POISON(ポイズン) Ⅰ
今は、夜の10時過ぎ。
あたしは、通い慣れつつある温室までの道を歩いていた。
今夜は、みぞれが舞うあいにくの天気。でも、そんなことが気にならないくらいあたしの不安は大きく育っていた。
実は、こうして温室に通うのは、今日で3度目になる。
昨日もエティエンヌは姿を現さなかった。
さすがにおかしい。どんなに喧嘩してもエティエンヌが出てこないなんてあり得ないのだ。
彼は、あたしの守護騎士だし、それ以上に『要注意人物』とレッテルを張ったあたしを幾日もほったらかしにすることなんて説教臭いエティエンヌの性格上、考えられない。
温室のドアを開けると、相変わらず派手派手しい蘭の花たちがお出迎え。
あたしは、その甘ったるい匂いを極力、吸い込まないようにして、何度も深呼吸をした。
えっと、何で深呼吸をしたかって言うと、ある決心を抱いてここにやってきたからなの。まぁ、エティエンヌが今日も出てこなかったらの話だけどね。
一番奥の、ここだけケチった白いプラスチックのベンチに脱いだコートを置くと、ポケットからトランプを取りだした。
そこからいつものようにハートのジャックを抜き出し、誓言を唱える。
「神の英雄、聖天使ガブリエルよ。
ここにハートのジャックの支配者を呼びたまえ。
我が守護騎士・La Hireよ その姿を現せ」
けれど、エティエンヌは、現れない。
もう一度、誓言を唱えてもダメ。
あたしは、ベンチに腰掛けると、がっくりと肩を落とした。
うーん、あんまりっていうか、ちいとも気はすすまないし、エティエンヌに知られたら怒鳴られるだけじゃ済まない気はするけど・・・・。
「やっぱ、あの肉食系男子を呼ぶしかないかぁ~」
今度、トランプから抜き出すのは、ハートのジャックではなく、クラブのジャック。
あたしは、カードを空に掲げると、彼を呼ぶための誓言を唱えた。
「神の英雄、聖天使ガブリエルよ。
ここにクラブのジャックのルーラーを呼びたまえ。
Lancelot du Lac.その姿を現せ」
すると、カードはバレリーナがピルエットでも舞うようにくるくると踊り出し始める。刹那、溢れだす光の洪水。派手好きの彼にふさわしい登場である。
「やあ、緋奈ちゃん。ようやくその気になってくれたようでうれしいよ」
そんなわけわかめな言葉を言って登場したのは、『アーサーと円卓の騎士』で有名な騎士・ランスロット。彼は、前回の登場の時、あたしの騎士萌えゲージをMAXからゼロまで落としてくれた人物だ。
あたしは、条件反射のように3歩後ずさった。
「今日はお願いがあって・・・・」
そう言いかけたあたしの口唇は、即座に長い指で塞がれる。
(移動、早っ・・・・!)
ランスロットさんの身の軽さを忘れていたあたしは、あっという間に彼の腕の中だった。
やばいっ・・・・!
エティエンヌに目を合わせてはダメだとしつっこく言われていたのに、彼の濃い茶の虹彩を思いっきり覗き込んでしまうなんて。
「可愛いね・・・・」
低くて甘いヴォイスに耳元で囁かれたとたん、冷たい舌が耳たぶをぺろりと舐め上げる。ぞくり・・・・。
幾度も繰り返されたそれに腰が砕けたあたしを軽々と抱き上げ、ベンチに座った自分の膝の上に載せたランスロットさんは、あたしの縁をなぞるように手をゆっくりと動かした。獲物がどんなに暴れても自分の手に落ちることを疑わない蜘蛛のように泰然と。
あたしの首筋に幾度もキスをしながら、ジャケットのボタンをひとつずつ外していくランスロットさん。
ま、まさか・・・・これって貞操の危機とかいうんじゃ?
心は、めちゃめちゃ焦ってるって言うのに、あたしの体は、彼の手に、彼の口唇に、従おうとする。なんとも二律背反。
彼の舌が這う度、甘い痺れが全身に広がり、両腕は、さらなる快感を求めて彼の首へと伸ばされる。
「いい子だね。女の子は、素直なのが一番だよ」
甘やかな声が耳を犯し、体中が彼を受け入れようとうごめきだす。
なんで、なんで?
