第32話 砦の森
チェの街の疫病騒ぎは、ティアナとジークベルトが作った虹色の丸薬のお陰で街人の病は治り、王都から派遣された王宮魔導師が到着後、疫病の原因と考えられる水の浄化、ティアナの残したメモを元に疫病に対抗する虹色の丸薬の大量制作に掛かり、騒ぎは一段落した。
薬を作り上げ長屋で倒れたティアナは昏睡状態で三日間眠り続けていた。
その間、レオンハルトはベッドに横たわるティアナからほとんど離れず、つきっきりで看病をした。
瞼を固く閉じたティアナは、薬のおかげで熱も下がり耳の下の腫れも翌日には引き、規則正しい呼吸を繰り返し、ただ眠っているようにしか見えなかった。しかし目を覚まさずに二日経つと、レオンハルトはこのままティアナが目を覚まさないんじゃないかという不安に胸が押しつぶされ、何も出来ない自分に対する苛立ちと共に、ここ数日、胸にもやもやと渦巻き計り兼ねていた気持ちの正体に気づくこととなる。
ティアナを失いたくない――
その強い気持ちが、ティアナが目覚めたことで、ある決心へと変わる。
※
チェの街を出、首都ビュ=レメンの手前の街バノーファに到着したレオンハルトは、宿屋を後にし、王宮と定期的に取っている連絡を受けるために街の西に向かう。
喋っているところを見られない様にするため、人目のつかない場所で落ち合うはずだったが、レオンハルトが約束の場所に行くと、そこには連絡係の密偵は居らず――代わりに、ひょろりと小柄で青色のマントをつけた男――アルトゥルが立っていた。
「お、まえ――」
レオンハルトが言葉を失う。その声に気がついたアウトゥルは、主人を見つけた子犬のように瞳を輝かせてレオンハルトに近づくと、その前に膝をつき、深く頭を下げる。
銀の猫と、その猫の前に跪く人――傍から見ると異様な光景だろうが、人通りのない場所だったので、それを不審に思う者がいないことにレオンハルトは安堵のため息を漏らす。
「レオンハルト様がお戻りと聞き、いてもたってもいられずに駆けつけてしまいました……」
アウトゥルは今にも泣き出しそうな声で、嗚咽を漏らしながら喋る。
「よくぞご無事でお戻り下さいました。長旅、さぞやご苦労をされましたことでしょう……」
感極まるアウトゥルに、呆れつつレオンハルトは威厳のある声音で言う。
「して、頼んでいたことは分かったか? 報告を」
「はい。森の魔法使いは、このバノーファの西側、砦の森の奥に住んでいるという情報です。しかし、彼に会いに行って会えた者はいないとか」
「そうか……まあ、情報がすべてではない。行くしかないか……」
レオンハルトの呟いた声を、アウトゥルは聞きもらさず、問い返す。
「レオンハルト様、森の魔法使いに会いに行かれるつもりなのですか? なぜ、今、彼に会いに行く必要があるのです? それよりも、一刻も早く王城へ魔導師を伴いお戻り下さい! ニクラウス殿が魔法を解く準備を万端に整えてお待ちですよっ」
そう言って見つめてくるアウトゥルを、レオンハルトはしばし見つめ返し、無言で踵を返し歩き始める。
アウトゥルの言う通り、ジークベルトを王城に連れて行きニクラウスに魔法を解いてもらう方法が一番安全だ――しかし、成功率は五分五分。それよりも、事の元凶である森の魔法使いがすぐ側にいるならば、直接会いに行ってみようと思ったのだ。
レオンハルトがイーザ国に向かってすぐに行方不明と知った王妃は、レオンハルトが舞踏会に姿を現さなければ自分が花嫁を決めると宣言したと、密偵から報告を受けていた。だから、レオンハルトはどうしても舞踏会までに人間の姿に戻り、舞踏会に出なければならなかったが、たとえ舞踏会に出たとしても、王妃の納得するような――レオンハルトが、一生を側で過ごしたいと思うような――女性がいない現状では、ただ舞踏会に出ればいいというわけにはいかなかった。でも――
ティアナと約一ヵ月共に旅をして、彼女に惹かれている自分の気持ちを、レオンハルトは自覚してしまったのだ。ティアナならば信頼に値するし、レオンハルトは恋愛感情を抱き始めている。イーザ国の姫という身分も、花嫁として申し分がない。
