第2話 銀色の猫
銀色の猫は、ティアナが昨日落としたラピスラズリのブレスレットを口にくわえていた。ティアナが窓辺に駆けより両手を広げたので、猫はそっとブレスレットを手のひらに置く。
「ありがとう……」
ティアナは受け取ったブレスレットを腕にはめ直し、反対の手できゅっと握って抱きしめるようにする。
「大切な物なのですね。失くさないでよかった」
銀色の猫は少し目を細めて言う。
ティアナは改めて銀色の猫をじっくりと見つめる。大きさは普通の猫と同じでどこも変わったところはない……人の言葉を喋ることを除いては。
魔法使いや魔女が当たり前の様にいて、魔法が頻繁に使われていた時代は遥か昔の事。だけど今も魔導師と呼ばれる人たちが僅かに存在している。だから喋る猫なんて初めて見るけれど、なにか魔法に関係しているのだろうとぼんやりと把握する。なにより、銀色の猫の凛とした様子が邪悪な存在には感じられなかった。
銀色の猫はブレスレットを抱きしめたまま自分を見るティアナをじっと見つめて訊ねる。
「あなたはもしかして……イーザ国第一王子エリク様の妹君ですか?」
「ええ、エリクは私の兄です。私はティアナと申します」
「なぜ、姫君がこのような塔に……いや、それよりもエリク様は今どこにいらっしゃいますか?」
銀色の猫は落ち着かない様子で、座ったり立ったりする。
「お兄様のお知り合い? お兄様はまだ遊学の旅から戻っておりませんが……」
「なんと……いらっしゃらないのですか……?」
耳をピクピクと動かし困った様子の銀色の猫。
「お兄様に用があるのですか? 私で何か代わりに出来ることはないでしょうか? ブレスレットを拾ってくださったお礼をさせて下さい」
そう言われて、銀色の猫はしばらく考えてから言う。
「では、どなたか知り合いの魔導師を紹介して頂けますか?」
「わかりました。もうすぐ侍女が朝食を持ってくると思うので、その時に魔導師への紹介状を書きましょう」
しばらくして扉が叩かれ、侍女のイザベルが朝食を持って部屋に入る。ティアナは朝食を済ませている間に、イザベルに紙とペンを用意させ、知り合いの魔導師への紹介状を書いた。その様子を見ていたイザベルが、心配そうな声で尋ねる。
「まさかティアナ様、ここから抜け出そうなんて考えていませんよね?」
ティアナは苦笑して、書き終えた手紙を封にしまい窓辺に近づく。窓辺では銀色の猫が丸まって気持ちよさそうに眠っていた。ティアナは猫に手を伸ばし、一瞬躊躇ってからそっと背に触れて毛並みに沿って撫で始めた。想像していた通りのさらさらの毛並みは温かくお日様の匂いがする。
ティアナに触れられた猫は一瞬だけ体をこわばらせ、気持ちよさそうに目を細めた。
「お待たせしました。これを鍛冶屋通りのカーンという料理屋、そこにいるジークベルトという男に渡して下さい」
「ありがとうございます」
銀色の猫は手紙を受け取ると、優雅に一礼する。
「まあ、猫が喋ったわ……」
その様子を見て驚くイザベルに、くすりと銀色の猫が笑う。
「姫君は私が喋ることに驚かれなかったが、これが普通の反応ですね」
苦笑して言った銀色の猫は出て行こうと窓の外を向き、それから振り返って問う。
「本当に、私はこのまま行ってもよろしいのでしょうか? 姫君はこの塔に閉じ込められているのでしょう? なにか理由があって?」
ティアナとイザベルの顔を交互に見つめて銀色の猫が尋ねる。ティアナは苦笑し、イザベルをちらっと見て猫に向き直る。
「行きたいのは山々なのですが……」
「行きたいのなら、行ってもいいのではないですか? 何があなたをここに繋ぎとめているのです?」
そう尋ねられて、ティアナの脳裏を父王とレオンハルト王子の顔が過る。考えるよりも先に体が動いて窓を乗り越えようとしたティアナを、後ろからイザベルが抱きついて止める。
「いけません! ティアナ様」
「お願い、見逃してイザベル」
窓枠に手をかけたまま眉を寄せて、背後にいるイザベルに言った。
「ダメです、ここは塔の上ですよ! 出るなら、扉からにして下さい。ティアナ様がどうしてもビュ=レメンに行きたいと仰いますのなら、私もお伴しますから!」
「えっ?」
ティアナが振り返ると満面の笑みで両手を前に揃えてイザベルが立っている。その様子を見ていた銀色の猫は、窓辺から室内に降り扉に向かって歩き出した。
「私の行き先も姫君と同じ、ビュ=レメンです。奇遇ですね」
「まあ、そうなんですか」
可愛らしく微笑んでイザベルが言う。
「同じ目的地なら、一緒に行きましょう。人数が多い方が旅は楽しいわ。えっと、あなたのことはなんと呼んだらいいかしら?」
ティアナが足元を歩く銀色の猫を見て尋ねる。
「私の事は……エルとお呼び下さい。では行きましょう。まずは魔導師の元へ」