1.恋の終わり
ーーパシッッ
乾いた音が昼休みの廊下に響き渡る。
アリシアは一瞬何が起こったのかわからなかった。いや、わかりたくなかったのかもしれない。
(私、今、マーク様に叩かれたの?)
打たれた左の頬がじぃんと熱を帯び、否応なしにこれが現実なのだと訴えかけてくる。
目の前にはアリシアをきつく睨みつける婚約者のマーク。
そんなマークの左腕を自分の胸元に抱きこんで、彼にぴたりと身を寄せているのは隣のクラスのキャロルという女子生徒だ。
アリシアは痛む頬に手を当て、黙ったままマークを見上げた。
「なんだその目は! お前がキャロルにしてきた嫌がらせの数々を僕が知らないとでも思っているのか!」
「わ、わたし、今までずっと怖くてーー」
マークにくっついたままのキャロルは、器用に身体を震わせながら今にも泣き出しそうな声で訴える。
ちなみに彼らが言う嫌がらせなどアリシアは知らない。
アリシアがしたことと言えば、自分の婚約者であるマークに必要以上に親しくしないでほしい、と何度かキャロルに訴えたことくらいだった。
『まぁ、なんの騒ぎ?』
『フロックス様がアリシア様の頬を打ったのよ』
『うわっ、ついに修羅場か?!』
昼休みの廊下はすぐに野次馬たちであふれかえり、それぞれが好き勝手に騒ぎ始める。
アリシアは、キャロルを腕にくっつけたままなおも睨みつけてくるマークを改めて見つめていた。
(マーク様って、こんなお顔だったかしら……?)
幼い時に一目惚れして以来、ずっと大好きだったマーク。いつ見てもキラキラ輝いていた彼が、なんだか急に知らない人のように思えた。
アリシアとマークは幼なじみだ。
アリシアのブルーベル子爵家とマークのフロックス伯爵家は隣り合う領地を持つため、必然と交流があったからだ。
幼い頃は互いの家で茶会を開いたり、カードゲームに夢中になったり。
二人の婚約はその頃に結ばれたものだった。
けれど年頃になったマークは、あからさまにアリシアを疎むようになってしまった。
そして学園に入ってからこのニ年、話しかける機会さえ与えないほどマークはアリシアを避けている。
「いつまで呆けているんだ! アリシア、さあ、キャロルに謝れ!」
マークの言葉に、彼の腕にしがみついたキャロルが一層瞳を潤ませてアリシアを見上げる。
(私が一体何をしたっていうの?)
アリシアの中で急激に気持ちが冷めていく。
できるならこのまま立ち去りたい、アリシアがそう思った時だった。
「先生、早く! こちらです!」
アリシアの親友、メリルの声が聞こえた。
メリルはこの騒ぎに集まっていた野次馬たちを掻き分け、アリシアのそばまで駆けてくる。
「もう大丈夫よ、アリシア。怖かったわね、こんなに震えて……」
メリルはアリシアの背中に優しく手を添えながら、水で濡らしたハンカチをアリシアの打たれた頬に当ててくれた。
そして言われて初めて、アリシアは自分自身が震えていることに気がついた。
両手の平を広げてじっと見てみると、プルプルと小刻みに震えているのがわかる。
(そっか、私ーー)
「怖かった」
そう呟いたアリシアの身体が急に傾いた。
「アリシア!!」
「危ない!」
そばにいたメリルと、彼女が呼んできた教師がすかさずアリシアの身体を支えた。
「ひとまず彼女を医務室へ運ぼう。生徒諸君は教室に入りなさい。それからフロックス君、君は後で教務室まで来るように」
そうして昼休みの騒動は幕を下ろした。




