4、竜の子と鬼ごっこ
近付いても、子どもは全く気にした様子もなかった。
十歳は越えているだろうか。
一応砂避けなのか、帽子を目深に被っている。
けれど服装はだぼっとした長袖のシャツに丈の短いズボン。
そして明らかに大きすぎる靴。
旅装束とは、とても言えない。
「やーい、のろまぁ! ここまで来てみろよ」
子ども特有の甲高い声で、苛めっ子のような台詞を口にする。
フィルたちに言ったのではない。
少年は軽い足取りで、フロートを回った。
その後ろを、追うもの。
「……何だ、あれ。ペットか?」
目を眇めて、サナが呑気に言う。
「ペット? あれ、砂獣ですよね」
心配そうなリーゼに、フィルは頷く。
少年は手に持った鞭のようなもので、それを誘うように打った。
砂の色を濃くしたような表皮。
黒い眼は丸く愛嬌を感じさせなくもない。
けれど、鞭の端に食らいつこうとした口には鋭い牙。
「砂獣ぅ? にしたってただのでかいトカゲだろ。遊んでんじゃねえの? ほっとこうぜ」
「…………」
砂獣は決して俊敏とは言えない動きで少年を追う。
散々煽られたのだろう。
ぱかりと口を開けたまま、隙があれば噛みつこうと前脚で砂を薙ぐ。
「ほら、こっちだって!」
フロートを一周して、少年はこちらに近付く。
気付いてはいるようだが、フィルたちを完全に無視して、少年は砂獣を振り返る。
「フィルさん?」
フィルはこちらに背を向けた少年に歩み寄り、その首根っこを掴んだ。
ぐいと引っ張ると、少年は体勢を崩して「うわ!」と悲鳴を上げる。
けれどすぐに、きっとフィルを睨んだ。
「何だ、アンタ。離せ…」
少年の言葉を待たず、フィルは追って来た砂獣の鼻先に叡力弾を撃ち込んだ。
衝撃で足元に振動が走る。
ばっと散った砂に、少年も砂獣もびくりと跳ねる。
反応は、砂獣の方が速かった。
本能で危機を悟ったのだろう。
くるりと頭を振り、身体をくねらせるようにして砂間を逃げて行く。
それを見送って、フィルは茫然としている子どもを離した。
「うおー、ビビった。にいさん、撃つなら撃つって言えよな」
「すみません。あんま余裕もなかったんで」
「余裕ですか? あるように見えましたけど」
少年はどこか気が抜けたような表情でフィルたちをじっと見て、それから砂獣が逃げて行った先を見た。
そして、唐突に手に持った鞭を振る。
ひゅう、と風を切ったそれはフィルの腕を打った。
「ちょっと…!」
「大丈夫だって。痛くなかったし」
子どもに詰め寄ったリーゼを、フィルが宥める。
一瞬、戸惑った顔をした少年は「アンタが悪いんだ」と、砂獣が去った方向を指した。
「アレをここまで連れてくんの、大変だったんだからな! 修行の邪魔して、何なんだよ!」
「ここまで連れて来たのか、あれを。わざわざ」
「な、何だよ。アンタ、あ」
少年は目を丸くして、今度はフィルの首元を指す。
「首輪! しかも…、ダっサ。三流じゃん」
「おいおい、クソガキ。ほどほどにしとかねえとにゃんこに噛みつかれるぞー?」
リーゼの肩を叩きながら警告したサナを、少年はつまらなそうにちらりと見た。
「ホントのことだろ。何だ、飼い犬の三流かよ。じゃあ今回は仕方ないから許してやる。でも、今度は邪魔すんなよな。アンタらと違って僕は忙しいんだから」
腕を組んでそう言った少年に、フィルは「それはどうも」と苦笑する。
「ま、命懸けの修行はほどほどにな」
「………はあ?」
「はあって。今の穢竜だけど?」
「え、りょう?」
きょとんとした少年に代わって、サナが「げッ!」と声を上げた。
リーゼもさっと真剣な表情をして、「今のが」と呟く。
「何それ」
「クソガキぃ、今のうちににいさんに謝れ。修行の邪魔どころか、命の恩人だぞ!」
「だから、何なんだって! いい加減にしろよ」
かっとなった少年に、「穢竜ですよ」とリーゼが静かに言った。
「砂に隠れて獲物を狙う砂獣です。大きくはないので繁殖期以外は好んで人を襲うことはないと言われています。ただ穢竜には毒があって」
「ど、毒」
「毒性は極めて高いそうです。一度噛まれただけで、数分で眠るように意識を失って。そして、そのまま目を覚ますことはない」
すらすらと説明したリーゼに、サナが拍手を送る。
砂に隠れていた穢竜をうっかり踏んで、噛みつかれ、砂海で意識を失う。
彼女の言う通り、案内人が恐れる砂獣だ。
少年は手に持った鞭をぎゅっと丸めた。
良く見るとそれは、ロープの切れ端に丁寧に糸が巻かれた手作りの鞭。
「そーだぞ。首都じゃ馬鹿な議員先生が不倫相手を殺そうって、穢竜の毒を精製してとっ捕まったこともあんだからな。しかも、解毒薬がねえってでかいおまけ付きだぞ」
サナが記者らしい補足を付け、少年の頭を軽く叩く。
少年は細い腕でその手を払った。
疑うように丸い眼を細め、フィルを振り返る。
「…ほ、ホントかよ?」
「解毒薬がないって話? うーん、ティントが作れないことはないって言ってた気がすっけど、そういうのは砂獣研究の分野だからな。まあ、今のところ一般に薬が出回ってねえのは確かだけど」
叡力機工学が専門のはずだが、あちこちの分野に首を突っ込んでいるティントは、時々フィルに関係がありそうな話を仕入れては気まぐれに報告してくる。
穢竜の話も例外ではない。
あの毒はさー、研究者的には面白くて仕方ない代物だよー?
そんな不謹慎なことを平気で言ってたが、まだ研究段階なのだろう。
少なくとも現段階では、穢竜の毒は死に直結するものだ。
少年は不貞腐れたようにそっぽを向いた。
「……。そんなの、知ってたし」
「いやいや、明らかに知らなかっただろ! 素直に謝ってお礼くらい言ったらどうなんだよ」
「うっさい、おっさん!!」
甲高い声で一喝されて、サナは「うぐぐ」と拳を握った。
本日二度目のおじさん呼ばわりだ。
毛を逆立てそうな勢いの少年に「まあ、とりあえず」とフィルはウェルトットを指した。
「ここで盛り上がってっと危ねえし、一緒に行こう。ウェルトットの子だろ?」
「…そーだけど」
「修行の邪魔したのは悪かったよ。でも、そろそろ陽も落ちるし切り上げ時だったろ。次はもっと相手を選んだ方がいいけど」
むすっとしたままの子どもにあっさりと言って、フィルは「行こう」とリーゼたちを促す。
陽はまだ残っているが、夜が近い。
急速に暗くなって来た周囲を、子どもは今更不安げに見渡した。
そして口を噤んで小走りに後をついて来る。
「面白くはあったけど、ネタにはなんねえなぁ」
少年を振り返って、サナが実に残念そうに緩く首を振った。




