お礼おまけその2 弱点は攻めるものなのです【ホワイトデー】
「ぬぁに……?!」
ある日の昼。
僕は、自分の部屋で一枚の紙を握りしめて尾を踏まれた猫の如く絶叫しかけ、ヨンサムに気付かれてはいけないという最低限の理性でその声を必死でかみ殺していた。
手紙を運んできてくれた鳥さんにお礼を言うことすら忘れそうになり、慌てて労ってから、信じられない思いで手汗で濡れてくしゃりと歪んだ紙に再び目を落とすが、当然ながら何度読んでも内容は一言一句変わらない。
むしろ読み直したことで記憶に刷り込むことになってしまった。
書いてあった内容はこれだ。
『エルへ
元気にしているかしら?こちらは元気よ。あー私の方はちょっと疲れているけれど。
というのもね。昨日、メグ姉様宛に殿下からの贈り物が届いて以来、メグ姉様が所かまわず満面の笑顔を振りまくものだから、もう、とっても大変だったの!あの並外れたお美しさに抱きしめたくなるほどの愛らしさと匂いたつような色気がついちゃったもんだもの、悩殺された殿方が何人いたことやら!さすがに第二王子殿下の婚約者に手を出そうなんて不埒な輩は今のところいないけれど、それでもねぇ?恋って怖いから気は抜けないわ。
殿下がこのことをお知りになったら大変だから、これは内緒よ?』
ここまではいい。
殿下は相変わらず姉様溺愛で貢物をしているんだなー、まぁ普段近くにいられないから仕方ないかー、妹としては姉が恋人に大事にしてもらえて幸せなら嬉しい限りだ。
なんて、呑気に考えていた。
問題はその先だ。
『 あ、そうだわ。エル、ごめんなさい。一つ訂正させてほしいの。
この前、アッセンブリー皇国の習慣を手紙に書いたでしょう?あれね、「厚意」じゃなくて、「好意」の間違いだったの。主に女性が男性への愛を示すための日だったんですって。手作りのものほど想いが強いってことになるそうよ!特に、贈り物が甘い食べ物だったりすると「私を食べて」って意味になるらしいわ!(さすがにその意味くらい分かるわよね?)
早とちりしちゃってごめんね、ふふふふふふ。
それでね、ちょうどこの手紙が届くあたりが、お返しの日なんですって。言い換えると、男性が女性に告白のお返事する日なの。
意中の相手だった場合、この日にめでたく想いが通じて恋人に、そのまま結婚する!なんてこともあるのですって!こっちよりも恋愛に寛容な皇国らしい、素敵な慣習よね!ふふふっ!
素直なエルならきっと私のアドバイス通りグレン様に贈り物をしているのでしょう?
というわけで。
グレン様からのお返事、必ず教えてちょうだいね!毎日青空を眺めてあなたからの便りを待っているわ! ナタリア』
目を三回通したところで、僕の心を代弁するために絶望を籠めて手紙を握りつぶし、喉の奥から怨嗟の叫びを絞り出す。
「ぬああああ!なぁたぁりぃあめぇええええ!!」
僕があの日犯した――もう罪と言っていいと思う――ことは、この手紙を通して客観的に見たら、こういうことになる。
まず、グレン様にあの習慣のためであることを伝えたうえで贈り物をした――僕からグレン様に「異性として」好きだということを伝えた。
それも、「僕の手垢にまみれてますけど」などと余計なことまで言った――女性という性別にあるまじき情緒もなにもない、それどころかちょっと危ないセリフで愛の告白をした。
しかも、金がないばかりに材料費無料、手間賃無料、僕の労力だけかければなんとかなる「手作り」だった――熱烈で盲目的な愛を示した。
更に付け加えるなら、作ったものは甘いお菓子だった――「どうぞ本能の赴くままに僕を襲ってください」と言った。
イアン様が泣き笑いの面白い顔をされていた理由もこれならよーく分かる。
僕の性別を知らない殿下やイアン様から見れば、男から男への熱烈な愛の告白だもん。