なんで、この体は、ご主人様に従わないの?
いやだ、こんなのはいやだ。
あたしに触れる手も口唇もエティエンヌのものじゃないっていうのに。
(絶対に、イヤだぁ~~~~!!!)
あたしは、心の中でタガが外れるほど絶叫した。
でも、心とは裏腹に、瞳は閉じられる。彼の口づけを待ちわびて。
そのまぶたから落ちていくしずく。
続いて、幾つもの温かいしずくが頬を流れ落ちていく。
(あれっ?)
あたしは、そこで、はたと考えた。もしかして、涙はあたしの好きになるの?
なら、他の場所だっていけるかもしれない。
まず、足の小指。
ダメだ、ちいとも動いてくれない。
あたしは、苛々する心を押さえて何度も同じ努力を繰り返した。
そして・・・・何十回、繰り返したのかわからなくなった頃、右足の指がわずかに動いた。
けれど、その間も、ランスロットさんの愛撫は続く。ブラウスのボタンは、すべて外され、胸の上に咲く幾つもの赤い花。
このままじゃ、この男のものになってしまう。それだけは死んでもいやなのに。
あたしは、目を閉じて言い聞かせる。
『焦っちゃダメだよ、緋奈。
これは、戦いなんだから、先に焦れた方が負けなのよ!』
そう言い聞かせ、あたしは、あたしの体に主人として命令を下す。
『動け・・・・!』と。
足の指、足の先・・・・そして手の指。
あたしは、逸る心を必死で押さえながら、まるで、金縛りを解くように少しずつ、少しずつ体の主導権を取り戻していった。
ばれないよう、本当に少しずつ。
違う意味でぞっとするけど、あたしは、油断を誘うため、ランスロットさんの胸へ頬をすりすりと猫のようにすり寄せた。
「緋奈ちゃん、君も楽しいことの方が好きだろう?
大丈夫、俺が毎日、心をこめて、君を可愛がってあげる。
そしたら、あんな男のことなどすぐに忘れしまうさ」
ランスロットさんは、すり寄って来たあたしの頭をペットの猫を撫でるように撫で続ける。
よし、今だ。
と思ったあたしは、ジャケットのポケットからチビ狐を取り出し、彼の前頭葉あたりを力を込めて殴りつけた。
「うわっ・・・・!」
自慢じゃないけど、弟と武道と言う名の喧嘩に励んでいたあたしは力持ち、しかも、ちょっとばかり身が軽いのだ。ランスロットさんが頭を押さえてるうちに、するりと彼の腕から逃げ出してやった。
そして、簡単に衣服を整えた後、オリーブの徴からジャンヌの剣・ラピエールを呼びだす。
あたしは、ラピエールの赤く輝く刀身をランスロットさんの目前に突き付けた。
「やられたな、さすが継承者ってとこか。
でも、その剣じゃ僕は殺せないよ、緋奈ちゃん」
目に入る血を乱暴に拭いながら、さも楽しそうに笑うランスロットさん。
「そうね、殺すことは出来ないけど、傷つけることは出来るんじゃないかな」
中段に構えたラピエールを軽く振って、ランスロットさんの左腕ぎりぎりに風の刃を放ってやる。すると、なぎ倒された大輪の蘭が甘ったるい匂いをそこらじゅうにまき散らした。
「っ・・・・あぶないな。
なるほどね、君は、竜神との戦いで僕達がどんな生き物か学習したってわけか?」
うーん、まぁ、そういうことになるかな。
食事をするには普通、体液が必要だよね?もちろんキスをするのにも。
それに、あたしに叩かれたエティエンヌは、痛そうに顔をしかめていたし、狐父さんの頭にはたんこぶまで出来ていた。
それらから出る結論は・・・・エティエンヌ達と、神は、おそらく似たようなものだ。
「さぁ、どうかしら?
でも、円卓の騎士・ランスロット。あなたはあたしに従いなさい」
正眼に構えたラピエールをランスロットの喉元に突き付けたあたしは、継承者として命令を下した。12人の支配者は、継承者に従うもの。あたしは、エティエンヌからそう訊いていた。
そりゃ、ランスロットとマジ戦えば、勝つなんて絶対ムリだ。
それでもこれは意地だ、人間としての。
「おい、そこの外人。女だからってな、日本人、なめてんじゃねえぞ!」
あたしは今、今世紀最高にブチ切れていた。
だってこの男は、支配者のくせに、継承者を抱かれるくらいしか役に立たない売女扱いしたのよ。しかも、この男は、女性に対する尊敬の念が1ミクロンたりともない。
だから、あたしは、個人的に日英同盟を破棄することに決めたのだ。
「出来るものならやってみたら?
