第33話 契約の刻印
ティアナの案で、森の魔法使いに会いに行くために砦の森を進む。
昨日、レオンハルトが来た時と同じように、足を踏み入れた時は新緑豊かな森だったが、しばらく歩くと辺りは暗くなり、道の脇に生い茂った木々は鬱蒼とする。すでに歩き始めて一時間は経つが、先にも後ろにも道と森以外のものは見えない。
レオンハルトは昨日と同じ違和感に眉間に皺を寄せる。やはり魔法がかけられているようで、そのことに気がついたジークベルトが呪文を唱えると、辺りに霧が立ち込め――一瞬の後には、さっきまでと風景ががらりと変わり、目の前の森は開け、その先に一軒の小屋が見えた。
「ふむ。私の魔法を打ち破るとはなかなかだな、そこな魔導師。一緒にいるのは隣国の姫に、少女……ほお、そなたも来たのか」
そう言って現れた男は、歳の頃は二十代後半か、すらっと背が高く時代錯誤の黒いマントをはおり、長い黒髪を無造作に後ろに流し束ねた――森の魔法使い、ルードウィヒだった。
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「行方不明のレオンハルト王子に会いたいのです。どこにいるのか、見つける方法はないでしょうか?」
そう言ったティアナに対し。
「残念ながら、それには答えられんな。他にはないのか?」
ルードウィヒはちっとも残念そうではない顔で言い、ちらりとレオンハルトを見る。その視線に気づいたレオンハルトは警戒心を露わに身構え、その視線には気づかないティアナは考え込み、ぽつりと漏らす。
「では、エルにかけられた魔法を解いては貰えないでしょうか?」
レオンハルトにとっても、ルードウィヒにとっても予想外のティアナの言葉に、ルードウィヒは片眉を上げて、珍獣でも見るかのように見つめる。
「面白いことを言う娘だ。よかろう、ならば取引といこうではないか」
ルードウィヒはくつくつと笑い、両手を広げる。
レオンハルトが止める隙もなく、目の前にいたティアナはルードウィヒの腕の中に吸い寄せられるように進む。
「やめろっ!」
「ティアナ様っ!」
「待てっ!」
危機を悟り、イザベルが悲鳴を上げ、ジークベルトとレオンハルトの叫び、ティアナの連れ戻そうと腕を伸ばすが、身動きが取れない。
「ルードウィヒ、やめろっ! 彼女に手を出すなっ!」
全身の毛を逆立てて尻尾を震わすレオンハルトが言う。左腕の魔法石に手を当て、ジークベルトも臨戦態勢をとるが、二人ともその場に縫いとめられたように体が重く、ルードウィヒの元へは一歩も動けない。
その様子を見て、ルードウィヒは口の端を僅かに歪め、くつくつと笑う。
「そう焦るでない。この娘には手は出さぬさ。ただ……徴をつけさせてもらうだけだ」
言うと同時に、短く詠唱したルードウィヒの漆黒の瞳が妖しく光り、ティアナの胸元が一瞬輝き、にぃーっと不敵に微笑んだルードウィヒは姿を消した。意識を失い、支えも失ったティアナはぐにゃりと地面に倒れ落ちた。
ルードウィヒが姿を消すと、辺りの風景も街のすぐ側の新緑の森に変わり、身動きが取れるようになったレオンハルトはティアナに駆けよる。
「ティアナ様……!」
まさか、ティアナがあのようなことをルードウィヒに頼むとは思わなかったレオンハルトは、それを止められなかった自分を呪う。
しかし、レオンハルトは未だ、猫の姿のままだった……
ルードウィヒは確かに“取引をする”と口にはしたが、一体何の取引をし、何を代価に取られたのか分からず、困惑する。
「髪が……」
イザベルの震える声に、我に返ったレオンハルトは、ティアナの髪に視線を移し、息をのむ。ティアナの艶やかで長い銀髪が、腰よりも短くなっていた。
ちっと舌打ちをしてジークベルトが毒づく。
「髪を代価に、とりやがったのか」
「髪を代価に……?」
その言葉を反芻して、レオンハルトはジークベルトを見上げる。
「なぜ、髪が代価なんだ?」
ルードウィヒは、レオンハルトに魔法をかけた時、見返りを求めない、ただの暇つぶしだと言っていた。レオンハルトの魔法を解くと言うことは、それ以上の獲物を見つけたということになる。それがティアナの髪の毛なのか――理由が分からず、レオンハルトはジークベルトに説明をこう。
「髪、特に王族の――それも“銀”髪には強力な魔力が宿ると言われている。ティアは王族だし、僅かだが魔力もある。それに、徴をつけられた……」
「徴――?」
ジークベルトは悩ましげに眉間に皺をよせ、ため息とともに瞼を伏せ、ティアナの胸元を僅かに捲り手をかざす――そこには、拳ほどの大きさの円陣が刻まれ、銀色の輝きを放っていた。
「これは――?」
レオンハルトはジークベルトを捲し立てるように問う。
「代価としての契約が書かれている――と思う。読み解くには時間がかかりそうだ」
「契約!? 代価は髪だけじゃないのか?」
「わからない――しかし、この契約が成立していないことだけははっきりしている。契約が成立した時の文字の色は赤くはっきりと刻印が刻まれるが、今は俺が手をかざして魔力を当てることで刻印が見えるんだ」
「ならば、契約を破棄することはできるのだな?」
「わからない。俺にも森の魔法使いの目的が何なのか、はっきりしない。とにかく、この契約を読み解くのが先決だ……」
「くそ。どうして、こんなことに――」
ジークベルトがティアナの胸元から手をどけると、そこには何もなかったように、雪よりも透き通る白い肌があるだけだった。
苛立ちを露わにする二人だったが、いつまでも森にいるわけにもいかず、気を失ったティアナを連れて宿屋に戻ることとした。