殿下はそれなりに理解があるなどとほざいて――ごほん、仰っていたけど、イアン様は違う。男女の色事も下ネタも苦手な堅物だ。
その方の前で、堂々と道ならぬ愛の告白(それも過激版)をしたんだからそりゃあああいう顔にもなるわけだ。
世界がぶっとんでも受け入れられない事実を認識すればするほど髪を掻きむしって記憶を抹消したくなる。
「チコもチコだよ!あの時僕を裏切ったでしょ!僕はあれを捨てるつもりだったのに!」
くるりと振り返り、僕のベッドの上でぐーんと後ろ足を一本ずつ伸ばしているチコに八つ当たり紛れに詰め寄ると、チコは三角の耳を平らに伏せ、円らな瞳を潤ませて、きゅ…と小さく鳴きながら僕を一心に見つめてくる。
こんなに可愛い動物――魔獣だけど――にずっと怒りを向けられる人がいようか。否。僕はグレン様じゃない。
結局、怒りはどんどんしぼんでしまい、僕はベッドに飛び込んで誰にもぶつけようのない気持ちのままにばたついた。
「うああああああ!僕はこれから一体どうすればいいんだ……!」
グレン様のお世話に行くのが嫌だとここまで思ったのは、最初の数月以来だ。
とはいえ、そろそろグレン様がお部屋に戻られるはずだから、僕も自室を出ないと間に合わない時刻になっている。
「…………あれからもう半月くらい経ってるけど、グレン様もそれから何にも態度を変えてない。ってことは、グレン様にとってはすぐに忘れられるくらいどうでもいいことだったはずだ。普段うんざりするほど女性から好意を寄せられているんだし、羽虫程度の扱いの僕一匹が気迷ってそれっぽいことを言ってしまっても冗談だとか、喧嘩の大安売りってことで流しているんだろう、うん。なかったことにしよう。それだ。そうしよう」
自分に言い聞かせるようにして覚悟を決めた後、お仕置き代わりにチコについてくることを禁じてから、僕は自室を出た。
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それでも挙動不審になってしまうのが人情というもの。
「お前は今度は一体何をたくらんでいるの?」
「ひぃっ!」
そろりそろりと誰にも見つからないように廊下を歩き、グレン様の部屋に入ってそーっと扉の陰に隠れようとしたところで、音もなく近寄って来たらしいご本人に後ろ襟首を掴まれた。
「なにもたくらんでなどおりません。どうして従順なるしもべのこの僕が、親愛なるご主人様に悪だくみを抱くなどと思われるのですか?全ては愛らしいいたずらでございますよ」
「ほー。それは初耳だなぁ、じゃあ僕もいたずらの定義を変えないといけないかな。あれだ、命の危険がなければ全部僕の小姓に対する親愛表現ってことで笑って許される――」
「はいっ考えております、いつか参ったと言わせられないかなーとか考えております!やめるつもりも毛頭ございません」
「口は禍の元ってね」
「ハゲと首絞めはなしで――!」
僕とグレン様がいつも通りわぁわぁと騒ぎながら攻防していると、ちょうど奥のグレン様の執務室から出てこられた殿下がくくっと喉の奥で笑われる。
「そのあからさまにおかしい態度と、私への手紙が来る時期から考えて想像はつくのだが、エル、安心しろ。あの日のグレンへの贈り物が勘違いによるものだということはイアンですら気がついている」
「ぐるじい――――げほっ、……え?ご存知だったんですか?」
「当たり前でしょ。フレディやイアンや僕が異国の文化を知らないとでも?お前の性格を分かっていないとでも?」
窒息寸前まで絞めた後、ようやく僕の首を解放したグレン様の呆れたような赤い瞳がこちらを見下ろしてくる。
「それともなに?本気で愛の告白だったの?だったら今すぐに食べてあげてもいいけど」
「寝言は寝てから仰るものです」
脊椎反射で言い返すと、途端に明朗な笑い声が響いた。
「あははは!お前たちは本当にいつも通りだな!どんな甘やかな慣習も跳ね返す、ある意味で鉄壁の主従だ!ははは!」
