第26話 侵食
変化は、目立たない形で現れた。
「……取引が、遅れています」
文官の報告は、いつもより歯切れが悪かった。
「どこが」
エレノアが問う。
「西側の中規模商会です。契約自体は維持されていますが……」
「ですが?」
「決済が遅延しています」
沈黙。
それは小さな異常だった。
だが――
放置できるものではない。
「理由は」
「“内部調整中”とのことです」
「……」
エレノアは、目を細めた。
それは理由ではない。
ただの言い訳。
「他は」
「同様の動きが、南側でも一部確認されています」
文官の声が、わずかに低くなる。
「連鎖の兆候が」
静かに言う。
だが。
その意味は重い。
「……」
エレノアは、何も言わなかった。
ただ、書類を見つめる。
数字は、まだ崩れていない。
だが。
“遅れ”が出ている。
それはつまり――
流れが、鈍っている。
「……侵食」
小さく呟く。
「はい?」
「内部から」
視線を上げる。
「崩しに来ています」
文官が息を呑む。
「……カティア」
「ええ」
エレノアは頷く。
「直接ではない」
一歩、前に出る。
「選ばせている」
その言葉に、理解が追いつく。
利益。
条件。
より良い選択肢。
それを提示し――
こちらを“選ばせない”。
「……厄介ですね」
文官が言う。
「ええ」
短く答える。
これは、正面からの戦いではない。
崩す戦い。
気づいたときには、手遅れになる。
「……対応は」
問う。
だが。
エレノアは、すぐには答えない。
考える。
流れ。
構造。
そして――
相手。
「……まだ」
小さく言う。
「表に出ていない」
「はい」
「なら」
一拍。
「まだ、こちらの“形”は保たれています」
文官が頷く。
確かに。
まだ崩れてはいない。
だが――
「時間の問題です」
その言葉は、冷静だった。
そして、正確だった。
「……」
沈黙。
重い。
だが、止まらない。
「……呼びます」
エレノアが言った。
「誰を」
「サラを」
短く。
それだけで、十分だった。
数刻後。
「……また来ましたね」
サラが、いつものように現れた。
壁にもたれ、軽く笑う。
「状況は」
エレノアが問う。
「悪いですね」
即答。
迷いもない。
「じわじわ削られてる」
一歩、近づく。
「でも、まだ崩れてない」
その目は、冷静に状況を見ている。
「……どう見ますか」
エレノアが問う。
サラは、少しだけ考えた。
そして。
「綺麗にやられてる」
と、言った。
その一言に、重みがある。
「正面から来ない」
指を立てる。
「だから、止めにくい」
もう一本。
「しかも、利益で誘導してる」
視線を向ける。
「あなたのやり方の“上位互換”」
沈黙。
それは。
事実だった。
「……」
エレノアは、何も言わない。
だが。
その中で、理解している。
これは。
単なる対抗ではない。
“構造の上書き”。
「……で?」
サラが言う。
「どうするの?」
その問いは、軽い。
だが。
逃げ場はない。
「……逆にします」
エレノアは言った。
静かに。
だが。
確実に。
「逆?」
「ええ」
一歩、踏み出す。
「選ばせるのではなく」
視線を上げる。
「選べなくします」
沈黙。
その意味を、理解するまでに、少し時間がかかる。
「……それ」
サラが、わずかに笑う。
「かなり危ない橋よ?」
「ええ」
エレノアは頷く。
「ですが」
一拍。
「それしかありません」
その言葉に、迷いはなかった。
だが。
リスクも、理解している。
「……いいわ」
サラが言う。
「乗る」
その声は、楽しそうだった。
「こういうの、嫌いじゃない」
その笑みは、危うい。
だが。
頼もしい。
「では」
エレノアは言った。
「始めます」
その一言で。
戦いは、次の段階へ進む。
侵食に対して。
支配で返す。
それが――
この戦いの形だった。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
ついに「侵食」が本格的に始まりました。
そしてエレノアは、
それに対して“さらに強い手”を選びます。
ここからは、
守りではなく“攻め”のフェーズに入ります。
次話では、
この判断がどう動き出すのかが描かれます。
一気に面白くなるポイントなので、
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