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11話 嵐の前

『……で、ルカは?』


電話口から聞こえたサーシャの声に、ヴィットリオは一瞬だけ黙った。


「肋骨一本」


『誰がやったの』


「俺だ」


『パパ? 何してんの?』


「一本だ」


『一本でも骨は骨よ!!』


耳から少し離していたはずの電話から、病室いっぱいにサーシャの声が響いた。


少し離れた椅子に腰掛けていたルカが、何とも言えない顔で視線を逸らす。脇腹には固定が施され、身体を捻らないよう背筋だけは妙に真っ直ぐだった。


ヴィットリオは眉間を押さえた。


「三十八だぞ。ガキじゃねぇ」


『私からしたら弟みたいなもんなの! 十三の頃から知ってるのよ!』


ルカの視線がさらに遠くへ逃げた。


「……聞こえてますけど」


『聞かせてるのよ』


「そうですか……」


電話の向こうで、ジュゼッペの笑い声が聞こえた。


『ほっほ。怒られとるのぉ』


「てめぇは黙ってろ」


『わし、その場におらんかったからのぉ』


『ジュゼッペも止めてよ!』


『無茶言うな。わし電話の向こうじゃぞ』


「そもそもこいつが本気で殴り始めたんだ」


ヴィットリオがルカを顎で示した。


ルカの眉が跳ねる。


「鉄パイプ持ち出した人が何を言ってるんです?」


「てめぇが手ぇ抜くからだろ」


「六十八歳相手に全力で蹴れるわけないでしょうが」


『ちょっと待って』


サーシャの声が急に低くなった。


嫌な沈黙が落ちる。


『ルカが手加減してるの分かってて、鉄パイプで殴ったの?』


ヴィットリオは答えなかった。


『パパ?』


「……一本だ」


『本数の話してない!!』


ジュゼッペが向こうで噴き出した。


『ヴィットリオ、お前さん昔からそういうとこあるのぉ』


「うるせぇ」


ルカは口元に手を当てた。


肩がわずかに揺れている。


ヴィットリオが睨んだ。


「何笑ってやがる」


「いえ。怒られてるなと思いまして」


「誰のせいだ」


「九割あなた自身でしょう」


「残り一割は?」


「俺が殴り返した分です」


「分かってんじゃねぇか」


「その一割で骨は折れてないでしょうが」


マルコが深く息を吐いた。


「家族会議はそのくらいにしていただけますか」


ヴィットリオが顔を向ける。


「誰が家族だ」


「十三歳から育てた三十八歳がいて、その三十八歳を娘さんが弟扱いしている時点で、今さら否定しても説得力がありません」


「私まで巻き込まないでもらえます?」


ルカが顔をしかめた。


「あなたが一番ややこしいんですよ」


マルコはそう返すと、机の上に折り畳んでいた地図を広げた。


紙が擦れる音に、ヴィットリオの表情が変わる。


さっきまで娘に怒られていた父親の顔が消えた。


「それより、一つ共有しておきたい場所があります」


「どこだ」


マルコの指が、地図上のパレルモから東へ滑っていく。


パレルモ。


ヴィットリオ・ロマーノが長年、拠点としてきた街だ。


彼の組織だけではない。


商売人、古い知人、昔から街に住む人間たち。善意であれ恐怖であれ腐れ縁であれ、ヴィットリオという名がもっとも深く根を張っている場所でもある。


その指が、山間部で止まった。


「グラッテリです」


ヴィットリオの眉がわずかに寄った。


「……随分山ん中だな」


「だからこそ、です」


マルコは指先で周囲をなぞる。


「パレルモから車で一時間半ほど。あなたの影響がまったく届かない場所ではないでしょうが、パレルモと同じではない」


「ああ」


ヴィットリオは地図を覗き込んだまま鼻を鳴らした。


「俺の庭からは外れるな」


「届かないわけでは?」


ルカが訊く。


「届かねぇわけじゃねぇ。だが、パレルモみてぇに俺の名前だけで話が回る場所でもねぇ」


ルカが小さく頷いた。


「人も商売も散っていますからね。ボスの影響を受けにくい、と言った方が正確でしょう」


