ヤミの6月【Ⅳ】
† † † †
私の拾った写真。そこに映ってるのは二人の小さな女の子。
「これって、ホムラと……誰だろう?」
ホムラと顔が似てるからたぶん親族なのだろうと思う。歳の近さから見て姉妹だろうか。
フリルつきの白いワンピースの女の子がにっこりと微笑む反面、隣の幼いホムラはどこか居心地の悪さを感じてるような表情をしていた。
嫌な気持ちを露骨に顔に出すわけでもなければ、嘘くさい満面の笑顔を作るわけでもない、無色透明の湖面に黒い絵の具をほんの一滴垂らしたような表情。巨大な凪の湖と比べたらその黒はあまりに少量で、何を染めることもなく薄まり、無色透明の中にすぐに消えてしまう。
よほど勘の鋭い人か、長年一緒に過ごしてる家族同然の人か、よっぽどホムラが気になって普段から注視してる人でもない限り、他の誰に気付かれることもない一瞬の表情。
今のホムラも時たま見せるその一瞬をこの写真は切り取っていた。
そう私が写真を見ながら考え込んでいると……。
「ヤミー?もうシャワー終わってる?」
声と共に扉が開く音、ホムラが戻ってきた。
「わっ!おおう!」
私は慌てて持っていた写真立てを机の上に戻すと弾かれるように玄関の前まで戻り、滑り込むようにして膝をついて座る。まるで一日の仕事を終えて帰って来たホムラを出迎えるおくさ……ではなく忠犬のようだ。わんわん。
「おかえり……なさい」
「ん、その感じだと終わったみたいだね」
「い、いいい良いお湯だったよ!」
「出てくるお湯はどこでも同じじゃない……?」
いや、断じて同じではない。ホムラの浴室ということが私に特別な高揚感を与えたのだ。
とは口が裂けても言えない。
「そうかも……」
「まぁ風を引かないうちに温まってくれて良かった。ヤミが着てた服は共用ランドリーのほうで洗ってるから終わるまで待ってようか」
「うん。そういえば私、あそこの洗濯機使ったことないかも」
「洗濯物が溜まってる時はドカッと一気に洗えて便利だよ。個人の部屋にも一応ついてるけど小さいし、夜中とかは音を気にして洗いにくいじゃん」
「音…………気にしたことなかった」
「本当?」
「というか、私の隣って誰か居るのかな、分からないや」
「……ヤミさん?」
改めて思い返すと私は隣人というものに会ったこともなければ、朝に訓練所へ行く時や夕に訓練所から帰ってくる時に人を見かけたこともない気がする。お隣さんはもちろんのことだが私の部屋があるフロアそのもので人を見た覚えがない。
人付き合いは苦手だし気楽でいいなぁと楽観的に捉えていたけど、よくよく考えるとなんだか怖い。
訓練所の運営側が私に気を使って周りの部屋を空けてるのか、はたまた曰く付きでゴースト辺りが住んでたりするのか……。
「うん、ゴーストだったら楽しいね」
「いや怖いよ」
「……そう? 案外礼儀正しいし、話してみると面白かったりするよ」
「うーん……時々ヤミが悪魔族ってのを再認識させられるなぁ」
「?」
どうやらホムラと私の間にはゴーストに対する認識の差があるらしい。馴染みのない種族の国だと怖い物語の題材にもなってるらしいとは聞いてるけど。
「とりあえず適当なとこ座って。お茶淹れてくるよ」
「わかった」
私が部屋の中心の丸テーブルの横に座ると、ホムラはキッチンに行って汎用エネルギーケトルのスイッチを押す。キッチンと言っても各個室に備え付けの流し台と汎用エネルギーコンロがある簡易的なもの。テーブルからも目と鼻の先、普通に会話を続けられる距離にある。
「ホムラって料理とかするの?」
間を繋ぐ以外の意図のない私の質問に、ホムラはケトルからお湯を出しつつ背中越しに答える。
「たまにかなー。ひとり暮らしだし人並みにはできるつもりだけど、最近は面倒な時が多くて作ってないかも。ほらここ食堂とか購買が充実してるでしょ? やろうと思えばそこで済ませられちゃうんだよね」
「……うん」
ひとり暮らしならできるものなのか。ひとり暮らしの私には驚愕の事実だ。
「ってわけで今日の遅めの昼食兼おやつはこのパンなのです」
ホムラは予めベッド脇の机に置いていた紙袋を、お茶を載せたトレイと一緒に持ってくる。今日ホムラと会ったときからずっと良い匂いをさせていた例の紙袋だ。実は部屋に来てからも匂いはしていたけど、私の脳内がそれ以上に大変なことになっていてすっかり存在を忘れていた。
「外から買ってきたの?」
「そう、近くに美味しいパン屋さんがあってね。休みの日でもないと買いにいけないから」
「ほう……そんなものが……」
私がこの訓練所での生活を始めてから二ヶ月ほど経つけど、私は敷地外に出ようと思ったことは無かった。中の購買や支給品が充実していて外に買い出しにいかなくても事足りてしまうからである。
だがホムラのようにふらっと外に買い物に行く候補生は意外と多いらしく、休日になると訓練所門を出て行く人影を度々見かける。実際、魔導騎士候補生らに外に出てはいけないと言う規則は存在せず、外出届を申請すれば誰でも外出することが認められるらしい。
