3、旅路遥か
「おい、あれ! 見えてんの、ウェルトットだろ?」
夕陽を反射する砂を蹴って、サナが唐突に駆け出す。
ふわりと舞い上がった砂の粒を、微かな風が飛ばして行く。
緩やかに下る光る砂の行く先。
見えた街並みは幽かで、未だ砂海の色に埋もれ蜃気楼のように揺らいでいる。
「あんま焦んないで下さい。見えてはいますけど、まだ距離ありますよ」
「おー、わかっちゃいるんだけどよ。気が急くっていうか」
「…元気ですね」
サナに追いついたリーゼが呆れたように言った。
ガーデニアを出て、すでに半日は経っている。
砂海は、拍子抜けなほどに平和だ。
いつもは何かしら情報が入る携帯通信端末も、今日は沈黙を貫いている。
そのお陰で二人もそう疲労していないようで、サナに至ってはこのはしゃぎようだ。
「いやー、日頃の行いが良いからだな」
「え、誰のですか?」
「おれのだよ!」
「へえ」
気が合うのか、合わないのか。
リーゼとサナは、ずっとこんな調子だ。
フィルは二人のやりとりに耳を傾けながら、辺りを見渡した。
同じようにウェルトットを目指してガーデニアを発った案内人たちは、視界にはない。
早い者はすでに目的地に着いているだろうが、ほとんどはフィルたちより後方を歩いているはずだ。
それだけ、サナのペースが速い。
叡力銃も使ったことがあると言っていたし、やはりそこそこは砂海に慣れているようだ。
「……フィルさん?」
「ん? ああ、大丈夫。別に、何にもない」
心配そうなリーゼを安心させるように、フィルは笑って答えた。
二人を先導して、次のフロートまでルートを取る。
ここまで平和だと逆に落ち着かないのは、案内人の性かもしれない。
慎重なフィルに、何故かサナが訳知り顔で頷いた。
「さては、にいさん。アレ、見たんじゃねえのか?」
「は? あれ、ですか?」
疑問符を浮かべたフィルに、サナは砂避けのローブをかき合わせて背を丸めた。
恨めしげな上目遣いのまま、ひっそりと口の端を吊り上げる。
「門のユーレイ」
「………何言ってるんですか、サナさん」
リーゼの冷たい言葉にめげることなく、彼は「知らねえのか?」と大袈裟に驚いて見せた。
「有名だぜ? 門に血塗れのローブを着た案内人の幽霊が出るって。そんで、そいつを出発前に見ると……」
生きては、帰って来られない。
リーゼは丸い瞳を瞬いて、ふいっとそっぽを向く。
「幽霊とか、信じてませんから。私」
「とかいう奴が一番びびんだよなぁ。な、にいさんも知ってるだろ?」
「オルフマンですよね。確かに、有名ですけど」
「…な、名前があるんですか?」
無意識か、リーゼはローブの胸元をぎゅっと握った。
サナの言った通り、意外とこの手の話は苦手なのかもしれない。
フィルは足元を確かめながら、軽く頷く。
「心配しなくても、名前があんのはオルフマンくらいだって」
「何の慰めですか、それ。意味わからないです」
「す、すみません。でも実際、砂海ってそういう話は腐るほどあるんだよ」
死人が多いから。
言外の意味を悟って、リーゼは痛そうに眉を寄せた。
「そうだぜ? 一時期、夜の砂海を歩いてっと追いかけて来る男がいるって、すげー騒ぎになったこともあるぞ」
煽るようにサナが付け加える。
リーゼは明らかに怯んだ表情で、フィルとサナを交互に見た。
「なんでもその昔、砂海が荒れると『女王』に生贄を差し出してたんだと。にいさんみたいな顔の良い若い男をな」
調子に乗ったサナはリーゼを追い詰めるように「その幽霊が連れて帰ってくれって追っかけて来るんだ」と凄む。
