ヤミの6月【Ⅲ】
† † †
「おじゃま……します」
「どうぞー」
恐る恐る玄関に入るが……特に驚きはない。まぁ自分の部屋と作りは変わらないし。
唯一違うのは、ここにはホムラの匂いが充満していてること。五感の鋭い悪魔族の私だから人間よりハッキリ感じるんだろう。
いつも近くに座ると漂ってくるホムラの甘い匂いが私の全身をフワフワ取り込んでいる。それが他人の部屋独特の居心地の悪さを感じさせる反面、なんか謎の高揚感が湧き上がってきて自分が抑えられなくなりそう。
いけない。自制自制。
「すぅー、はぁー」
落ち着くために深呼吸してみたけど逆に濃い空気を取り込んでクラクラするし、他人の部屋に入った途端に深呼吸する人って傍から見るとすごい変態な気がする。
いや……他人の匂いに包まれて少し高揚してる時点で私は変態に違いない。
そう私が変態容疑に怯えていると、先に入ってたホムラが部屋の奥からタオルと袋を持って玄関先まで戻ってくる。
ホムラはタオルを私に差し出すと何気ない顔で言った。
「じゃあ、とりあえず脱いで。全部」
「…………っ!?」
私だけでなくホムラも変態だったらしい。
私は咄嗟に魔導騎士自己防衛術二十五の構えを取る。
「へへへへ、変態っ!」
「なんで体に触れた相手を一瞬で後方に投げ飛ばす防衛姿勢を取るの……別に取って食おうってわけじゃないから」
「でも、脱げって! 脱いでここで全裸になれって!」
「だーかーら、その格好で部屋に入ったら汚れちゃうでしょ!」
「う…………」
確かに私は髪も服も泥だらけ。雨で多少流されたけど依然として体中から泥水が滴っている状態だ。ホムラの言うとおりこのままお邪魔しまーすとはできない。
「で……でも……」
「まず全部服を脱いで、体についてる泥はできるだけタオルで拭ってね。そして汚れたタオルと脱いだ服は全部この袋に入れといて。ヤミがシャワー浴びてる間に共用ランドリーの方に突っ込んでくるよ」
ホムラはテキパキと端的に説明してくれる。なんだか服を汚して帰って来た子供に接するお母さんみたいだ。
「シャワーはそこの扉……って部屋は同じ構造だから分かるよね。私はもう一度クローゼットに行ってヤミ用の着替え探してるから、その隙にちゃちゃっと入っちゃって」
「う、うん……」
言葉の通りホムラはすぐに部屋の奥、位置的に玄関先からは見えないところに戻っていく。
残されたのは私とタオルと袋だけ。
「……脱ぐ……のか」
ホムラが向こうに行ってくれてるのはありがたいけど、それでも部屋に仕切りなんかはなく、ホムラがちょっと顔を出せば私を見ることができる。
「……うう」
躊躇してても仕方がない。気にせず……なるべく気にせず脱いでしまおう。
すっ。
私は泥と雨を吸って重くなった服を体から一枚ずつ引き剥がし、言われたとおり袋に入れていく。雨はぐっしょりと下着まで染み込んでいて自分が濡れ鼠だったということを改めて実感させれた。もちろんその下着も脱いでしまう。
「あああぁ……」
こうなると完全に全裸だった。見慣れた自分の薄く真白い体がホムラの部屋に現れる。
ずっと肌に張り付いていた泥水の不快感から開放されると共に、露出した体の敏感な部分が外気に触れてむず痒い。
更に全裸になってるのがホムラの部屋、しかも扉一枚開ければ殆ど外という場所という事実が私の心音を高めていく。
さっきの十倍くらいの変態だ。
「ヤミー? もういい?」
「…………っ!」
ぶんぶんぶんっ!