もちろん訓練日の昼間から出るとか、外出理由が必要最低限の建前もないとか、さすがにそういうのは弾かれるだろうけど。
「ヤミはお昼食べてた?」
「あー」
そういえば食べてないかもしれない。
思い返してみると、取り込んでいた洗濯物を畳み終わって一息ついたら何か食べようかなと思っていたような……気がする。
そしてベッド下からチラシを見つけ、外に出て敷地内を走り回り、ホムラと出会って部屋に呼ばれて今に至る。
「あっ!」
チラシ……そうだすっかり忘れれてた。見つけた古い紙そのものは風で吹き飛んでしまったけど、書かれていた内容はしっかりと覚えている。後で誰かに確認しないと。
ぐっ。と決意固く両手を握った私は、目の前の不思議そうに覗き込むホムラの顔でホムラと会話中だったことを思い出す。
「……ヤミ?」
「あー、ごめんごめん、思い出してた。そういえば私も食べてない」
「昼飯のこと思い出しただけであんなに驚いた顔するかな……まぁいいや、食べてないなら丁度いい、一緒に食べようか」
「いいの? ホムラが買ってきたものなのに」
「いいのいいの。どうせ私一人じゃ食べきれない量だし、ヤミが来てくれて助かったくらいだよ」
そう言いながらホムラは袋を開け、大きさや形、中身の違う複数のパンを取り出して並べていく。袋の外に漏れ出ていた芳しい匂いに違わず、カリカリやフワフワに焼かれたその見た目からも美味しさが伝わってくる。
「ね? どれも美味しそうでしょ?」
「うんっ」
並べられたパンはまるで宝石箱みたい。否が応でもテンションが上がってくるというもの。
「私はこれかな。ヤミも好きなの食べなよ」
「じゃあ……これを」
私たちはパンの宝石箱からそれぞれ一つ選び口に入れる。
「おおおぉ……」
素直に美味しい。食べる前から分かっていたことだけど、口に入れるとまるで溶けるように芳醇な甘みが口の中いっぱいに広がる。こんな美味しいパンを食べたのは生まれて初めてだ。
思わず目の前にホムラがいるのも忘れて黙々と食べ進めてしまう。パンを千切って口に運ぶ手が止まらない。真に美味しい時はリアクションができないんだなと改めて実感する。
かくいうホムラも私が選んだものとは別のパンにかぶりつき舌鼓を打っている最中。これでは会話がなくなっても仕方ない、どんどん食べてしまおう。
「……ぷはっ、美味しかった」
いつの間にか一つ丸々食べ終わった私は一息ついてお茶を飲む。ずずず。
「いやー、やっぱりここのは良いねぇ。久しぶりだけど何度食べても感動するよ」
「うん。ホムラが勧めるだけはある」
「でしょー!」
「でも……」
私はお腹をさする。
「このパン一つが一つ大きいね。味も濃厚だしなんか一つでお腹いっぱいになっちゃったかもしれない」
「それが良いところなんだよ。食べきれないなら包むから幾つか持って食べてよ。数日は持つはずだから」
「いいの?」
「いいよ、好きなのどうぞ」
正直欲しいか欲しくないかと言えば欲しい。もう私はパンの虜なのだ。
「うーん……でもホムラが買ってきたものだし、本当にいいの?」
「偶にヤミにも差し入れ貰ってるでしょ? そのお返しと思ってよ」
「お返し……か。そういうことなら」
遠慮しすぎるのも失礼な気がするし、ホムラが良しと言うならありがたく貰おう。
それから私たちは私のお土産を選ぶという名目で、既にお腹いっぱいでありながらも各種パンの味見を続けた。これが別腹というものなのかもしれない。
お互いにあれが美味しいこれが美味しいと、他愛もない会話はパンの話から最近の生活の話まで行ったり来たり。
雨が降り続いていた間に溜まっていた話題は積もるほどある。ホムラと話せなかった間の私の時間は止まっていたと言っても過言ではなく、その会えなかった時間を取り返すように、私はお茶請けになりそうな他愛もない話題を次から次に出す。
ああ、やっぱりホムラといる時間は楽しいな。
でも……。
「ヤミ?」
「……あ、ううん、なんでもない。それでね――」
玄関先から始まり、洗濯の話、料理の話、そしてテーブルについてからの他愛もない話。
ここまで色んな会話をしたけど……ホムラが私の着ている服に触れる発言をすることは、一度も無かった。
「サイズは窮屈ではないか」「別のものにしたほうが良い?」という心配の言葉も、「似合ってるじゃん可愛いー」「うーん、やっぱり似合ってないなぁ」という私を茶化すようなホムラらしい冗談も、一切何もない。
まるで私が初めからこの服を来て部屋に遊びにでも来たかのようにホムラは振る舞っている。
やっぱり……あの写真の女の子と関係があるのかな。
それを考えるとこちらから話題を振るのもなんだか気が引けてしまう。
楽しいはずのホムラとの時間。けれど私の頭の片隅には何とも言い表せない違和感がずっと引っかかっていた。
