POISON(ポイズン) Ⅱ
「えっ、吹雪?」
ドアを開けたらまさに雪国だった。
さっきまで恐ろしく寒くはあったものの、雪は積もっていなかったのに、この変わりようは・・・・・・。
まさに、雪は、悪魔だ。
この勢いで近所の稲荷社までGO!の予定だったのに、夜に、吹雪、しかも方向音痴の3重苦では、さすがのあたしも出かけるのを躊躇する。
「エティエンヌを助けに行く途中、遭難死なんて笑い話にもなんないもんね」
あたしは、それでも逸り出す自分に言い聞かせるように言うと、合宿所の自室への道をたどり始めた。
それに・・・・。
一刻も早くシャワーを浴びなければ、あの男に触れられた所から未知の病にかかってしまう気がする。
「あの35億人の敵め!」
ようするに、世界の人口70億人の半分は女性だから、ランスロットは、35億人の敵なのだ。間違いない。
あたしは、いまや、ランスロットをGの頭文字を持つ虫以上に、見つけたら即行、撲殺すべき相手と認定していた。
「ふふふ・・・・」
いいや、この際、トランプからクラブのJだけを焼却処理してしまうのもいいかもしれない。まぁ、ポーカーはやりにくくなるし、7ならべに至っては完全に出来なくなるが、それでも、あたしの黒い殺意は、膨らみに膨らんでいた。
「うーん、いくらなんでも殺人(?)は、やばいかぁ~。
エティエンヌに嫌われたくないしなぁ・・・・」
それに、ヤツはあたしが呼びださなければ、絶対に出てこれないのだ。
あたしは、部屋に戻ったら、クラブのJを予備カードと糊で貼りつけてしまうことに決め、悪魔のようににやりと笑った。
「あたしってば、優しい~」
と、口に出して言ったとたん、目の前で白いものが動いた。
ま、まさか・・・・雪女とか?
こんな吹雪の夜に出て来るものって言うと、それしか考え付かない。
あたしは、がくぶると震えた。
「またお姉ちゃんか・・・・」
白いものは、がっかりしたような声を出し、それでも、こっちにずかずか近づいてくる。
白いものの正体は、あの時の少年で、この吹雪の中、相も変わらず薄い水干1枚だった。
「あんた、寒くないの?」
高淤さんの少年版といった様子の彼が、人間であるはずがないのに、あたしの口から出たのは、そんな言葉だった。
しかも、あたしの手は、勝手に動いて、少年の首にマフラーを巻きつけてやっていた。
どうも姉という人種は、弟と同じ年くらいの男の子をほっておけないものらしい。
「・・・・えっと、ありがとう」
「うん。それで、誰を探してるの?」
あたしは、自分でも馬鹿げていると思うことを訊ねていた。自分のことで手いっぱいな状態だというのに、彼の表情が迷子のように頼りないものだったせいだろうか。
「それが・・・・よくわからないんだ。
きれいな女の人で、傍にいるとあったかくて、ずっと一緒にいたくなること以外は・・・・」
彼は、捨てられた子犬のように俯いた。尻尾があったらたぶん、ペタンと垂らしているだろう。
「その人ってあんたのお母さんかな?
それであんたの名前は? あたしは、紫堂緋奈。
埼玉から学校の合宿でここにやってきたんだ」
「僕の名前は・・・・わからない。
緋奈、僕には、記憶がないんだよ・・・・!」
あたしを普通に呼び捨てにしてくれた少年は、血を吐くように言い、尻尾だけでなく、耳まで垂らしている状態になった。
「えっ、記憶がないの!?」
そんなマンガやドラマみたいなこと、本当にあるもんなのか。あたしは、目の前の少年をめずらしいものを見るように見詰めてしまった。
「うん。それで、もしかしたら、その女の人に会えば、全部思いだせるんじゃないかと思って、ずっと探しているんだ」
「そうだったんだ・・・・」
そう返したそばから、彼の髪にも彼の肩にもどんどん雪は積もって行き、たぶん、このままでいたら、あたしと少年が雪だるまになるのもそう遠くないだろう。
「あのさ、ここにいると、凍死、間違いなしだから、あそこにある温室に行かない?」
温室を指差したあたしは、彼の頭と肩に降り積もった雪を払い、少年の返事を訊くのを待たず、ずんずんと歩き出した。少年は、忠犬よろしく後から付いてくる。
「さすがにもういないよね」
あたしは、おそるおそる温室のドアを開け、ランスロットの気配がないのを確認すると、少年と一緒に安っぽいベンチに腰を下ろした。
「えっとさ・・・・。名前がないの不便だな。
なんか適当に名前をつけない?」
「そう言われても、すぐに思いつかないよ。
緋奈、適当につけてよ!」
少年がそう言うので、あたしは、「うーん」と唸った後、
「んじゃ、朧ってのはどうかな?