「気に入らねぇ言い方だな」


「事実でしょう」


マルコは二人を無視して続けた。


「山側には森も多い。古い石造建築や、長く使われていない建物も点在しています。修道院跡のような場所もある」


ルカの視線が地図から動かなくなる。


「人目が少ない。古い建物がある。都市部から距離もある」


指先で軽く机を叩いた。


「隠れ蓑としては最適ですね」


ヴィットリオが口元を歪める。


「随分都合のいい場所に根ぇ張ったもんだ」


「まだ灰潮と決まったわけではありません」


マルコは別の資料を取り出した。


「ただ、もう一つ気になることがあります」


「何だ」


「周辺の集落です」


「グラッテリそのものか?」


「いいえ。さらに山側にある、小さな集落の一つです」


マルコは聞き込み記録を机へ滑らせた。


ヴィットリオが一枚取る。


視線が上から下へ動き、やがて止まった。


「……何だこりゃ」


「聞き込みの結果です」


知らない。


見ていない。


何も変わっていない。


別の人間から聞いたはずの言葉が、何度も並んでいた。


ルカが一枚を手に取る。


「全員これですか?」


「ほぼ」


「単によそ者を嫌っている可能性は?」


「もちろんあります」


マルコは頷いた。


「ですが、人の出入りを聞いても、車について聞いても、山側の建物について聞いても、反応がほとんど変わらない」


ヴィットリオが紙を机へ落とした。


口元だけで、小さく笑う。


「オメルタか」


オメルタ。


いわゆる『沈黙の掟』。


犯罪や組織について外部へ語らず、とりわけ警察などの公権力には口を閉ざすという態度を指す。


もっとも、沈黙する者すべてが犯罪者とは限らない。


報復が怖い者。


利益を失いたくない者。


昔からの人間関係を壊したくない者。


面倒事に巻き込まれたくない者。


そして、本当に何も知らない者。


理由は違っても、誰も語らなければ、外から見える景色は同じだった。


マルコはわずかに眉を寄せた。


「そう決めつけるにはまだ早いです」


「分かってる」


「ただ……」


マルコは聞き込み記録へ目を落とした。


指先で、一つの回答をなぞる。


「沈黙が揃いすぎています」


ルカも資料を眺めていたが、ふと眉を上げた。


「……村の名前までは分かりませんが」


二人の視線が集まる。


「うちにも少し妙な話は入っています」


「何が?」


「最近、山側の田舎で妙に羽振りのいい連中が増えた、と」


マルコの目が鋭くなる。


「どの辺りです?」


「そこまでは絞れていません。会社の取引先や出入り業者から拾った程度の断片情報です」


ルカは脇腹へ触れないよう身体を少しだけずらした。


「急に豪邸が建ったとか、高級車が並び始めたとか、そんな派手な話じゃありません」


指を一本立てる。


「古い車を買い替えた」


二本目。


「家をまとめて修繕した」


三本目。


「閉まっていた店がまた営業を始めた」


最後に手を下ろす。


「以前より、現金の回りがいいらしい」


ヴィットリオが低く訊く。


「人は増えたのか」


「聞いている限りでは」


「観光客は?」


「目立って増えてはいません」


マルコが地図と資料を見比べる。


眉間の皺が、少し深くなった。


「……こちらの集落と重なる可能性がありますね」


ルカが腕を組む。


「俺の方は金の動き」


「こちらは人の沈黙」


ヴィットリオがグラッテリ周辺を指先で叩いた。


「場所は俺の影響が薄い山奥」


「古い建物もある」


「人目も少ない」


マルコがゆっくり息を吐いた。


「単独なら弱い情報です」


「三つ重なれば?」


「無視できません」


電話の向こうで、ジュゼッペが口を挟む。


『つまり、山ん中の古い建物に、最近金持ちになった連中が何か隠しとるかもしれんということじゃな』


マルコが目を閉じた。


「かなり雑に言えば」


『分かりやすくてええじゃろ』