「……フレディ、涙が出るほど笑うヒマがあったらさっさと仕事終わらせてくれる?」
「分かっているとも。今からやってこよう。これ以上いても野暮だからな」
「フレディ、覚えてなよ?」
珍しく苦りきった顔で文句をつけたグレン様を前に、ひとしきり笑った殿下は素直に出ていく……と見せかけて、ドアの向こう側に姿が隠れる直前に、そのいたずらっぽく輝かせた翡翠色の瞳を僕に向けられた。
「あぁ、そうだ。言い忘れていた。エル、グレンは食べていたぞ?」
「いえ!僕は依然として清い体のままです!」
「何を言っている。お前の作った菓子のことだ。大事に、ひとかけらも残さずにな」
「フレディ!!」
パタン、と閉まったドアにグレン様の放った火球がぶつかり、黒焦げ跡がついた。
おかしいな、この部屋の家具には、グレン様が編み出したという防火の魔法がかかっているはずなんだけど。
妙な沈黙が落ちる空間に二人だけで残されてしまったが、ひとまず僕がご主人様のご機嫌を立て直さねばなるまい。
「…………えーと。あれ、召し上がったんですか?」
「エル、空気を読みなよ。主人が訊いてほしくなさそうにしていることをどうして掘るの?」
「見つけた弱点を攻めないのはご主人様の教えに反するからです」
常日頃から「他人の弱点は徹底的に狙って抉り倒せ」と教え込むご主人様の教えを忠実に守ったまでだ。
僕の返事に、グレン様がにっこりと笑って僕の頬に美しい長い指を添え……るのではなく、爪を立てた。
が、僕とて鬼畜にいいように使われる小姓歴一年半。
この程度で怯むような軟弱な部下ではない。
「お味の方はいかがでした?」
「……可もなく不可もなく。最後の一口まで徹底して庶民的なものだったね」
殿下が僕を気づかってお世辞を仰るとは思っていなかったけど、どうやら本当に欠片も残さず召し上がったらしい。
「意外と優しい評価ですね。てっきり召し上がっても一口で、『こんなまずいものを僕に食べさせるなんていい度胸しているね』なんて仰りながら残りを消し炭になさったとばかり」
「『厚意』を消し炭にしてほしかったんだ?」
「いいえ」
グレン様は相変わらず不敵に笑っているけれど、僕はどうしてだか怖さよりも嬉しさを感じていた。
普段の食事だって、生命維持に必要だと思っているから仕方なく食べるというほど警戒心の強いこの方は、素人の手作りの食べ物なんて思惑がない限り口に入れない。当然、お菓子なんてめったに口にしない。
それをちゃんと食べてくれたことに僕への確かな信頼を感じる。
「……そのへらへらした顔、すっごく腹立つなぁ」
「グレン様って素直じゃないよなぁって楽しくなりまして」
「その減らず口はなんとかならないかな。頭から生えたその茎みたいな髪、これに植え替えてやろうか」
「僕の頭は土ではありませんので、生えはしますが植えるという発想はでてこないはずです」
グレン様がその愛らしいお顔を苦虫を噛み潰したように顰めた後、すぐに僕に何かを突きたてようとしてきたので、防御魔法を編みながら反射でかわす。
「中身は砂漠みたいなもんでしょ。外側だけでも華やかにしたら?」
「頭の中が桃色お花畑なご主人様とは違いますからこのままで十分ですよ、ご心配なく」
「間抜けな髪生やすよりはマシになるかもしれないのに?」
「鳥さんではないので僕にとさかは必要ないんです。で、これはどうされたんです?」
刺すことに失敗して矢のように一直線に飛ばしてきたそれを眼前で挟んで捕まえる。
投げられたそれは、大きな鳥の羽先が尖らされ、インクが出るように整えられた加工品――羽ペンだった。
「『厚意』をもらったから一応返してやろうかと思って」
「グレン様がお返し、だと……?!」
「物を贈るのは好きじゃないけど、これは棄てるようなもんだし。それに借りを作るのはもっと嫌いなんだ」
