ホムラの過去【Ⅱ】
一ヶ月。僅かそれだけの期間で気持ちの整理など付くはずがない。結局私は姉とマトモに会話することができず、家の中で出会っても気まずそうに逃げるだけだった。最早姉の顔さえ見るのが怖かった。姉を避ける見て姉がどんな事を思っているのか想像するだけで怖かった。
そんな一ヶ月が続いた……最後の日。姉が結婚式を挙げる前夜のこと。夕飯を終えてからずっと引きこもっていた私の自室の前に姉が来てノックをした。私は特に反応しない、黙ったまま被っていた布団の端をぎゅっと強く掴む。
「ホムラ……聞いてるよね?」
「…………」
姉の問いかけに私は答えない。
「返事しなくてもいいから、私の話だけ聞いて欲しい」
「…………」
無言の肯定。その意味が伝わったのかどうかは分からないけど、姉は扉越しに一人で話し始めた。
「ホムラが私のことを心配してくれているのはすごい分かるよ。真っ直ぐな気持ちも痛いほど分かる。私だって知り合いの人から嫌な目で見られるのは気持ちよくないから。ガルのことを悪く言われて落ち込む時だってある。だけど……私はその覚悟の上でガルと一緒になるって決めたの」
覚悟。姉のことだから当然覚悟はしているだろう。
だとしても早すぎる。もっと待っても良かったんじゃないかという疑問は拭えない。
「このタイミングで結婚に踏み切ったのはね。全種族共同参画社会に向けて、中央政府から新しい異種族間の結婚に対する制度が発表されたからなんだ。内容はホムラにはちょっと難しく感じるかもしれないけど……要するに私とガルみたいな、種族が違って故郷も違う、今までの生き方がまるで違う二人が、パートナーとして歩むために国や中央政府が色々サポートしてくれるって制度かな。分かる?」
「…………」
「中央政府は他にも急ピッチで色々な異種族をサポートするための制度を作ってるんだ。ガルもハイゲルで暮らすにあたって色々自治体から手当を貰っているんだよ。本人は特別扱いされて申し訳ないって肩身が狭そうにしてたけど」
姉は嬉しそうにガルのことを語る。本当にガルのことが好きなのが声だけで伝わってくる。
「まぁ……もちろん制度ができたところで偏見の目が消えないことは分かってるよ。人の意識ってのはそう簡単に変わるものじゃないしね」
「――だからこそ、このタイミングで私たちは結婚するべきだと思う」
“だからこそ”
その姉の言葉には確かな力強い意思が秘められていた。
「制度ができたって利用する人がいなければ世の中は変わっていかない。本当は私たちのように結ばれたい人がいるのに周りの目を気にして躊躇ってたら意味がない。誰もやらないのなら誰かがやらなきゃいけない。待ってたって気まずい状況は改善されない。誰かが踏み出した前例っていうのが必要なんだよ」
「…………っ!」
前例、そんなもののために姉は好奇の目に晒されるのか。腹立たしく思った私は小さく床を叩く。
「大丈夫。勘違いしないで。別に私はタイミングを焦ってるとか、義務感でガルと結婚しようとしてるわけじゃないってこと。私が結婚を考えていたのは本当で……偶々タイミングがあっただけ、年齢だって一応国が定めてる最低年齢よりは上だしね」
「そう、ついで……これはあくまでついでなんだよ。自分が幸せになるついでに、他の似たような境遇の人が後に続きやすいように勇気づけられたら、それほど嬉しいことはないでしょ?」
分からなかった。そもそも姉が幸せになれると思ってなかった私にとって、姉の言う自分も幸せで皆も幸せみたいな台詞は私を説得するための方便にしか聞こえず、耳に入ったところで右から左に流れていく。
私はそんなお行儀の良い理屈じみた言葉なんてどうでも良かった。ただ自ら過酷な道を選ぶのをやめてほしいだけだったのだ。
布団を被って扉越しの声から顔を背け続ける私は思う。昔の姉なら絶対にこんなことはしなかったと。偶に奔放な面を見せることあっても昔の姉はもっと賢い思考をしていたように感じる。あの姉ならば波風の立たない普通の生き方だってできたはず。いったいどうして……どこから、いつから、こんな風になってしまったのか。
子供の私には――何も分かるはずがなかった。
「…………わかんないよ、お姉ちゃん」
