5、黄昏の街
ウェルトットはガーデニアの三分の一もない小さな街だ。
けれど砂海を東に抜け、これより道はティーネ山脈に沿うようにエドラ小海へと延びている。
東の交通の要衝でもあるこの街は、やはり石造りの防壁で囲われ、街並みはガーデニアの旧区に似て入り組んでいる。
門より簡素な通行所を抜けると、通りに掲げられた赤い灯が家々を照らしていた。
「着いた! いや、やっぱ疲れたな」
サナは確かめるように大きく息を吸い込み、石畳に薄く積もっている砂を蹴った。
多少最後におまけが付いたが、稀に見る平和な旅路だった。
彼はくるりとフィルを振り返って、笑顔を見せる。
「実はちっとばかし心配してたんだが、にいさんに頼んで良かったぜ」
「そう言ってもらえると、何よりです」
「……心配、してたんですね」
リーゼの視線を躱すように、サナは大人しく付いて来た少年の前に立つ。
腰に手を当てて、「クソガキ、謝る気になったか?」と顔を覗き込む。
少年はぱっと顔を上げると、わざわざサナの足を踏みつけて、たたっと駆けた。
悶絶するサナの向こう、くるりと振り返った生意気そうな顔が、赤い灯に照らされる。
「僕、コウってんだ」
「ふぅん、コウか。俺はフィル。んで、こっちはリーゼ」
「おれは」
「おっさんは良いよ」
名乗った少年は、帽子のつばをぐっと下げて「一応、礼は言っといてやる」と唇を尖らせる。
「…それと、ぶったりして、ごめん」
「え? ああ、別に良いって。当たると思ってなかったんだろ?」
コウは叱られた子どものような顔で、頷いた。
フィルが笑うと、安心したようにほっと息を吐いて、束の間「でもな」と語気も荒く言い放つ。
「飼い犬と慣れ合うつもりは、ないんだからな!」
「はいはい、わかったって。とにかくあんま危ない修行はすんなよ?」
「だからっ、指図される筋合いはないって!」
それでも一応感謝はしているようだ。
コウは走り際、「じゃーな」と小さな手を乱暴に振った。
そのまま、あっという間に路地に駆け込んで見えなくなる。
背中を見送って、サナが「生意気ー」と頭を掻く。
「何だよ、にいさん。もっとびしっと言ってやれよ」
「あんなもんじゃないですか? あの年頃って。反省してたみたいですし」
「……にいさん、いくつ? 子持ちみたいな発言はどうかと思うぞー」
肩を竦めたフィルに、「少なくとも、保護者に引き渡して一言言うくらいはしても良かったんじゃないですか?」とリーゼも不機嫌な顔をする。
「砂海で一人で修行だなんて、あまりに危険です。それに、あの態度。流石にどうかと思います」
「………」
生意気なのは、ちょっと耐性が出来たというか。
口にはしなかったのに、リーゼは鋭く「何ですか?」と詰問する。
慌てて首を振ったフィルに、サナが同情を込めて頷いた。
「さて、おれもそろそろ行くわ。お仕事に取りかかんねえとマジでやばいからな。ま、おたくらはのんびりウェルトット観光でもしててくれよ」
帰りもよろしくな、と彼も軽く手を振る。
例の赤いバッグを肩にかけ直して、フィルとリーゼに背を向けた。
そして灯りの掲げられた大通りではなく、暗がりの路地へと踏み込んで行く。
リーゼはフィルの隣で、表情を曇らせる。
サナが見えなくなると、言いにくそうにけれど意を決したように口火を切った。
「その、あの子本当に、良かったんでしょうか? 修行って…、野良だったんじゃ」
「首輪って言ってたし、多分そーだろ。でも良いか悪いかは、俺らが決められることじゃないしな」
「でも、野良って」
リーゼの瞳が、光を映して揺れる。
認可を受けない案内人は、その多くが砂海でのトラブルの一因となっている。
依頼人をロストするのは勿論、無理なルートをとって命を落とすのもほとんどが野良だ。
けれどGDUは前身であるユニオンの性格上、問題だと言いつつも野良の存在を黙認する傾向にある。
ユニオンは、あくまで「ユニオン」。
それに所属しない存在を犯罪者と断ずることは出来ない。
そして何より。
「嫌な話だけど、生きてくのに野良になるしかないってこともある。GDUのバックアップは受けられないけど、中にはちゃんと案内人してる奴もいるしな」
「そう、なんですね」
助けてくれる「誰か」は探してもどこにもいなくて。
生きるために、あの砂を踏む。
それが、普通なこともある。
「俺も、同じだったんだろーな」
「…フィルさん、あんな子どもだったんですか? 何か、想像出来るような、出来ないような」
「いや、確かに生意気だったけど。そうじゃなくて」
師匠に拾われていなかったら。
リーゼの瞳を見返して、フィルは「いいや」と首を振った。
今更、何の意味もない想定だ。
切り替えるように伸びをして、フィルはリーゼに手の平を見せた。
「とりあえず」
「何ですか?」
「う、何ですかって…。初仕事、無事終了だろ」
あ、と小さく呟いたリーゼは、じっとフィルの手を見る。
「…でも、私、自分が歩くので精一杯で…。とても仕事をしたとは言えません」
「それで良いんだって。リーゼはウェルトットまで来たの初めてだろ? まずはちゃんと『エルラーラ』ルートを踏破した! 充分な成果だ」
「………」
「ちゃんと周りも見てたし、サナさんのことも気にしてた。会話も振ってたし、初めて案内に同行したとは思えない仕事振りだよ。ほら、胸を張れって」
「…はい」
リーゼは深く頷く。
彼女の白い頬が、赤い灯に照らされて紅潮して見える。
案内人として歩き出した弟子を眩しく思いながら、フィルは微笑む。
「リーゼ。初仕事、お疲れさま」
「はい!」
ぱあっと笑顔を見せて、リーゼは勢い良くフィルの手に自分の手を合わせた。