「あなたたち、何でも雑にまとめるのやめてもらえます?」


その時だった。


『山!?』


ヴィットリオの顔から露骨に嫌そうな色が浮かんだ。


「……聞いてたのか」


『聞こえてた!』


テオだった。


『俺だって、できることあるから行きたい』


「駄目だ」


『早いって!』


「聞く必要がねぇ」


『それに俺がいれば、鍵なくても上から行けるよ!』


「だから駄目だっつってんだろ!」


ヴィットリオの怒声に、ルカが眉間を押さえる。


マルコはもっと疲れた顔をした。


「能力のプレゼンをしないでください」


『なんで!? 役に立つじゃん!』


ルカが電話を見る。


「あなた、自分が今何を申告しているか分かってます?」


『潜入できますって』


「侵入です」


『似たようなもんじゃん』


「違います」


『でも俺、登れるし。普通の入口使わなくても――』


「追加でプレゼンするな!」


電話の向こうから、エリザの笑い声がした。


『だから駄目だって言われてるでしょ』


『でもさ!』


テオの声から、少しだけ軽さが消えた。


『俺だけ何もしないの嫌なんだよ』


ヴィットリオの表情が変わった。


眉間に寄っていた皺が、ほんの少しだけ緩む。


『じいちゃんが囮になるんだろ?』


答えない。


『ルカさんだって骨折してんのに動くんだろ?』


「動きません」


マルコが即答した。


ルカが顔を上げる。


「まだ何も言ってませんよ」


「言い方がもう動く人なんですよ」


『ほら!』


「ほらじゃありません」


『俺だって何かできる』


少しの沈黙。


『守られて待ってるだけって、嫌なんだよ』


ヴィットリオは目を閉じた。


ゆっくり息を吐く。


「テオ」


『……うん』


「その“できること”を今使うな」


『でも――』


「使える時まで取っとけ」


返事はすぐには来なかった。


やがて。


『……分かった』


ヴィットリオが目を細める。


何十年も人間を見てきた。


あれは、分かった奴の返事ではない。


ルカも同じことを思ったらしい。


「嫌な返事ですね」


「お前が言うな」


「何でです?」


「てめぇも同じ顔してるからだ」


「私は大人ですよ」


「大人なら医師の指示を守ってください」


マルコが即座に返した。


ちょうど病室へ戻ってきた医師まで、ルカを見る。


「激しい運動は避けてください」


ルカは素直に頷いた。


「分かりました」


マルコがじっと見る。


ヴィットリオも見る。


二人とも何も言わない。


ルカが眉を寄せた。


「……何です?」


「信用できませんね」


「俺も」


「なんで二人とも疑うんです?」


ヴィットリオが鼻を鳴らした。


「お前だからだ」


「理由になってませんよ」


「なってる」


*


「取れたぞ」


薄い封筒が机の上へ放られた。


十円ハゲが椅子ごと前へ寄る。


「何が?」


「診察記録」


その一言で、部屋にいた男たちの視線が集まった。


資料係が中身を取り出す。


紙を一枚ずつ並べていく。


「ルカ・モレッティ。肋骨一本骨折」


「……マジ?」


「マジ」


十円ハゲは紙へ顔を近づけた。


まるで文字が突然変わるのを期待しているようだった。


「ヒビじゃなく?」


「骨折」


「ロマーノは?」


古参が横から覗き込む。


「頬と胴の打撲。内出血による腫れあり。骨には異常なし」


新人が眉を寄せた。


何度か紙と二人の顔を見比べる。


「……ひとついいです?」


「何だ」


「殴り合いに勝ったの、モレッティですよね?」


「そうらしいな」


「なのに骨折したのはモレッティ?」


「そう」


「ロマーノは?」


「腫れただけ」


新人は少し考えた。


「なんで?」


資料係は表情一つ変えなかった。


「鉄パイプ」


十円ハゲの手が机を叩いた。


「……あのジジイ!!」


古参が眉をひそめる。


「なんでお前が怒るんだよ」