心の隙間から、布団の隙間から、私のか細い声が絞り出される。
「ホムラ……」
「そう……だね。強気なことを言っていても私は自分の選択に絶対の自信を持ってるわけじゃない。もしかしたら私とガルの結婚への反応を見てやっぱりやめといた方が良いと思う人が出てくるかも知れない。世の中はどう転ぶか分からないものだからね」
「じゃあ、やめれば……」
「でもやる。決めたことだから」
姉はハッキリと言い切る。
「自信が無いのに言い切れるのも変な話だけどね。昔の私が今の私を見たら絶対に意味わかんないって言うと思うし、今こんな大胆なことをしようとしてるなんて想像もできないと思う」
こんな話をしてるのに姉はどこか楽しそうなのが不思議だ。
本人だって怖いはずなのに、不安なはずなのに、迷ってるはずなのに、どうしてそこまで強くあれるのだろうか。
戸惑うだけの私に、姉がよりいっそう優しい口調で語りかける。
「……ねぇ、ホムラ。最後にこれだけは言っておくね」
今思えばこれは姉の説得などではなく、結婚する前の姉が“私に対して”送ってくれた最後の言葉だったんだろう。
「正しく生きることは大切。けれどね、正しさってのは立場や状況で大きく形を変えるんだ。常に一定の形をして同じ方向を向いてるわけじゃない。自分の中で正しいと思ったことだって時間が経って未来の自分になったら変わるものなんだよ。だからね、変わることを恐れちゃいけない」
「色んな人と出会って、色んな事を体験して、色んな自分に変わっていけばいい。そうして色んな気持ちを知る中で『絶対に変えたくない』『絶対に押し通したい』って本当の気持ちが見えてくる。変わっていくからこそ、変わらない物が見えてくるんだ」
「それは石を磨くことで宝石を見つけるような最初から自分の中にあった気持ちかもしれないし、道を歩いていたら偶然に綺麗な花を見つけるようなふいに出会う気持ちかもしれない。何だって良いんだ。どこにだってきっかけは溢れている」
「そして重要なのは、『これだ!』って気持ちを見つけて、それをぶつけるチャンスが巡ってきたら絶対にそのチャンスを逃さないこと。躊躇わない、迷わない、全力で飛び込む!」
「それはきっと……誰かが勝手に決めた正しさなんかより大事なことだから」
最後は少し照れくさそうに笑って、姉は一度言葉を区切る。
眩しすぎる姉の言葉を飲み込むことはできず、やはり布団の中の私は何も返答することができない。
「……ま、私にとっての『これだ!』ってのがガルとの結婚ってわけ。だから私は全力でやる。それだけの話」
「きっとホムラもいつか……『これだ!』ってことに出会えれば分かるはずだよ」
正しさより優先すべきこと。そんなことがあるんだろうか……。
暗い部屋の中で耳を塞ぐことしかできない私には想像すらつかなかった。
「じゃ、そろそろ遅いし今日はこれくらいで寝るよ。明日の式にはちゃんと来るんだぞー!」
そうやって明るく笑い飛ばし、姉の足音が遠のいていく。
たぶんこれが、姉とした最後の会話だったように思う。
精神的に疲弊したのか私は布団にくるまったまま寝てしまい、そのまま翌朝を迎えることとなった。
朝。
ぶっちゃけ結婚式への出席をサボろうとも本気で考えたけど、扉を半ばぶち破るように入ってきた母に叩き起こされてしまった。中々布団から出なかったため物理的に何発か叩かれたような覚えがある。私や姉に教育を施した本人だけあって肝っ玉と腕っぷしの強い母親なのだ。姉に結婚報告をされた時はさすがに少し戸惑ってたみたいだけど、すぐに覚悟を決めて応援することを決めたみたいで普段と同じ様子に戻っていたみたい。その強さをいくらか私に遺伝させてほしかった。
そんな母親だから私がいくら不機嫌に愚痴をぶーぶー言おうとも聞く耳を保たず、着せ替え人形のように無抵抗になった私に、普段は着ない礼服をテキパキと着せていく。そして母親に引きずれるまま家から連れ出された。
「おらっ!めでたい日なんだからそんな顔せずに行くんだよっ!」
「…………ぐっ」
良い子に育ってきた私の初めてとも言える反抗期は母の一括の前に一瞬で終わり、私は渋々と結婚式に赴くこととなったのである。
あーあ、嫌だなぁ。