頭を思いっきり振って邪な方向へ行こうとする変態思念を追い出す。
何を全裸で突っ立ってるのか。早くシャワーを浴びてしまわないと私は髪や手足についてた泥を軽くタオルで拭き取ると、服とまとめて袋に突っ込み、足早に浴室に駆け込む。
「ごめんホムラ! もういいよ!」
「りょうかーい」
声と共にホムラはさっきまで私がいた玄関先にやってくる。
慌てたせいで私の心臓はもうバクバクしていた。浴室の扉一枚先のホムラに聞こえてないだろうか。
「上がってから体を拭くタオルと、それからヤミの着替えをここに置いておくからね。私は服を洗いにいってくるよ」
「う……うん、ありがとう!」
袋を持つ音、それから玄関の扉を開ける音。
ホムラが出ていったのを感じ取り、扉を背にした私は静かに息を吐く。
「ふぅ……」
やけに焦ってしまった、落ち着こう。
ゆっくりと呼吸を整えながらシャワーに近づき、レバーを捻り熱いお湯を出す。
それを頭からかぶると少し気持ちが冷静になってくるのを感じる。汚れを落としながら肌を伝う流水が心地いい。
「ここが……ホムラの使ってる浴室」
自分のものではないタオルが掛けてあり、自分のものではない液体石鹸の容器が置かれている浴室。そんな他人のものばかりな浴室の鏡に、裸の自分が映っているのは何とも不思議な気持ちだ。
壁に掛けられたシャワーから吹き出るお湯が鏡の中の私に降り注ぎ、伸びた角と肩口で切り揃えられた黒髪を濡らしていく。首筋をなぞった水滴は、膨らみの少ない双丘を引っかかることなく通過すると、肉付きの無い白いお腹を撫でながら下へ下へ、やがてはタイル張りの床へと落ち、排水溝へと吸い込まれていく。
しかしこの訓練所に来てから度々思うけど……わざわざ水が通る道を引くなんてご苦労なことだ。
水だけではない。魔導騎士候補生の訓練所では光源も熱源も、わざわざ敷地内で発生させた汎用エネルギーと呼ばれるものを専用の管を通して施設各所に送り、必要に応じて変換させて作ってるらしい。その汎用エネルギーとやらの詳しい実態は分からないけど、作り出す際にも熱の力などを使うらしい。二度も変換するとか効率悪すぎるのではないだろうか。
加えてそんな特殊なインフラ形態だから、私たちが候補生となる前に使っていたアレやコレは規格外で使うことができず、ここで暮らしてる皆は入団の際に支給された代わりのものを使っている。動かすには汎用エネルギーが必要で、エネルギーが切れたらまたわざわざ管の前まで行って補給しないといけないらしい。面倒なことだ。
私の故郷で運用してた悪魔族由来の技術とも、大戦終結を機に大陸全土に広まった革新技術とも違う。この国の魔導騎士候補生訓練所だけが全く別の方式を採用している。
教官たちが言うには、『魔導騎士を目指すものは最先端の技術に頼ってはいけない、不便な暮らしの中で己を鍛えるのだ』ってことらしいけど。インフラのほうに制限をかける意味はあるんだろうかと疑問はつきない。
逆に騎士団から支給される服や日用品、文具類、トレーニング道具等はどう見ても高級品。私の故郷で見かけたことはないし、この国でも都市部のお金持ちが使ってるような質の良さだ
汎用エネルギーもそこまで不便かと問われたら、しっかり明るいし暖も取れるし悪いものではない。入団するまでのシステムと違うから違和感があるだけで、ここの生活に慣れてしまえば訓練生の身としては申し分無い気がする。
果たして本当に教官たちの言ってるような効果があるのか――
キュッ。
そんなことを無意識に考えてるうちに私は汚れを落とし終わる。
「ふぅ……さっぱりした」
ホムラはまだ帰ってきてないようなので、今のうちに浴室から外に出て着替えさせてもらおう。
そーっと浴室のドアを開けると床に綺麗なタオル、それから下着と服が畳んで置いてあった。
「ん……? 下着?」
タオルで体を拭きながら、私は服の上に鎮座している布に目を凝らす。まさかこれはホムラの……。
「いやいや……それはさすがに……」
ごくり。
いやごくりじゃないよ。なにごくりしてるんだ私は。
「でも……もしかしたら……」
僅かな可能性を考えながら私はゆっくりと、ゆっくりと下着に手を伸ばす――
