番外編
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
鉄の令嬢、恋を知る
世界を最適化し、国家を導き、ついには時空の監査役となったクレア・フォン・アルトシュタット。
そんな彼女が唯一、「計算通りにいかない」と匙を投げた領域があった。
それは、彼女自身の「心」という名の、最も不合理な資産運用についてである。
最強のパートナー候補
「クレア、いい加減に認めないか。君の人生のポートフォリオに欠けているのは、安らぎという名の配当だ」
そう言って彼女のオフィスに(勝手に)高級な茶葉を持ち込むのは、今や大陸全土を治める王となったエドワードだった。
かつてのビジネスパートナー。今や、彼女が唯一「背中を預けられる男」である。
彼は王としての責務を果たしながらも、常にクレアの隣の席を空けて待っていた。
「殿下、恋愛はコストパフォーマンスが低すぎます。感情の起伏による生産性の低下、時間の不法占拠、そして将来の不確実性。投資対象としては『不適格』ですわ」
クレアは書類から目を離さずに即答する。
だが、エドワードは慣れた様子で茶を淹れ、彼女の前に置いた。
「だが、君はかつて言っただろう? 『未知への投資こそが最大の利益を生む』と。……俺という未知を、試してみる気はないか?」
その言葉に、クレアのペンが初めて止まった。
不合理な高鳴り
ある夜。
二人は視察という名目で、王都の夜景が見える静かな丘を訪れていた。
かつてのレオンハルトとの「義務」としての外出とは違い、隣に並ぶ男の体温が、やけに鮮明に伝わってくる。
「……心拍数が通常の1.2倍。顔面の毛細血管が拡張。これは、軽度の熱中症か、あるいは……」
「あるいは、恋だ」
エドワードが彼女の言葉を遮り、その手を取った。
前世の鈴木明子としても、今世のクレアとしても、これほどまでに真っ直ぐに、対等な存在として見つめられたことはなかった。
「君は世界を救い、人々を自由にした。だが、君自身はいつ自由になる? 誰かのための『完璧なクレア』ではなく、ただの女性として俺を頼ることは、そんなに難しいか?」
クレアの脳内にある超高性能な演算回路が、一瞬でフリーズした。
論理的な反論が浮かばない。
それどころか、彼の指先が触れる場所から、熱が全身に広がっていく。
「……ずるいですわ、殿下。私に『論理』を捨てろとおっしゃるなんて」
独占契約の締結
クレアは深く溜息をつき、そして微かに微笑んだ。
それは、世界を屈服させた時の冷徹な笑みではなく、春の陽だまりのような、柔らかい笑みだった。
「よろしいでしょう。エドワード・フォン・リトグラフ様。あなたと一世一代の『契約』を交わします」
「条件を聞こう」
「期間は、私の命が尽きるまで。……いいえ、魂が消えるまで。報酬は、私を二度と独りきりにさせないこと。そして——」
クレアは自分から、一歩踏み出した。
「定時後の私の時間は、すべてあなたが買い取ってください」
エドワードは歓喜に目を細め、彼女を強く抱きしめた。
「安いものだ。俺の全人生をかけて、その独占権を維持しよう」
甘い残業
それからの王宮では、奇妙な光景が見られるようになった。
相変わらずテキパキと政務を片付ける「鉄の王妃」クレア。
しかし、時計の針が17時を指した瞬間、彼女はペンを置き、駆け寄ってきた王と手を繋いで部屋を出ていく。
「クレア、今日は新型の魔導スイーツを予約してあるんだ」
「殿下、それは糖分過多ではありませんか? ……まあ、あなたと一緒に歩いて消費するなら、許容範囲ですけれど」
計算高く、冷徹で、誰よりも有能な彼女が、たった一人の男の前だけで見せる「隙」。
それは、世界で最も価値のある、二人だけの秘密の資産となった。
かつて愛に裏切られ、仕事に殺された一人の魂は、今、最高のパートナーと共に、不合理で愛おしい「幸福」という名の利息を、永遠に受け取り続けるのである。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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