でも、だから――
早急に事を運びたくはなかった。ティアナの気持ちも無視できないし、もっとゆっくりと、時間をかけてティアナを親しくなりたいとレオンハルトは考えた。
そのために、今、森の魔法使いと会わなければいけないような気がしたのだ――
「レオンハルト様、どちらへ……! まさか、本当に森の魔法使いに会いに行くおつもりなのですか!?」
迷うことなく砦の森に足を踏み入れたレオンハルトの後を、アウトゥルが慌てて追いかける。
砦の森はチェの北の森と違い、バノーファの街と隣接したごく普通の新緑豊かな森だった。が、しばらく歩くと突然辺りは暗くなり、木々と道しか見えなくなる。
「なっ、なんか気味が悪いですね……」
レオンハルトの後ろを体を縮込ませて歩くアウトゥル。レオンハルトは無言で進み続けるが、違和感に立ち止まる。一本道なのに、同じ場所を歩いているような感覚だった。振り返り、来た道を早足に戻ったレオンハルトは、すぐに足を止める。三十分ほどは森を進んだはずなのに、引き返してすぐに森の外れ――街に戻ってしまったのだ。
「魔法がかけられているのか――」
魔法の感覚も知識もないが、なぜかそんな気がしてレオンハルトは呟いた。
結局、その後森に足を踏み入れても、眩しい新緑の並木が続くだけで、先程の妖しい森に着くことすらなかった。
※
ひとまず宿屋に戻ることにしたレオンハルトはアウトゥルと別れ、街の中心部に向かう。
宿屋に戻ってしばらくすると、社交場に行っていたティアナが王子が行方不明だと言う噂を聞いたと言う。
行方不明だと言う情報を流さないように押さえていたはずが、王妃どころか街にも広がっていることに、レオンハルトは唇をかみしめる。
「ふーん、王子が行方不明か。ティアは、王子に会うために舞踏会に行きたかったんだな。で、どうするんだ?」
レオンハルトと同じようにどこかに出かけていたジークベルトが意味深ににやにやと笑ってティアナと、彼女が抱き上げて膝の上に置いたレオンハルトを見る。
レオンハルトは自分の気持ちに気づいてから、ティアナに抱かれることに躊躇いがあったが、一人勝手に意識して拒絶するのも申し訳なく、されるがままに抱かれていたが、ジークベルトに視線に居心地悪そうに睨み返す。
私はここにいます――とも言えず、レオンハルトは尻尾の先を僅かに揺らす。
王子を探すという提案をしたイザベルに、悩ましげに眉をひそめティアナが考え込む。
「近衛兵が探しても見つからないというのに、私達が探して見つかるかしら? それよりも、以前バノーファの森に魔法使いがいると噂を聞いたのだけど……その森の魔法使いに王子を探してもらうというのはどうかしら?」
「森の魔法使いか……会ったことはないが俺ら魔導師の間では有名だからな。“森の魔法使い”その呼び名の通り、あいつは歴とした魔法使いだ。俺ら魔導師が自然の力を媒介に魔法を使うのに対して、あいつはその体に魔力が宿っている。正真正銘、古の魔法使いだ。あいつは森の奥にいて、会ったことがあるというやつはほとんど聞いたことがないからな」
「じゃあ、森に行っても会えないかしら?」
ジークベルトの言葉に、ティアナは小首を傾げて尋ねる。
「それはわからない。まあ、そいつが一緒なら会えるかもしれないがな」
そう言ったジークベルトの瞳は、好奇の光を宿してレオンハルトを見ている。
もしかして、気付いているのか……
レオンハルトは、ジークベルトの真意を探るように瞳を鋭く見つめ返す。
「エルと一緒なら?」
一方のティアナも、ジークベルトの言葉に含まれた意味を探るように彼の言葉を反芻する。
「エル、一緒に行ってもらえるかしら?」
ティアナはしばらく考え込んだ後、レオンハルトに尋ねた。
魔法がかけられた森、森の魔法使いに会うことはできなかった――いや、やつは、私に会うつもりがないのか。
レオンハルトは先程までいた砦の森のことを思い出し、眉間に皺を寄せる。
「私が一緒に行っても会えないとは思いますが……ティアナ様のお申し出ならばお伴しましょう」




