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ヤミの6月【Ⅰ】


 †


 更に次の月。


 夏を目前に雨季が到来していた。

 ベタつく湿気に曇り続きの空。角にカビが生えてしまいそうなジメジメで心が重い。

 休日の昼過ぎ、寮の自室内に干した訓練服を取り込みながら、私は何度目か分からないため息をついた。

 この国では例年通りの気候らしく、他の候補生は相変わらず室内でも出来るトレーニングに励んでいるみたいだけど、私はとてもやる気にはなれない。

 ま、気分が沈んでるのは雨のせいだけでは無いのだけど……。


 悶々とする頭の中、幼い頃に母が語ってくれた昔話を思い出す。


  

    ・

    ・


 

 とある所に竜の迷宮を踏破した勇者様がいた。苦労の果てに迷宮に隠されていた秘宝を手にした勇者様は一気に大金持ちになり、大変裕福な生活を送ることができたそうだ。

 だがある時、勇者様は自分の財産を泥棒に盗まれてしまう。それを当てに散財していた勇者様は一気に借金生活に転落してしまった。

 友人たちは心配したが当の勇者様は動じておらず、こんなことを堂々と言い放つ。

 「自分は竜の迷宮を踏破したほどの実力者なのだ。前のように多少質素な暮らしを強いられてもコツコツと生活を立て直し、いずれまた秘宝を見つけてくれば裕福な生活に戻れる。なあに簡単なことさ!」

 友人たちは驚いたものの不可能とは思わなかった。その言葉は強がりでも慢心でも夢物語でもない、勇者様には言葉を現実にできるほどの実力があったのだから。時間はかかるかもしれないがこの人の強さならいずれ莫大な財産を手に入れる。そう信じて疑わなかった。


 だが、現実は簡単では無かった。

 勇者様の足かせとなったのは、変わってしまった生活レベルだった。

 以前の暮らしに戻っただけなのに何もかもが満足できない、気に入らない、我慢できない。高級な暮らしを味わった勇者様にとって、質素で不便な暮らしは苦痛でしかなかっただ。

 結果、お金は無くなっても散財癖は治らず、借金を膨らませた勇者様は冒険に出ることさえままならず、地獄のような生活を送ったそうな。



    ・  

    ・


 

 「人の価値観を歪めてしまう金の魔力。それが迷宮で朽ちた竜がかけた本当の呪いだったのだ……」

 昔話はそんな教訓めいた言い回しで締めくくられていたような覚えがする。


 人は一度手に入れたモノの味を忘れることはできない。

 それは極上の料理でも、死ぬまで遊んで暮らせる財宝でも、溢れんばかりの人望でも、目が眩む豪華絢爛な邸宅でも、世界の半分を手に入れる権利でも、一握りの愛でも変わらない。

 蜜のような甘美な味は、呪いの棘となって突き刺さり心を縛り上げる。

 例えモノを失ったとしても突き刺さった呪いは抜けず、生活を狂わせ人生を破滅へ誘う。



 まぁ……要するに私も同じ状態だった。

 以前は耐えれていたことが耐えられない。こうして洗濯物を畳むことに集中しようと気分が上の空、ソワソワとイライラを足して似で割った感じの気持ちが頭の中を堂々巡りしている。

 原因はハッキリと分かる。認めたくないけどいい加減に自覚できてしまっていた。


 今の私には……ホムラが足りない。

 

 「ぬぅううううぅああああうぅうぅあ!」

 恥ずかしさのあまり部屋の床を転がりながら意味の分からない奇声を発する。完全におかしい人だ。

 おかしい、頭がおかしい。ホムラに会えないから気分が悪くなるってなんだ、どんな症状なんだ。

 でも考えられる原因がそれくらいしかないし、可能性を排除していくとそれしか残らない。


 トンッ


 床を端まで転がりきった私はベッドの足にぶつかり、うつ伏せの形でストップする。何をやってるんだろ。

 「はぁ……」

 ホムラとはここ一週間くらい会ってなかった。

 理由はいつも会ってる訓練所裏が雨で使えないから。訓練所内では何度か見かけたけど例の同期と一緒で声をかけることはできなかった。

 元々、私とホムラは別に約束を取り付けて集まってるわけではない。私が気が向いた時にあの場所に行くとホムラもいて、それで話をしたり遊んだりするだけの関係。偶に私が先に行くこともあるし、待ってもホムラが来ない日もある。

 天候が悪い日は特にそれが顕著だ。何度か雨の日も待ったことがあるけど全て外れだったからホムラが行かないと決めてるんだろう。

 だからこんな雨が続く時期は尚更いるはずがない。一応初日に覗いてみたけどいなかったし。


 つまり原因を辿れば長く続くこの雨季が悪いということになる。


 「雨のバカ……いつ晴れるの」

 思わず漏れた文句を聞いたのか、窓の外の雨は更に強さを増していく。

 

 ザ――――――――ッ!

