TABOO(タブー)
「父さん、いったん埼玉に戻ってから朝一で出雲に向かうことにするよ」
あたしは、怖気る心にフタをしながらそう言い、狐父さんの小さな前足をにぎにぎした。
実は、黄泉比良坂は、島根県八束郡東出雲町に実在する場所なのだ。
今日中に埼玉に戻れば、朝一番の飛行機で出雲へ行けると思う。
でも、狐父さんは、精一杯明るく言ったつもりのあたしの心に気づいてしまったようで。
「緋奈、怖いのは当たり前の感情やで。
いいや、怖いと感じない人間の方が怖いで」
そう言ってから、あたしの肩に乗ってる使神さんに、
「ここに桃か、橘の木はあるか?」と、境内をきょろきょろ見回しながら訊いた。
「桃の木でしたら」
と、答える使神さんに桃の木まで案内させた狐父さんは、
「スマンが、吾子のためや。許したってな」と、断って、太めの枝を一本ぽきりと折り取った。
その80センチほどの長さの枝を、まるでお菓子を食べる時みたいに目にもとまらぬ速さで両手を動かし、みるみる一本の杖を作り上げていく。
あたしと使神さんは、その様子をあっけにとられて見てたんだけど、狐父さんの仕事はそれで終わりではなかった。
耳と尻尾をぴんと立てながら、まるで孫悟空がチビ悟空をたくさん作る時みたいに自分の毛をぶちっと抜き、その毛にふうと息を吹きかける。そうして出来たのは、たくさんのチビ狐ではなく、フード付きの純白のマントだった。
「こんなもんやろ」
さすがに疲れたのかふうとため息をついた狐父さんは、自分と同じようにぷかぷか浮いてる杖とマントに目をやってから、あたしに受け取れと顎をしゃくった。
「これは・・・・?」
あたしは、手を伸ばし、杖とマントを受け取ってから、問うような顔を狐父さんに向けた。
「杖とマントは、黄泉を歩くための必需品ってとこやな。
ええか緋奈。黄泉ゆうとこはおそろしく寒いんや。そいでな、亡霊どもがうろちょろうろちょろしとる。
そいはこのふたつでなんとかなるやろが、問題はイザナミはんとスサノオはんがエチはんをおとなしく返してくれなかった時や。おそらく黄泉醜女どもに緋奈達を追わせるやろ」
「うん。まぁ、そうだろね。
でも、あたしには、イザナギ神みたいに桃やタケノコなんて出せないし、彼女と戦うしか手段がないなぁ~」
ため息を吐くように言ったあたしは、ふらふらしてる狐父さんをよいしょと抱き上げる。
そりゃさ、鬼女であっても黄泉醜女は、イザナミ神とスサノオ神の配下だもん、なるべくなら戦いたくない。これからも高淤さんをはじめとする天津神と仲良くやっていくために。
「そやが、緋奈の持っちょる剣は黄泉醜女を殺すことは出来んのやし、いい具合に傷を追わせればいいんやないか」
そう狐父さんが提案してくれる。
確かにラピエールは、“ゆらぎ”以外は殺すことは出来ない。でも、今のあたしの力量で生かさず殺さずなんてことが出来るのだろうか。
あたしは、狐父さんに気付かれないようにこっそり息を吐き出していた。
「それから最後にふたつだけ言うとく。
ええか、黄泉比良坂の比良いうんは崖のことや。わしも黄泉には行ったことがないさかい、どうなってるか知らん。だが、崖の先に黄泉の国あるんか、崖のような坂が続くんかのどっちかやろ。
それと、知っとると思うが、黄泉のもんは水一滴さえ口にしたらあかんで。帰って来れなくなるさかいな」
そう言い終えた狐父さんは、あたしの腕の中で力尽きて気を失ってしまった。
「どうしたの、父さん・・・・!?」
焦りまくったあたしは、狐父さんの体をゆさゆさ揺すぶった。
今のあたしは、知っている。死ぬことはないにしろ、神様だって傷ついたり弱ったりするのだと。
だからあたしは、相当うろたえていたんだと思う。使神さんに何度も何度もほっぺたを叩かれてようやく覚醒したのだから。
「心配するな。箭弓様は、神力を使われすぎたのだ。
しばらくおまえの気を差し上げていれば、徐々に復活なさるだろう」
「よかった・・・・」
肩からがっくり力が抜ける。
さっきまで座っていたベンチに戻ったあたしは、杖とマントを脇に置き、膝の上に乗せた狐父さんのふ わふわの毛並みを何度も梳いた。
そうやって大切な宝物を守るように撫でていると、肩の上から小さな笑い声がした。
その声のした方に目をやると、使神さんが頬を緩めて笑っていた。
「お前と箭弓様は、幸せだな。
そのように思い合える相手には、悠久の時を生きる神だとてなかなか出会えるものではない」
「はい、あたしは幸せなんだと思います。
“ゆらぎ”のせいで両親を亡くしましたが、こうして父さんとエティエンヌに出会えましたから」
「ああ、箭弓様の娘よ。
このお優しい方を悲しませていかん。絶対に黄泉から戻ってくるんだぞ!」
心からの言葉だった。狐父さんに好意を持ってくれてるとわかるような。
だから、返した言葉は・・・・。
「はい、ありがとうございます。
これからも父さんをよろしくお願いします」
お礼だった。
それからあたしは、使神さんを肩に乗せたまま、もふもふの毛並みを小一時間ほど撫で続けた。狐父さんが目を覚まし、箭弓稲荷に戻れるようになるまで。