ぴらっ。
「……違うな」
違った。手にとって分かったがこれは訓練所側から支給される本当の代えの下着だ。
無地でこれといった飾りもついていない地味なもの。ただ肌触りと機能性が良いから誰に見せる予定のない人には嬉しい一品らしい。申請理由が適切なら上からほぼ無限に貰えるという噂。ホムラが言ってた。
すんすん。匂いも包装の匂いしかしないから今さっき袋から出した新品だろう。これでホムラの匂いでもしたら私は大変なことになっていた。
運良く大変な変態になるのを逃れた私はさっさと支給品の下着を履く。初めて使ったけど聞いてた通り悪くない履き心地。
「ふむ」
これに限らず訓練所で手に入る下着類は本当に質がいいと評判だ。支給で貰うものは機能性重視だけど、訓練所に併設されてる施設ではデザインの良いものが購入できる。いったいどこで仕入れてくるのか、この国出身の候補生でも見たこと無いものが多いらしい。
中には胸を大きく見せるというブラもあり、私のような貧しいにも夢をくれる……。
……が、悲しいことにホムラが用意してくれた支給品のブラは勿論申請したホムラのカップであり、私の胸にはフィットしない。
悲しい現実から目を逸らし申し訳程度のブラをした私は、畳んで置かれていた服を広げてみる。
「これは……ワンピース?」
ホムラが用意したのは上衣とスカートが繋がったワンピースと呼ばれる服だった。綺麗なレースがあしらわれた白いワンピースで、どこか高級感があり何かのお祝いで着るもののような印象を受ける。
ホムラの私服は見たことがないけど、何というか……ホムラが持ってるには不自然な服な気がした。
「どうしてこれを私に……」
私はハテナマークをいくつも頭に浮かべる。代わりの服ならいくらでもあったはずなのにどうしてこれを選んだんだろう。
しかしその疑問は、服の後ろ側を見たことですぐに解けた。
「あっ、この服……背中側が大きく開いてるんだ……」
そう、悪魔族である私には背中、正確には肩甲骨の辺りから二対の翼が生えている。もちろん私の訓練服は翼を出せる穴が空いてる特注品だし、私服もそのようなものを自分で用意している。
けれどホムラが持っている人間用の服では翼が出せない。だからわざわざこんな背中の開いたワンピースを出してくれたんだ。
「ホムラ……私のこと分かってくれてるんだ」
嬉しくて思わずワンピースを抱きしめてしまう。
ダメだダメだ、これは着るものなんだから着ないと。
「こうして……こうやって、こんな感じかな」
ばさっ。
ちょうどよく翼を出すことができた。白いワンピースってのが私にあんまり似合わない感じがするけど、ホムラが選んでくれてと思うと自分の中で嬉しさが勝る。
気分よくクルクルと湖上の妖精のように回転しながら部屋の中央まで進み、ダンサーにでもなったかのように姿見鏡の前で決めポーズ。びしっ。
「……決まった」
もうホムラの部屋に来た緊張はなく、むしろ家主のいない他人の部屋を眺める楽しささえ生まれていた。
ホムラの部屋は想像していたよりは片付いていて、物が散乱してる様子も、掃除されず汚れてる様子もない至って普通の部屋。殺風景でないほどに日用品が置いてあって、年頃の女の子並の雑貨があって、部屋の中央にはシンプルなピンクの丸テーブル、それとは別にベッド脇には椅子付きの割と立派な机、見ると綺麗に座学の本が並んでいる。
私と話してる時のホムラには似合わない気がするけど、リーナ教官が話すような優等生のホムラが住むにはしっくり来る部屋……そんな印象を受けた。
「あれ?」
その本が並んでる机の下に落ちて倒れてる写真立てがあった。
写真――私の故郷では念写を使う方法が一般的だけど、たぶんこれは大陸全土で主流な光を使って焼き付けるほうの写真だろう。
何かの拍子に落ちたのかな。そう思った私は何気なく写真立てを拾い上げ、自然と写真を見てしまう。
「……え?」
写真に映っていたのは今よりも小さい、おそらくは子供の頃のホムラ。
そして、彼女の隣には――
ホムラとそっくりな顔の、今の私と同じワンピースを着た女の子が立っていた。