 「……んなっ」

 全く、手加減というものを知りやしない。

 窓のほうを見るのも嫌になったのでうつ伏せのまま横を向くと、普段見ることのないベッドの下が見えた。

 「ん?なんだろう……」

 別に幽霊がいたわけでも秘密の本が隠してあったわけでもないけど、ベッド下の闇に何か紙切れがあるのが分かった。手を伸ばせば届くかなって距離。

 「う……ぐ……よいしょ」

 大事な書類だったら困るし取り敢えず取ってみることにした。


 そうして取り出したのは座学に使うノートほどの大きさの紙切れ。紙質からして何かの広告のチラシのようだった。しわくちゃで古ぼけて……ベッド下に忘れられて結構時間が経っているような気がする。私はこんなチラシ知らないし、前に部屋を使ってた人のものかな。

 チラシの表に書かれていた内容は……。


 「――――!」

 知らなかった……こんなものがあったのか。 

 

 「これ日付が……、でもきっと今年も……、うん……確認しないと……」

 興奮してるからか途切れ途切れに声が出てしまう。まだ未確定なことが多いから考えがまとまらない。

 でも、これだけは確かに言える。


 「私、これ……ホムラと行きたい……!」


 タンッ。

 考える前に体が動く。チラシを持ったままの私は傘を取り部屋を飛び出していた。


 「ホムラを……探さなくちゃ!」


 

 

 走る。ひた走る。

 私は雨が降り続く訓練所の敷地内を走り回った。

 

 ホムラを探す……言うのは簡単でも見つけるのは難しい。

 まず前提として私は普段ホムラがどこにいるのかを知らない。寮の部屋はもちろん分からないし、ホムラが座学や訓練でよく利用する教室や施設も分からない。

 前者に関しては私が聞くのを躊躇してるから……だけど、後者に関してはホムラがそういう話題を避ける節があったせいだ。

 あれでも一応ホムラは一つ先輩だし、私から何度か訓練に関する相談を何度か切り出しことはある。でもその度にホムラはのらりくらりと話を逸らしてマトモに取り合ってくれないのだ。おかけでリーナ教官の話を聞くまでずっと、ホムラは座学を含めた訓練全般が苦手なのかなぁと思い込んでしまっていた。


 とにかく分からないものは仕方ない。訓練所の内の施設を片っ端から、誰もいない空き教室を片っ端から、虱潰しに探していく。

 体力に自身のあるほうではない私は、広い訓練所内を走り回るうちにすぐ息があがり心臓がバクバクしてくる。悪魔族は汗腺が少ないからそこまで汗はかかないけど、この湿気の中で茹だるような体温は気持ちが悪い。

 

 そんな体を引きずりながら訓練所内を駆け回り、約半刻ほどが過ぎた。



 「はぁ……はぁ…というか……」

 廊下の突き当りで膝に手を付き立ち止まった私は、肩で息をしながらよくよく考えてみる。

 「今日って……休みじゃなかった……?」

 正解。まったくもってその通りだった。

 休みだから私は自室でゴロゴロしていたのだし、休みだから訓練所内に全然人がいないのである。どうして私は体力を限界まで削り切り、こうしてバテるまで気付かなかったのか……自分でも不思議でたまらない。

 

 休みというのならホムラが訓練所内にいる可能性は低い。

 自主練してることも考えられるけど……この土砂降りだ。わざわざ出向いて訓練するより自室で軽いトレーニングでもしてる方が無難。実際に私が駆けずり回ってもホムラ以外の候補生の姿さえ無かった。人っ子一人いやしない。

 「はぁ……」

 そうなるとホムラの部屋を知らない時点で端から私は詰んでいたというわけだ。

 まったく……何をやっていたんだか。


 冷えてきた体、わずかに額にかいた汗を拭いながら廊下から窓の外を見る。

 相変わらずバケツを引っくり返したような雨が降り続いていた。

 どうしようかな。もう諦めて部屋に戻るか、それとも……。 

 

 「最後に、あそこに行ってみようかな」


 訓練所内を後にし、濡れたままの傘を差して外に出る。

 私が向かったのはいつもホムラと会っている例の場所――旧訓練所の裏だった。


 

 降る雨は次第にその強さを増し、段々と横薙ぎになって傘で覆い切れない部分を濡らしていく。完全に舗装されていない旧訓練所へ続く土の道はぬかるんでいて大きな水たまりができていた。そこを歩く私の靴は泥まみれ、ついでに中にまで水が染み込んできて冷たい。

