前編
数ある作品の中から本作をお選びいただき、ありがとうございます。
拙い部分もあるかと思いますが、最後までお楽しみいただければ嬉しいです。
侯爵家の次女、クレアの覚醒
【前編】
使い潰される才
クレア・フォン・アルトシュタットは、生まれた瞬間から未来が決められていた。
隣接するベルクシュタット侯爵家との婚約。
それは家同士の結びつきを強めるための、疑う余地のない“当然”だった。
彼女はそれを拒まなかった。
拒むという選択肢を、最初から与えられていなかったからだ。
⸻
十三歳の春。
クレアは婚約者であるレオンハルト・フォン・ベルクシュタットのもとへ通い始めた。
最初に与えられた役目は、ごく簡単なものだった。
書類の仕分け。
来客の記録。
簡単な計算。
「まだ子供だし、無理はさせられん」
周囲はそう言っていた。
だが、その認識は一ヶ月で覆る。
「……これは、おかしいです」
クレアが指摘したのは、帳簿の小さな誤差だった。
だがそれは、辿れば数百金貨規模の損失につながる致命的なミスだった。
執事が驚愕する。
「なぜそれに気づいたのですか?」
「数値の流れが不自然でした」
それだけだった。
だが、それがすべてだった。
⸻
そこから、何かが変わった。
「クレア、これも見ておいてくれ」
「この案件、判断していいぞ」
「会議資料をまとめておけ」
仕事が、雪崩のように流れ込んできた。
最初は手伝いだった。
だが気づけば——
彼女が中心になっていた。
税制改革案。農地再配分。商人との契約。
本来なら複数の専門家が関わる仕事を、クレアは一人で処理していく。
しかも、正確に。
速く。
無駄なく。
⸻
だが——
「よくやっているな」
評価は、それだけだった。
会議で語られるのは、レオンハルトの功績。
「我が子は優秀でな」
「将来が楽しみだ」
侯爵は誇らしげに語る。
その背後で、クレアはただ立っていた。
自分の仕事が、自分のものとして扱われることはない。
それでも——
彼女は何も言わなかった。
「婚約者だから」
その一言が、すべてを飲み込ませていた。
⸻
三年後。
クレアは十六歳になっていた。
生活は変わっていない。
いや、悪化していた。
朝六時に起きる。
夜は日付を越える。
書類の山は減らない。
増え続ける。
⸻
一方で、レオンハルトは。
「今日は狩りだ」
「夜は舞踏会に行く」
「その書類、適当に処理しておいてくれ」
執務室にいる時間の方が短かった。
いや、ほとんどいない。
そして、金の流れも変わっていた。
不自然な支出。
増え続ける浪費。
娼館。賭博。贈り物。
クレアは帳簿を見て、確信した。
——これは、領地の金だ。
⸻
ある日。
彼女は、初めて口にした。
「この支出について、説明をお願いします」
レオンハルトは一瞬だけ目を細めた。
そして——
「関係ないだろ」
冷たく言い放つ。
「お前は婚約者であって、当主じゃない」
その言葉は、明確な線引きだった。
「口出しするな」
クレアは、何も言い返せなかった。
ただ、静かに頭を下げた。
⸻
それでも、働き続けた。
自分がやらなければ、この領地は回らない。
そう分かっていたから。
⸻
だが——
限界は、確実に近づいていた。
睡眠は三時間。
食事は義務。
体は軽くなり、視界が揺れる。
ペンを持つ手が震える。
それでも止まらない。
「これが終われば」
その言葉だけで、自分を動かす。
⸻
そして、その日が来た。
最後の書類をまとめ終えた瞬間。
世界が傾いた。
「あ……」
膝から崩れる。
床に落ちる音が、やけに遠い。
視界が白くなる。
誰かの声が聞こえる。
だが、それもすぐに消えた。
⸻
——意識が、落ちた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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