ロスヴィータとノア②
――取り返しのつかないことをしてしまったのではないか。
公爵は自問する。
『それ、一体どういうことですの?』
公爵は何も言えなかった。
それどころか、問いかける愛娘の顔を見据えることさえできなかったのだ。
思えば、王女であった妻を娶るために随分苦労したものだ、と公爵は振り返る。
ツィマーマン公爵家の嫡男として早くから王城へ上がり、当時王太子であった現王とは幼馴染であった。
必然、王妹である妻とも幼馴染というわけだが、長い年月をかけて想いを育ててきた公爵とは違い、妻のほうはまったく公爵を意識していなかった。
年頃になり、互いに婚約の話が出る中で、公爵は何度となく王女であった妻に想いを伝えた。
最初のうちは冗談としてかわされてしまったが、何度もしつこくアピールするうち、ようやく自分のことを男として意識してもらえるようになった。
しかしそんな矢先、妻に帝国の第二王子との縁談が舞い込んだのだ。
「はぁ……こんな昔話など……」
公爵はソファの背もたれに頭を預けた。
今は執務室にひとり、頭を冷やすつもりで閉じこもっている。
あの時、ひと言も言葉を発することのできなかった公爵に代わり、場を取り繕ったのはフランツだった。
フランツは勝手に求婚を断った父を責めはしなかった。
ただ静かに、三年前にあの方から結婚の申し入れがあったこと。自分たちが知らぬ間に父が断ってしまったこと。
その事実だけを淡々と姉に伝えた。
「……そう」
ただそれだけだった。
ロスヴィータはその場で泣き崩れることも、喚き散らすこともなかった。
ただ静かに一言こぼしたあと、そっと扉を閉めて行ってしまった。
その様子が、普段のロスヴィータからあまりにもかけ離れていたため、公爵も夫人も、そしてフランツも、余計に胸が痛んだのだった。
◇
翌朝、ロスヴィータは部屋から一歩も出てこなかった。
もちろん学校も休んでいる。
鍵の掛けられた部屋には誰も入れてもらえず、部屋の前に置かれた食事にも手をつけた様子はなかった。
そして夜。
ダイニングルームにはロスヴィータを除いた家族三人が集まっているが、相も変わらず、なんとも言えない息苦しさに包まれていた。
「むしろ責めてくれたら……」
公爵が独りごちるが、誰もそれに続かない。
「……修道院」
ふいにフランツが呟いた。
「何だって?」
聞こえてはならない単語が聞こえた気がして、公爵は聞き返す。
するとフランツは、今度は父のほうへ顔を向け、はっきりと告げた。
「修道院ですよ。以前、姉上がおっしゃっていました」
「どういうことだ?」
「どういうことなの?」
今度は両親揃って問う。
「もしノア様と結婚できなかったら、修道院に入ると――」
「ならん!」
「そんな!」
子の幸せを願わぬ親などいない。
公爵も夫人も、結果的には恋愛を経て結婚に至り、その夫婦仲は社交界一とも噂されるほどだ。
「あなた」
「むぅ……」
夫人が何かをねだるように公爵を見つめる。
「あなた!」
「いや、しかしだな。一度断っておきながら、その、こちらから願い出るなどというのは……」
「あなた!!」
「いやダメだろう! 彼奴はすでに他の女性と良いご縁ができたのだろう? そのような噂で持ちきりだと言っていたではないか!」
公爵夫妻がそんなやり取りをしていると――
――コンコンコンコン!!
落ち着きのないノックが響いた。
同時に扉が開き、一人のメイドが呼吸もままならぬ様子で転がり込んでくる。
ロスヴィータ付きのメイドだった。
「あの! お、お食事中に失礼いたします! お嬢様が、お嬢様がっっ!!」
ただならぬ様子に、公爵夫妻も言い争いをやめた。
「しゅ、修道院に入るとおっしゃって……髪を切るから鋏を持って来いと――」
「なんだって?」
「なんですって?」
公爵夫妻は同時に立ち上がり、手にしていたカトラリーを投げるように置くと、すぐさまロスヴィータのもとへ駆け出した。
そんな両親の背中を、フランツはただ静かに見送っていた。




