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第23話 それでも足りない

 安定は、長くは続かなかった。


「……報告します」


 文官の声は、どこか重かった。


「南側の商会より、契約の一部見直し要求が出ています」


「内容は」


 エレノアは即座に問う。


「利益配分の再交渉。および、優先権の固定化を」


 沈黙。


 それはつまり。


 “もっと寄越せ”という意味だ。


「理由は」


「安定したため、とのことです」


 当然だった。


 混乱時は従う。


 だが安定すれば――


 取り分を増やそうとする。


 それが、商人だ。


「……」


 エレノアは、何も言わなかった。


 ただ、書類に目を落とす。


 数字は、安定している。


 流れも戻っている。


 だが。


 それは“均衡”ではない。


 ただの、仮の安定。


「拒否しますか」


 文官が問う。


 エレノアは、わずかに考えた。


 そして。


「一部、受け入れます」


 静かに言った。


 文官が目を見開く。


「ですが、それでは――」


「全体は守れます」


 短く答える。


「すべてを守ることはできません」


 その言葉は、どこか乾いていた。


 感情がない。


 だが――


 重い。


「……承知いたしました」


 文官は頭を下げる。


 それ以上は言わない。


 言えない。


 理解しているからだ。


 この選択の意味を。


 そのとき。


「追加報告」


 別の文官が入ってくる。


「北側、失業者が増加しています」


 沈黙。


「……規模は」


「小規模商会の解体に伴い、約三百人ほど」


 数字としては小さい。


 だが。


 この領地にとっては、無視できない。


「……」


 エレノアは、ゆっくりと目を閉じた。


 一瞬。


 そして。


 開く。


「再配置を」


 言う。


「労働力として、水路整備と倉庫管理へ」


「全員は難しいかと」


「分かっています」


 短く答える。


「優先順位をつけます」


 それしかない。


 それしか、できない。


「……」


 文官は、何も言わずに頷いた。


 その表情には、疲労と。


 そして――


 どこか、諦めがあった。


 その日の夕方。


 領地の外れ。


 簡素な家の前で、一人の少女が座り込んでいた。


 年は、十歳ほど。


 服は古く、ところどころ擦り切れている。


 手には、小さな袋。


 中には、わずかなパンの欠片。


「……」


 何も言わない。


 ただ、じっとそれを見ている。


 その前に、一人の男が立っていた。


 役人だ。


「……これで最後だ」


 短く言う。


「次は、自分で働け」


 それだけ。


 それ以上はない。


 少女は、何も言わなかった。


 ただ、小さく頷いた。


 理解している。


 これは“施し”ではない。


 “最後の配分”だと。


 男は、何も言わずに去っていく。


 残されたのは、少女だけ。


「……」


 袋を握る。


 強く。


 だが、それでも。


 足りない。


 何も。


 すべてが。


 足りない。


 その様子を、少し離れた場所から見ている影があった。


「……増えてる」


 サラだった。


 静かに、呟く。


「切った分、ちゃんと出てる」


 その声には、感情がない。


 ただの確認。


 そして。


「それでも、回ってる」


 事実。


 それがすべて。


 そのとき。


「……」


 もう一つの視線があった。


 建物の影。


 そこに、エレノアが立っていた。


 何も言わない。


 何も動かない。


 ただ、見ている。


 少女の姿を。


「……」


 わずかに、指が動く。


 何かを掴もうとして。


 そして。


 止まる。


 動かない。


 動かせない。


 そのまま。


 静かに、背を向ける。


 歩き出す。


 何もなかったかのように。


 ――足りない。


 すべてを回しても。


 守っても。


 切っても。


 それでも。


 足りない。


 その現実が。


 静かに、確実に。


 積み重なっていく。

 ここまで読んでいただきありがとうございます。


 「勝ったのに、足りない」

 この感覚が、この物語の核心です。


 エレノアは確かに回しました。

 ですが同時に、

 確実に“取りこぼし”が発生しています。


 そして次話では、

 この状況に対して外部――

 カティア側が本格的に動き出します。


 ここから一気にスケールが広がりますので、

 ぜひブックマークして続きをお待ちください。

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