茶と白の複雑な紋様で、日にかざすとところどころ虹色に光るその羽は、異国の有名な魔鳥のものだ。
羽ペンの中でも、一回一回インクをつけるタイプではなく、軸がくり抜かれインクを通せるように細工がしてあるもので、特にこれはインク滲みもしにくいし、漏れも抑えられる高級なもの。加えて、羽そのものに魔力が宿っているので、持ち運びの際に小さくできるという特別品だ。
僕なんかじゃとてもじゃないけど手を出せない代物だった。
「ちょうど羽ペンが摩耗して新しいものを買わなければいけないと思っていたのでとてもありがたいです。……けど、いいんですか?こんな高級品をいただいてしまって」
「ちょうど使い飽きたところだったし勝手に使って捨てればいいよ」
「え、でもこれ……」
「いらないなら今ここで燃やして処分するけど?」
「いえ、いただきます!ありがたく!!」
「お古でいいとか物好きだね。貧乏なお前らしいっちゃらしいけど」
もう話は終わり、と言わんばかりにグレン様が背を向けて執務室の方に戻る。
一方、僕の方はもう一度手の中の羽ペンに目を落とす。
なにがお古だ。このペン先が一度もインクを吸ったことがないことなんて一目瞭然じゃないか。
僕でも分かるような嘘をつくとか……
顔には出てないけど、もしかしてグレン様、動揺してる?
有能さと外見的魅力を全て掻き消すほどの超ド級のドSで、性格がねじ曲がってて、いつも意地悪ばかりする鬼畜で外道なご主人様。
その後ろ姿が、その時どうしてだか不器用を隠しているように見え、僕は初めてご主人様を無性に可愛いと思ってしまった。
「グレン様」
「なに?」
「借りだとか思わないでくださいね」
「は?」
振り返って胡乱に眇められる瞳をまっすぐに見返す。
「貸し借りじゃないんですもん、こういうのは。贈りたいから贈るものです。今回はナタリアに言われたことをきっかけにしましたけど、それでも僕の意思で決めたことですし……僕程度が作ったものでも召し上がっていただけるならまたいつでもお作りしますよ?」
日々何かに怯えていらっしゃるあなたから滲み出る不安は、僕が支えて差し上げます。
ばれたくないのならそれでもいい。陰からでもいい。
お支えしたいと思うんですよ、僕なりに。
そういう想いは全部胸にしまって、こっちを向いたルビー色の瞳に笑いかける。
「こう考えている時点で、僕があなたにいだいているのはあながち『厚意』だけでもないんで、そこのところ一部訂正、追加しますね」
僕の言葉に、丸い瞳を更に丸くしたグレン様は早足でこちらに戻ってくると、僕の頭を手で上から押しつぶした。そのまま無言で、乱雑に髪をぐちゃぐちゃにされる。
でも今日はなんとなく許せる気がした。
だって珍しくグレン様の気持ちが分かるから。
「……グレン様、もしかしなくても照れていらっしゃいます?」
「僕をからかおうなんて100万年早い」
「わーお!顔以外にも可愛いとこがあるんですね!ここ一年半ほどお傍に控えて初の大発見です!」
「……決めた。今日は絶対手加減しない」
「ええ!?これまで手加減されてたんですか!?死ぬ前に寸止めしてたんじゃな……うひゃひゃひゃひゃ!!!くすぐったい!!ちょ、横腹と首は……!僕くすぐりダメなんです!」
「いいことを聞いた。腹がよじれるほど笑って死ね、何万回死んでも足りないから」
「あ、ちょ、羽も駆使してくすぐるのやめてくださいっ!ふにゃははははっくるしいー!いやほんと、勘弁してください!うひゃー!」
結局僕はその日、腹筋が痙攣するまで笑っても解放されず、指一本動かせないほど笑わされて、次の日、屍のような姿でヨンサムに介抱してもらうこととなった。
おしまい。
※2016年5月19日追記:続編の投稿を開始しております。シリーズから飛べるので、小姓の世界にもう少し付き合ってもいいという方はどうぞ!