そうして一時間か二時間ほど話していると、時刻は夕方と呼ばれる時間に差し掛かってくる。窓の外は変わらず暗く、部屋に掛けられた時計だけが時間の流れを指し示していた。
普通の友達ならこのまま一緒に夕飯を食べて、場合によっては泊まることもあるかもしれない。でも……私たちはそうじゃない。
ああいや、私の気持ちとしては全然アリなんだけど、今すぐお泊りセット走ってもってくるくらいアリなんだけど。
このままいると、たぶんホムラが我慢をすることになると思うから。それは私の本意じゃない。
ホムラは……なんというか、自分の周りの人と一定の距離を取るくせがある。同期の人たちとの会話を見てても思ったけど、友達のように振る舞いつつ、実のところ自分のほうに一歩踏み込ませない雰囲気を放っているのだ。
言葉で直接断るわけでも、威圧した態度を取るわけでもない。ただ風に舞う綿毛のように掴みどころがなく、掬い上げた手のひらの上の水のように隙間から溢れてしまう。そんな“のらりくらり”とした態度がホムラのプライベートな領域を覆い隠している。
私は別にそれが不快とは思わないし、無理にそこを暴こうとする気もさらさらない。むしろホムラのそういう丁度いい距離を保つ雰囲気が私には心地よく感じられる。
ようは……私もホムラに甘えてるのだ。暴かないんじゃなく暴きたくないというのが正解。ホムラに嫌われてこの関係すら終わることを恐れている臆病者。
というわけで臆病者の私は宴もたけなわ、包んでもらっていたパン土産を手に席を立つ。
「ホムラ、私そろそろ帰るよ」
「ん? そうだね、ちょうど服も乾いてる頃だろうし」
「……あっ」
そうだ。私は何普通に帰ろうとしていたんだ。私はパンをご馳走にホムラの部屋に来たんじゃなくて、泥水で汚れた服の洗濯を待っている間にパンをご馳走になっていたのだ。
今思い出したことを口にするのも恥ずかしいので分かっていたようなふりをする。
「……う、うん、大体乾燥を含めるとこれくらい時間になると思う」
「だねー」
あれ、共用ランドリー使ったことないって言った人は誰だっけ。
よくそんなこと知ってるなぁ。
ごめんなさい。
「じゃあお片付け始めますか」
テーブルの上を片付け始めるホムラ。
「あっ、私も手伝おうか?」
「いいよいいよ」
何か出来ることはないかと提案してみるも、逆に玄関の方に背中をぐいぐい押される。
白いワンピースの大きく開いた背中の部分、羽の根元の素肌にホムラの手が直接触れてくすぐったい。
「ひゃうっ!」
「ヤミはこのまま共用ランドリーに寄って自分の服取って帰っていいから」
「で、でも……」
……ん?
このまま帰っていいと言うことは当然私はこの白いワンピースの服を着て帰るということだよね。
そうだ、このタイミングなら服のことについて触れても不自然じゃないかも。
「ホムラ。今日はこの服を貸してくれてありがとう。借りてくけど明日にでも洗って返すから――」
「……あー、うん、それはヤミにあげるよ」
「え?」
私の背中に手を当てたままのホムラの声が僅かに低くなる。
「いやいや、これ高そうだしさすがに貰えないって!」
「良いの……私にはもう……要らないから」
「……?」
表情は見えない。でも……いつものホムラでないのはよく分かる。
よく考えたら今日のホムラはずっと変だった。
自分の領域に人を入れたがらないのに私をわざわざ自室へ連れてきたり、こんな大雨の日にわざわざ外の店に買い物にいったり、更に言えばひとり暮らしに慣れてるのに自分が食べきれない量のパンを買ってきたのもなんかおかしい。
「ねぇ……ホムラ」
「……なに?」
「もしかしさ、今日買い物してきたのって――――この白いワンピースを着てた女の子と関係ある?」
確証はない。私が今日見たものをそのまま繋げただけのただの勘。
でも……聞かずにはいられなかった。
「…………」
ホムラは何も答えない。
背中に触れるホムラの手の感触が少しだけ汗ばむのを感じた。
「なんでもない」
ホムラがやっと絞り出したのはその一言だけだった。
「……うん、じゃあまたね」
たぶん今のは本心じゃない。ホムラをずっと見てきた私には分かる。
でも私にそれ以上追求する勇気は無く、そのまま部屋を後にすることしかできなかった。
ガチャンッ
ドアが閉まる瞬間、チラっと見えたホムラの顔は……よく覚えていない。
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・
その出来事で何が変わったというわけでもない。
雨が上がってからも私たちの関係は続き、度々あの訓練所裏で会ってはくだらない話や遊びにふけった。
ただ、あれ以降私が白いワンピースの女の子の話題に触れることは一切なくなり。
ホムラは少しだけ、不真面目になった。
そして――――夏がやって来る。