「おかしいだろ! 三十八の現役相手に六十八のジジイが負けたのに、なんで勝った方が骨折して帰ってんだよ!」


「鉄パイプだからだろ」


「年齢差を武器で調整するなよ!」


新人が記録を見つめる。


「これ……普通に決裂してません?」


「普通ならな」


「仲良かったら肋骨折ります?」


十円ハゲの口が開く。


だが、すぐ閉じた。


眉間に皺を寄せ、少し考える。


「……ロマーノなら折りそうなんだよな」


「そこなんですよね」


妙な沈黙が落ちた。


診察記録は本物。


人前で殴り合った映像もある。


警察に押さえられながら、なお互いに掴みかかろうとしていた。


そして、片方は本当に骨折している。


普通なら決裂したと考える。


普通なら。


「……胡散臭ぇな」


低い声が落ちた。


男たちが振り返る。


古参も十円ハゲも、その男を名前ではなく『おやっさん』と呼んでいた。


男の名は、ロザリオ・フェッランテ。


シチリアに生まれ、十二歳で自分のいた組織を失った。


行き場を失った少年は、そのままナポリまで流れ着いた。


そこで再び裏社会へ入り、今では人を使う側に立っている。


ロザリオはゆっくり机へ近づいた。


診察記録を手に取る。


一枚目。


二枚目。


紙の端を指先で揃え、もう一度最初へ戻る。


十円ハゲが横から顔を覗き込んだ。


「罠だと思います?」


ロザリオは答えなかった。


親指で顎を二度擦る。


視線が、ルカ・モレッティの『肋骨骨折』という記載へ戻った。


「知らねぇ」


「でも骨は折れてますよ」


「見りゃ分かる」


「ロマーノも腫れてます」


「それも見りゃ分かる」


ロザリオの口元が僅かに歪んだ。


「出来すぎてんだよ」


新人が訊いた。


「じゃあ、やめます?」


ロザリオが顔を上げる。


「なんでだよ」


「え?」


「罠かもしれねぇ」


診察記録を机へ落とした。


「だが、骨折してんのは本物だ」


古参が腕を組む。


「決裂も本物なら、警備は減る」


「そういうことだ」


「決裂してなかったら?」


ロザリオは肩を竦めた。


「それでもモレッティの肋骨は折れてる」


十円ハゲが顎を掻く。


「……前よりはマシか」


新人が首を傾げた。


「前?」


古参の顔が露骨に曇った。


「前に一回、二人とも無傷の時に下っ端ぶつけたんだよ」


「どうなったんです?」


「全員やられた」


「武器は?」


「こっちは持ってた」


「向こうは?」


古参は黙った。


十円ハゲが代わりに答える。


「……素手」


新人の目が丸くなった。


「え」


「元ラスボスと現ラスボスが揃ってるようなもんだったからな」


「ラスボス二体同時?」


「そう」


新人が少し考えた。


「俺ら実は勇者?」


古参が真顔で返した。


「この組織にとっては勇者だろ」


「マジで?」


十円ハゲが眉を寄せる。


「いや、待て」


「何だよ」


「俺らが勇者なんじゃなくて、あっちがレベル百だった何かなんじゃね?」


「勇者じゃねぇのかよ」


古参が深いため息を吐いた。


「どっちもアングラだろうが。勇者なんざいねぇよ」


新人が小さく手を上げる。


「でも一応、ラスボスの一人は一般人なんすけど」


十円ハゲが即答した。


「人の皮被ったゴリラは一般人じゃねぇだろ」


「一応、会社経営者ですよ?」


「分類が現実に負けてんだよ」


「会社も合法ですよ?」


「合法企業の社長がなんでマフィアの下っ端を素手で全滅させてんだよ」


「俺に聞かれても」


新人が診察記録を指差す。


「じゃあ今は、負傷した元ラスボスだけで警備も減るなら……中ボスくらいですかね」


古参がすぐに返した。


「ラスボスが負傷してるレベルのやつが中ボスで収まるかよ」


「……」


「しかも現ラスボス、肋骨折れてるだけで生きてるからな」


「難易度戻すなよ」


十円ハゲは黙り込んだ。