ガブリエル様やラ・イールにおんぶに抱っこで継承者やってる君にほんの少しも負ける気はしないからね」
完全にこっちを見下した言葉を言い放つランスロットにこれ見よがしに大きなため息を吐いてやる。だって、そういうセリフ言われんの、もう飽きたんだよね。
ぶっちゃけ、『ブルータス、お前もか?』って言ってやりたい気持ちでいっぱいです!
「わかった。もう継承者、やめるわ。
もともと、やりたくてやってるわけじゃないしさ、ガブリエル様とやらに言っといて」
「は? 世界が滅びちゃうんだよ?」
「それがなんなの?
恐竜が滅びたんだから人類も滅びりゃいいじゃないの!」
あたしは、ふふんと笑うと、聖樹と同じセリフを返してやった。
ランスロットは、あたしにこんなことを言われると考えてなかったみたいでぐぐっと喉を詰まらせた。
「ついでに言うとさ。『ジャンヌの生まれ代わりだから○○して当然』とか言われるのもう飽き飽きしてんの。
大体さ、ジャンヌの生まれ変わりだからってキリスト教徒でもない、日本人のあたしにどんだけ重荷を背負わせるわけ?
まぁ、あたしだけなら我慢もするよ。でもさ、“ゆらぎ”のおかげでこの国の人間や神様がめちゃくちゃ迷惑してるんだよ、この国にあたしが生まれちゃったせいで。
あんたさ、そんなあたしの気持ち、少しも考えたことないでしょう?
しかも、なんで支配者が、継承者を処女じゃなくそうとするわけ? マジわけわかんない!」
あたしは、今までの鬱憤を全部晴らすかのようにしゃべりまくった。まさに立て板に水。まぁ、鬱憤を晴らすにゃ最適だったしね、こっちが呼ばなきゃ出て来れない男なんて。
でも、ランスロットは、しばらく、油紙に火のついたようなしゃべりに茫然としてたんだけど、いきなり、ほんとうにいきなり、腹を抱えて笑いだした。
「緋奈ちゃん、君、ほんと、いいね。
さっき、『なめてんじゃねえぞ』って啖呵、切られた時なんか、うっかり惚れそうになっちゃったよ」
ランスロットは、それでもあたしが胡乱な目で見ているのに気付いたのか、「ああ、ごめん」と言ってから、一本筋の通った顔になり、続きを話し始めた。
「もし、緋奈ちゃんがあのまま僕に抗わず、抱かれちゃうようなら、君の言う通り、世界なんか滅びればいいと思ってた。
僕は、もうとっくに死んでる人間だし、世界が滅びたとこで大して困んないしね。
まぁ、ぶっちゃけて言うとさ、僕は、ラ・イールと違ってノラ犬なんだよ。
だから、ご主人様は自分で選びたい。ってことで、現時点で君に従う気はまったくない。
ただ、今回の緋奈ちゃんの心意気を買って答えてあげる。
ラ・イールは、ここ3日ばかりトランプには戻っていないよ」
馬鹿なオーバーアクションのせいで、よけい血が止まらなくなったランスロットは、ホラー映画で真っ先に殺される脇役みたいに、顔中を血だらけにしながら爆弾発言をした。
えっ、エティエンヌがトランプに戻っていない?
そんなことがあるんだろうか?