さっきまで冬だってのに朧月が出てたからさ」
「朧かぁ。なんか女みたいな名前じゃない?
でも、まぁ、いいよ、朧で」
少年、改め朧は、しぶしぶと言った様子で頷いた。
「それで、朧のことなんだけど。
あたし、あんたに似てる人を知ってるんだ。人って言うか、神様なんだけどさ」
「えっ、神様?」
朧はそう訊き返したけど、すぐに、
「うん、僕が人間じゃないだろうなってことはわかってたんだ。
だって、緋奈以外の人には僕が見えないみたいだし。でもさ、幽霊にしちゃ足があるんだよね」
と言い、いっそう切なげな顔になる。
「そうだね、あたしも朧を初めて見かけた時、幽霊かと思ったよ。
でも、こうやって触れるんだから幽霊じゃないでしょ!」
「うん・・・・」
あたしは、淋しそうな朧をなんとしても慰めたくなって、彼の頭を何度か撫でてやった。聖樹だったら『子供扱いすんな!』とか言って怒るとこなんだけど、朧は、いくら神様とはいえ、ひとりで彷徨っていたせいか、人恋しくなってるみたいで、大人しく撫でられていた。
「えっとさ、朧に似てる神様に朧の事を訊いてみるよ。
確か、兄弟がいたと思うからさ」
「ありがとう、うれしいよ!」
そう言って、やっと笑顔を浮かべた朧は、少しだけ懐いた子犬のようでとっても可愛い。だから彼が、この吹雪の中、また彷徨うのかと考えると、とたん、胸が痛くなる。
「朧さ、誰にも見えないんだからこの温室にいたらどうかな?
いくら神様でもこんな吹雪の中、外にいるのはやばいよ」
何人かの神様とお知り合いのあたしは、神様という存在がけして万能ではないのを知っている。さっきまで自分がどんなもんか知らなかった朧ならなおさらだろう。
「そうかな? 僕は、寒いとか暑いとか感じないよ?」
一刻も早く自分の正体を知りたい朧は、またすぐ人探しに出たいんだろう、ここにいるのを躊躇している。
「うん、それは知ってるけど。
でもさ、吹雪の中、歩いてたら雪に埋もっちゃうかもよ、さっきみたいにさ。
それに・・・・あたしは、ここに朧が居てくれた方が安心だな」
『ここに朧が居てくれた方が安心だな』と言ったのは、こう言えば朧が断りづらいだろうと、わざわざ口にした言葉だ。そして、ちょっと淋しそうに笑えばなお完璧だろう。
「あのさ、朧。昼間は、その女の人を探して、夜とか、こんな吹雪の時にだけここにいるのはどうかな?
あたしもあんたに似た神様から連絡が来たら、すぐあんたに教えてあげられるしさ」
そうダメ押しで言ってあたしは、可愛く小首をかしげた。
「うーん、そうだな。
考えてみたら僕も基地みたいなところがあるのはありがたいし、緋奈が僕にいて欲しいって言うならここにいてあげてもいいよ」
そう言って朧は、少しだけ小生意気な少年の顔になる。
ふふふ、どうやら男心をくすぐる作戦は成功したみたい。
ってかさ、朧にあちこちふらふらされてると、あたしの精神衛生上、よくないんだよね。
「うん、商談成立だね。あらためてよろしく、朧」
あたしは、そう言うと、朧に右手を差し出した。
朧は、一瞬、恥ずかしそうにしてだけど、すぐにあたしの手を握って来た。やはり、その手は冷たい。
「うん、よろしく」
「あのさ、朧。あたし、もうめっちゃ遅いから部屋に帰って寝るよ。
また明日、来るから、気をつけてうろうろするんだよ」
もう疲れがピークに達したあたしは、照れ臭そうにしてる朧に手を振ってから、温かい温室を出た。
外はさっきより激しさを増した吹雪で視界が最悪。
悪意を感じるくらい叩きつけて来る雪を片手で避けながら、あたしは、建物に沿って迷わないように一歩一歩進んでいった。ずいぶんと盛りだくさんな一日だったなと考えながら。




