第5話「道具ではなく、ただ一人の女性として」
焼けるような激痛の奥で、誰かの絶叫が微かに響いていた。
「ロゼリア! 目を開けろ、ロゼリア!!」
引き裂かれるような悲痛な叫び。
重い瞼をわずかに持ち上げると、視界に飛び込んできたのは、涙で濡れたジークハルト殿下の顔だった。
冷徹な仮面など微塵も残っていない。私の身体を固く抱きしめる彼の手は激しく震え、王太子の尊厳も投げ打って必死に私の名を呼び続けていた。
「嘘だろ……頼む、逝かないでくれ! お前を失うくらいなら……王位も、国も、全てを捨てたって構わない! 道具などと、一度も思ったことなどないんだ……!」
ぽたぽたと、彼の涙が私の頬を濡らす。
ああ、やはりこの人は、不器用なほどに優しい人だ。
私は朦朧とする意識を総動員し、痛む喉を無理やり震わせた。
「……ジーク、様……」
「ロゼリア!? 喋るな、今すぐ侍医を――」
「帯の、裏……粉末を……早く」
切れ切れの声で告げると、ジークハルト殿下は弾かれたように私の帯の裏を探り、小さなガラス瓶を取り出した。
あらかじめ調合しておいた、自律活性型の解毒中和薬。
ジークハルト殿下が震える手で蓋を開け、その粉末を私の口元へと流し込んでくれる。
喉を通った瞬間、体内で「毒喰らいの血」が猛烈に沸き立ち、冥府の滴の毒素を急速に分解していくのが分かった。
胸の奥を焼き焦がしていた熱がすっと引き、乱れていた呼吸が徐々に整っていく。
「……化け物め、なぜ死なない……!」
呆然と立ち尽くすレオンハルト殿下。
だが、その言葉が終わるよりも早く、ジークハルト殿下の鋭い一閃がレオンハルト殿下の武器を弾き飛ばし、そのまま峰打ちで地に倒す。駆け込んできた近衛騎士団が雪崩を打って反逆者たちを取り押さえた
「連行しろ。反逆罪および王太子妃暗殺未遂の現行犯だ」
冷酷な命を下したジークハルト殿下は、振り返るとすぐに私を横抱きにし、宝物を扱うような手つきで離宮の寝室へと運び込んだ。
◇
静寂を取り戻した部屋で、寝台に横たわる私の手を、ジークハルト殿下はずっと両手で包み込んで離そうとしなかった。
「……無茶ばかりする」
怒っているような、けれど泣き出しそうな声。
私はくすりと小さく笑った。
「言ったでしょう? 私には毒が効きません。それに、殿下の命を奪おうとする者を暴くには、確たる証拠が必要でしたから」
「そんなもののために、お前が痛い思いをする必要などない!……もう二度と、私のために毒を飲むな。私の前で傷つくな」
ジークハルト殿下は私の手の甲に額を押し当て、深い後悔を滲ませるように言葉を絞り出した。
「私はずっと恐れていた。大切な者を作れば、また暗殺の標的にされて奪われるのではないかと。だからお前を遠ざけようとした……だが、違った。お前を失う恐怖のほうが、何千倍も恐ろしかった」
ゆっくりと顔を上げた彼の瞳には、偽りのない熱い情愛だけが宿っていた。
「ロゼリア。私はお前を、毒見の道具として選んだのではない。……ただ一人の女性として、心から愛しているからこそ、私の隣にいてほしい」
幼い頃から求められ続けた「役目」の鎖が、音を立てて解けていく。
視界が涙で滲むのを止められず、私は彼の胸元にそっと手を伸ばした。
「……はい、ジーク様。道具としてではなく、あなたの妻として、ずっとお側にいさせてください」
微笑む私を引き寄せるように、ジークハルト殿下の腕が優しく回される。
だが、温かな抱擁の余韻に浸る間もなく、彼は真剣な面持ちで私の顔を覗き込んできた。
「ところでロゼリア、これからはお前の食事の毒見は全て私がやる」
「……はい? 殿下には毒の耐性がございませんよ?」
「ならば毒見用の銀器を百組用意する。食材の仕入れから調理の全工程に私が立ち会い、一切の危険を排除する。お前が口にするものは、水一滴たりとも私が安全を保証したものだけだ」
「ジーク様、それは過保護を通り越して公務に支障が出ます……!」
慌てる私を見て、ジークハルト殿下は悪戯っぽく、けれどどこか嬉しそうに目を細めた。
不器用で、重すぎるほどの愛を注ぐ私の夫に、私はあきれ混じりの幸せな笑みをこぼすのだった。