あたしは、ランスロットの主人と認めないと言った言葉より、そればかりが、いいや、それだけが気にかかった。
極度の緊張のせいか、強烈に喉が渇く。
口唇を何度も湿らせ、ようやく出た言葉は、老婆のように擦れ切っていた。
「そ・・それじゃあ、エティエンヌはどこにいるっていうの?」
「さぁね、そんなことは知らないよ。ただ・・・・」
相変わらずゾンビみたいな顔のランスロットは、言葉を濁らせ、しばらくあたしを実験動物のように観察していたが、ふいに仕方ないなって顔をした。
「いいかい、緋奈ちゃん。僕がその気になって落ちなかった女は、今まで3人しかいない。ギネヴィアとジャンヌ、そして君だ。
僕は、他のヤツらと違い、君をジャンヌと同じに考えちゃいない。生まれ変わりだとなんだろうと、今の君は、ジャンヌに遠く及ばないからね。力も覚悟も何もかもね。
でも、君は、心の強さってのを少しばかり見せてくれた。
それに、ラ・イールに消えられるのはちょっとばかりイヤなんだよね。あいつは、本当に強い騎士だからさ。
だから、そのふたつを合わせてようやく及第点ってことで教えるよ。
さっき言ったように、ラ・イールがどこにいるかは知らない。おそらくガブリエル様もご存じないだろう。
でも、僕たちは、君も知っているようにトランプの精霊みたいなもの。長くトランプから離れていることは出来ないんだ」
えっ・・ええっ・・・・それって?
あたしは、死にそうな金魚みたいに口をパクパクさせ、目ん玉を落ちそうなくらい見開いた。
「それは・・・・エティエンヌが死んじゃうってこと? 長くって長くって、どのくらいなの!?」
「まぁ、落ち着きなよ。あいつを助けたいんだろう?
さっきも言ったけど、僕たちは、精霊みたいなものだから人のように死ぬことはない。
でも、僕なんかだと3日もトランプから離れてると弱ってくる。たぶん5日くらいすると人魚姫みたいに消えちゃうね。
ラ・イールは、導きの騎士だから、頑張って10日ってとこだろう。
だから、君は、何が何でも10日以内にあいつを助けてやるんだ」
「でも、エティエンヌは、どこにいるかも分かんないんだよ。どうやって助けろっていうのよ!?」
ランスロットの襟首を掴んでゆさゆさと揺すぶってやる。
あたしは、もうパニックを起こしていた。エティエンヌがいなけりゃ世界を救うどころか、あたしはあたしを生かすことすら出来ない。
床に崩れ落ちるように膝をついたあたしは、ランスロットの存在など気にせず、わあわあと泣き喚いた。
「緋奈ちゃん、いいかい?
あいつを攫えるほどの力を持った者なんてそうはいやしない。導きの騎士は、支配者最強だからね。
なら、ラ・イールを攫えるほどの力を持ったやつを探せばいい。そうだろう?」
口角を上げ、人の悪い微笑みを浮かべたランスロットは、言い聞かせるようにそう言い、あたしは、それにゆっくりと頷いた。
確かに、エティエンヌを攫うことが出来るヤツはかなりレアだ。まず、人間には無理だし、今の“ゆらぎ”にだって無理だろう。
なら結論は出ている。
エティエンヌが攫われたのは、たぶん、合宿に行くあたしを見送った直後。これは、エティエンヌがトランプに帰るまでのほんのわずかな時間を狙った犯行なのだ。
だとするなら、それには考えられないほどの力が必要となる。
「ランスロット、一応、お礼は言っとくわ。ありがとう」
こいつにお礼なんて死ぬほどもったいない気がするけど、あたしは日本人、礼儀を忘れてはいけないのだ。
「ああ、お礼は、緋奈ちゃんの処女でいいからね」
そう言いながらウインクした肉食系の髪を、ほんのわずかラピエールを振って起こした風の刃で切り落としてやる。
そうしてから、コートを拾い、捨て台詞を投げてやった。この懲りるということがない男に。
「Adieu.(永遠にさようなら)」
「・・緋奈ちゃんってば冷たい・・・・」
とかなんとか、後ろから聞こえたけど、振り返る気はこれっぽっちもない。だって、『地獄へ落ちろ』って気持ちでいっぱいだもん。
それにしてもランスロットが仏教徒だったら大変だったろな。何十回、もしかしたら何百回も女性を背負って三途の川を渡らなくてはならなかったろうから。(*1)
もしかしたらぎっくり腰にでもなったかもしれない。そうしたら、もうナンパも出来ないからちょうどいいや。
あたしは、妄想にニヤッと笑って、温室のドアを力いっぱい開けたのだった。
*1 10世紀中頃の日本の俗信として、「女は死後、初めて性交をした相手に手を引かれて三途の川を渡る」というものがあった。(WIK 参照)