腕を組み、しばらく天井を睨む。


そして、ぽつりと言った。


「……あのゴリラ、来ると思う」


「どこに」


「ロマーノんとこ」


「骨折してんだぞ」


「でも来るって」


「来ねぇよ」


「絶対来るって!」


古参が面倒臭そうに手を振った。


「来たら好きなだけ騒げ」


十円ハゲが身を乗り出した。


「言ったな?」


「好きにしろ」


「俺、絶対言うからな」


「何をだ」


十円ハゲは両手を広げた。


「やっぱりゴリラ来たじゃねぇかよぉおおおお!って」


古参が顔を覆った。


「今から叫ぶ練習すんな」


その横で、ロザリオだけは笑っていなかった。


診察記録から視線を外し、別の資料を取る。


「爆発後、死体は確認できたか?」


空気が変わった。


資料係の指が止まる。


「まだです」


「理由は?」


「地盤が緩んでいます。瓦礫の隙間にも土砂が入り込み、捜索は難航しているようです」


ロザリオの瞼が僅かに下がった。


「生存確認は」


「完全には」


「そうか」


短い返事だった。


ロザリオは椅子の背へ身体を預ける。


少しだけ考えた。


それから、ごく普通の声で言った。


「死体が見つかったら持ってこい」


資料係の手が止まった。


新人も顔を上げる。


「……持ってくる?」


「ああ」


ロザリオの口元だけが、ゆっくり吊り上がった。


指先が机を一度叩く。


「アイツの大事なもんの首を晒して、アイツの目の前まで引きずり出してやる」


誰も笑わなかった。


新人の喉が小さく動く。


「……それ、本当にやるんですか」


「見つかったらな」


「ロマーノ、ブチ切れますよ」


ロザリオの目が細くなる。


今度は、はっきり笑った。


「だからやるんだろ」


十円ハゲが横目で古参を見る。


「……やっぱ俺ら勇者じゃねぇな」


「最初から悪の組織だよ」


「さっきこの組織では勇者って言ったじゃん」


「撤回する」


ロザリオは再び診察記録を手に取った。


ルカ・モレッティ。


肋骨骨折。


ヴィットリオ・ロマーノ。


打撲。


内出血。


二人は公衆の面前で殴り合った。


警察まで介入した。


ジュゼッペ・ベッリーニたちは、今のところ死亡扱い。


出来すぎている。


だから胡散臭い。


ロザリオは目を閉じた。


十二歳だった自分の前から、次々と大人が消えた日の記憶が、一瞬だけ蘇る。


目を開ける。


四十二年。


その時間が長かったのか、短かったのか。


本人にも、もう分からない。


ただ。


目の前にある好機を見逃すつもりだけはなかった。


「……罠かもしれねぇ」


十円ハゲが顔を上げる。


「やっぱり?」


「ああ」


「じゃあ――」


「行くぞ」


十円ハゲの口が半端に開いた。


「え?」


ロザリオは立ち上がった。


「罠だろうが何だろうが、前より条件がいいのは本物だ」


古参も表情を引き締める。


「モレッティは骨折」


「ロマーノも無傷じゃねぇ」


「決裂してんなら警備も減る」


ロザリオは机の上の写真を指先で弾いた。


腫れた顔でこちらを睨むヴィットリオが、紙の上を滑る。


「無傷のあいつら二人が並んでる時に比べりゃ、遥かにマシだ」


十円ハゲだけが、まだ納得しきれない顔をしていた。


「でも、あのゴリラ来そうなんだよなぁ……」


「しつけぇぞ」


「いや、絶対来るって」


「病院で寝てるだろ」


「来たら俺、絶対言いますからね」


「好きにしろ」


ロザリオはもう笑わなかった。


「準備しろ」


低い声が落ちる。


「四十二年だ」


指先で、ヴィットリオの写真を押さえる。


「今度こそ、ロマーノを引きずり下ろす」


部屋にいた男たちが動き始めた。


疑いは消えていない。


罠かもしれない。


それでも。


灰潮は、差し出された餌へ牙を立てた。

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