていた。空だけでなく、味気ないコンクリートも海面もすべてが赤く染まっている。


「すごいですね」


 思わず感嘆の声が出る。彼は不思議そうな面持ちで振り返る。


「夕焼けがすごいですねって言ったんです。すごく赤いです」


 潮風で声が届かなかっただろうと、繰り返せば、彼は「前田さんって語彙力ないよね、」と呆れたようにつぶやいた。

 特に語彙力に矜持があるわけではないので、苦笑して受け流すにとどめる。


 彼は悪びれた風もなく、視線を空へと投げた。つられて私も空を見上げる。

 太陽の光を浴びたタカマガハラの姿。

 中核にあるアマノイワトと、それを取り囲むような形状のオヤシロ、そして、一見、不規則に散らばる起電用静止衛星群。


「夜が来ますね、」


 赤く燃える空に、東の方からじわじわと夜が侵食してきている。私がぽつりと呟けば、彼は空を見上げたまま。


「……前田さん、今週は遅出なんだっけ。何時まで?」

「22時までですが?」

「来週は?」

「日月が公休になりますので、火曜日から夜勤です」


 質問の意図がわからないまま正直に答える。


「じゃあしばらく会えないね」

「そうですね。私がいなくてもちゃんと身体を動かしてください」

「保護者みたいなこと言うのやめてよ」


 不貞腐れる彼に私が笑えば、彼はふっと真顔になった。


「……一人を監視するのに、7人」

「え?」


 思わず聞き返したものの、彼が口にした人数は、おそらく彼と直に接する監視担当者の数だ。実際は、彼を監視するための班は、私を含めた10人で編成されているのだが。

 彼はうろたえる私に頓着することなく続ける。


「約6400万……あ~この前7000万超えたんだっけ? それだけの国民を24時間365日見守るのには?」

「……? 防衛隊は現在、徴用による者を含まなければ防人だけで約10万……」


 素直に防衛隊の構成人数を言いかけて、しかし途中で口を噤んだ。


 彼の視線は先ほどから、ずっとタカマガハラの中心――アマノイワトに向けられている。


 彼が出すヒントはあからさますぎて、敢えて考えないようにしていたことをどうしても考えてしまう。


 半導体でできたメモリを効率的に使用するには定期的にデフラグが必要である。

 演算装置として奉納された脳。

 じゃあ、生体である脳にとってのデフラグは?


 働き(入出力し)続けたら迅速に判断ができなくなる。

 眠っている間に記憶が整理されるということは、彼女(・・)にも睡眠が必要なのでは?

 じゃあ、彼女(・・)が眠っている間は?


 黙り込んだ私に、やはり、彼は私の返事を待つことはなかった。

 彼は、ゆっくりと視線を私へとむけた。


「君が見た彼女(・・)はど――――――――――――――」


 彼の言葉は途中で途絶えた。

 まるで音声をオフ(ミュート)で見る動画のように、彼の口元が動いているが、少し高い声は聞こえない。

 同時に、今まで気にも留めていなかった波音がクリアに聞こえてきた。


 音声打ち消し機能(ボイスキャンセリング)が起動したのだ。


 思わず耳に装着していたインカムに手をかける。

 彼の声が聞きたかった。

 しかし、彼と目があった瞬間、その気持ちは消え失せ、私はその手を下ろした。


 次いで、耳障りな警報が鳴り響く。さらには赤い夕焼けの中に溶け込む赤い警告灯がくるくると回りだした。誘蛾灯に誘われた虫のように、どこからともなく同僚たちが集まってくる。


「前田3佐! 下がってください!」


 背後から同僚の声が飛ぶ。音声打ち消し機能(ボイスキャンセリング)は解除されたらしい。

 しかし、私は従うこともなく、真っすぐに彼を見つめて立ちすくんだままだ。


 彼もまた、真っすぐに私を見返してくる。

 丸腰の彼は抵抗するそぶりも見せず、あっという間に取り押さえられてしまった。


「抵抗しないって、乱暴はやめてよ」


 少しも焦った様子もない、ひょうひょうとした口調。

 腕を取られた彼が、目前を連行されていく。


 彼は私を認めると「じゃあね、前田さん。今度会うときは君が統合幕僚長かな?」と言った。私は、緩く手をあげて、敬礼をする。


「……今日のカレー、人参もちゃんと食べてくださいね」


 私の言葉に彼は意外そうにまばたきを一つ。


「炭酸水で流し込むよ」


 彼に、炭酸水で流し込むのはむせるだけだからやめた方がいい、と忠告したかった。

 しかし、私はその場を動くなと警告されており、彼はもう振り返らなかった。

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