 早めに帰ったほうがいいのは分かっていた。でも……どうしても諦めきれなかった。

 最後に確認だけでもしよう。その思いだけで進む。

 結果は――



 「いない……か」

 豪雨の中、ホムラがそこにいるはずは無かった。

 誰もいない旧訓練所裏には、雨風に晒された木々が私のように一人佇んだでるだけ。


 うん、素直に帰ろう。

 このままじゃ私も木のようにびしょ濡れになっちゃうし、手に持ったままのチラシも読めなくなってしまう。

 どうしても今日言わなきゃいけないことでもない。改めてホムラに会ったらでいい。

 私は踵を返し寮へ戻ることにした。


 

 ……のだが。

 「やばい。選択を間違えたかもしれない……」

 選択というのは帰路のことだ。私は寮→訓練所→旧訓練所→裏と来たわけで、戻るならそのまま帰れば良かったのだが、旧訓練所裏から出てきた私はとあることを思い出してしまう。

 そういえば旧訓練所から寮へ直通できるような道があったなぁ……と。

 いつもは訓練終わりに立ち寄ってたから考えたことも無かったけど、一応頭に入っている敷地内の地図を思い出してみても、律儀に訓練所を経由する必要はないと思える。

 ならこちらの道を行こうと私はいつもと別の帰路を選ぶことにした。


 「……ってのが、ひゃっ! ま、間違いだったんじゃないかなぁ!」

 確認するまでもない。大間違いである。


 旧訓練所から寮側へ伸びる道は舗装がされてないなんてものじゃなかった。

 ぬかるみは当然のこと。工事途中で放棄されたかのように道のあらゆる場所が掘り返され、掘り返された土で適当に埋められた地面は不規則な砂利や石でデコボコして歩き辛さが倍増している。

 尚且つここには訓練所経由ルートにある渡り廊下のような雨をしのげる遮蔽物が存在しない。 

 最悪な足場により自然と遅くなる歩みに、遅くなるだけ容赦なく降り注ぐ雨が体温とやる気を奪い、さっき走り回ったせいで既にヘトヘトな私の歩みを更に遅くさせる。

 直線距離なら圧倒的にこちらが短いにも関わらず、明らかに想定以上の時間がかかっていた。


 「はぁ……はぁ…うぅ」

 こんなことなら普通に元の道を戻れば良かった。

 いや、勢いでホムラを探しに出かけなければ良かったんだ。

 

 後悔しながら一歩一歩足を進める。

 段々と寮の灯りが見えてくる。


 こんなことなら……こんなチラシさえ見つけなければ……。

 傘と反対側の手に握ったままのチラシに半分八つ当たりのような感情を向けた、その時だった――

 ビュオウ!

 「……え?」

 突然鋭く吹いた突風に、持っていたチラシが天高く飛ばされてしまう。


 「ちょっ!」

 思わず私は傘を投げ出し駆け出す。

 「確かに文句は言ったけど……さすがに失くすのは困るよ!」

 雨風に運ばれていくチラシを追って、濡れるのも構わず傘を放り出して泥の道をダッシュする。


 「あれだけは……なんとしても……!」

 今日の私はついていない。今日はハズレばかりの一日だった。

 ホムラを探しに行く選択がハズレ、訓練所内を探したのがハズレ、いつもの場所に行ってもハズレ、帰り道までハズレ。

 なのにこれまで失うわけにはいかない。

 あと少し、地面を蹴って、手を伸ばせば届く、頑張るんだ私。


 「ううぅぅ……うおおおおおおおおおっ!」


 ビュオウ!


 「なぁっ!」

 現実は無情だった。

 指先を掠めたと思ったチラシは再びの突風により更に浮かび上がり、反対にそれを掴み損ねた私は体制を崩し――

 ドシャっ。

 「んぐ……ご……」

 言うまでもない。ぬかるんだ地面に頭から突っ込んだのである。



 「……………………」

 ダメだ。今日の私はとことんダメだ。もう立ち上がる気力すら乗ってない。

 このまま泥の中に潜ってマドリザードの仲間入りでもしてみようか。見た目こそ悪いが丸焼きを旅先で食べたら中々美味しかったと母が話してくれたのを覚えてる。私も美味しくなれるだろうか。

 あー、顔で感じる泥の感触は中々気持ち良い。背中に当たる雨も冷たくてこれはこれで良い気分だと思えてきた。


 もういっそこのまま


 このまま


 このまま――――




 「――ヤミ?なにやってるの?」


 「……へ?」


 幻聴ではなかった。

 反射的に顔をあげると、私の目の前には確かにホムラがいる。


 「ホムラっ!」

 「お、おう……ばっちいな」


 地面から起き上がる全身泥に塗れた私と、傘を差しながらそれを不思議な顔で見るホムラ。

 豪雨の中でこれまでに無いほど汚れた私は、やっと会いたい人に会うことができた。


 

 やっぱり――今日の私はついてるかも。

 

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