「生贄とか、ずっと昔の話なんじゃないんですか? 何でそんな昔の幽霊が今になって出て来るんです?」
そこは理論立てて考えるらしい。
フィルは振り返って、「そーだな」と笑った。
また一つフロートを通り過ぎ、ウェルトットの街が近くなる。
「まあ、生贄の幽霊とか騒いでたけど結局それ、砂獣だったんだよ」
「にいさん、バラすなよー」
生贄の話は、残念ながら本当にあったことらしい。
もっともガーデニアが案内人の街として発展し、ユニオンが組織されてからは徐々に廃れていった風習だ。
件の追いかけて来る男は、思い出したように現れた生贄の霊などではなく、未確認の砂獣。
所謂迷子で、GDUが案内人を招集して討伐した。
案内人の間で面白がって語られる幽霊話の多くは、大抵がそんな真相だ。
リーゼはサナの隣を歩きながら、「じゃあ、オルフマンも?」と首を傾げる。
「いや、オルフマンはちょっと違うんだよな」
「……まさか見たことあるとか、言いませんよね?」
「まじか!? どんな奴だった?」
盛り上がるサナを宥めて、フィルは首を振る。
「見たことあったらまずいでしょう。話は聞いたことありますけど、見たことはないですし見たくもないですね」
「何だ…、にいさんも怖がりな口かあ?」
「見たら生きて帰れないんでしょう? 進んで見たいと思う案内人はいませんよ」
そうではなくて、とフィルは進行方向に視線をやった。
夕焼けがゆっくりと色を失いつつある。
眩しいほどだった砂も、灰色に移ろう頃だ。
けれどウェルトットの外門も確かに見える距離。
夜の砂海は歩かなくて済みそうだ。
「オルフマンは、信仰と似たようなもんだって話です。案内人が何となく信じてる、ちょっと物騒な神さまみたいな感じかな」
「…血塗れの神さま、ですか」
案内人にとってオルフマンは死を予告する者。
腐るほどある噂話の幽霊とは一線を画する。
だから、名前がある。
けれど受け入れがたいのか、リーゼは難しい顔のまま唸った。
「まあ、俺も積極的に信じてるわけじゃない。そんな話があるんだくらいに思ってりゃいいさ。心配しなくても、砂海で怖いのは、幽霊じゃなくて砂獣とか人ととかだしな」
「何か、安心していいんですか? それ」
「幽霊が怖くても案内人やってけるってこった。安心していいんじゃないか?」
からかうように言ったサナを、リーゼは横目で睨む。
「ほら、もうちょっとでウェルトットだから仲良くな」
リーゼは「頑張りますが、仲良くは出来そうもありません」と淡々と答える。
それに反応したサナが、また大袈裟に悲しんで見せた。
若干、悪循環だ。
だがリーゼが本格的に怒る前に、ウェルトットに着くだろう。
残りも一つになったフロートの光が、夕暮れにぼんやりと浮かんでいる。
その光に照らされて、唐突に影が飛んだ。
ぎょっとしたリーゼとサナが足を止める。
影はまるで踊るように、フロートの周りをくるくると駆ける。
「大丈夫。人ですよ」
黄昏で見えにくいが、それは確かに人だ。
それも、背丈からして子ども。
その意味では、大丈夫かどうか微妙なところだ。
「行きましょう」
どちらにしても、目的地はこの先。
嫌な顔をしたサナを、リーゼが押す。
「人は人でも、生きてないとか言わないよな?」
「案外、記者さんは怖がりですね」
反撃に出たリーゼは、意外と落ち着いている。
フィルは一応叡力銃をホルダーから抜いた。
「噂の幽霊だったら記事になるんじゃないですか? 『エルラーラ』ルートゴーストツアー、みたいな」
「おお? あ、それ、ありなんじゃね!?」
ぱっと目を輝かせたサナは、ぱちりと指を鳴らした。




