山肌をうねる蛇
翌朝、城輪柵を発った。
柵の外へ出ると、風の匂いが変わる。土と木の匂いに、潮の気配が混じる。目に見える景色よりも先に、身体が「中央から離れた」と理解する。
街道沿いには集落が続いていた。変わらず人が多い。多賀城の外縁より、むしろこちらの方が賑やかに見える。馬車、荷駄、担ぎ手。行き交う言葉も、訛りが混じっていて一様じゃない。
そういう僕らも、書記官、侍、軍団兵、巫女と猟師という、訳の分からない集まりに見えるだろう。瀬戸は、昨日、僕が市場で見つけた市女笠を被っている。小さな鉄鐸が付いた杖ともぴったりで、まさに旅の巫女という装いだ。
そんな瀬戸が、虫垂衣の隙間から少し顔を覗かせて、ぽつりと言った。
「……多賀城より、人がいますね」
「港があるからですね」
相原が簡単に答える。
「半島や大陸に近いですし、渤海からの船も来るようです。朝廷の目は届きにくいけど、物は集まる。そういう場所ですね」
「悪い奴が暗躍するにはもってこいの場所だな」
榊原が素直に思ったことを口にする。
「だからこそ、朝廷も監視と管理を強めたいということでしょう」
「ルリカがわざわざ都から来てるのもその一環ってことね、納得だわ」
言われてみると、往来には、どこか異国風の服装の者もいる。蝦夷もいれば、ルリカのように都からも人が来る。当然、より北にある、北海道や樺太ともつながっているのだろう。
この地は、辺境であり、統治の中心ではないものの、流通の中心地といえるのかもしれない。支配と商いが、別の論理で動いている土地。なるほど、と思う。ここは、多賀城や出羽国府の城輪柵よりも、さらに境界だった。
そして、遠くに山影が見える。
――飽海嶽。
初夏だというのに、頂上付近にはまだ白いものが残っている。雲かと思ったが、雪だ。あの高さだけ、季節が違うということだ。
港町である吹浦は、その山と海の境に広がっていた。潮の匂いが強くなる。船が見える。大小さまざまな船が、入り江に浮かび、岸では荷下ろしが行われている。
半島の言葉。大陸の言葉。聞き慣れない音が、あちこちから飛び込んでくる。
渤海の商人らしい男が、布を広げて値を叫び、傍らでは、京都風の装束を着た旅人が、場違いなほど丁寧な所作で交渉していた。
「人種のるつぼだな」
榊原が感心したように言う。
ここでは、中央の論理も、蝦夷の掟も、どちらも絶対ではない。ただ、金と力と縁が、ものを言うのだろう。そして飽海嶽は、この港のまさにランドマークになる。あの山を目指せば、この港町に自然と辿りつく。そりゃ、物も人も集まるわけだ。
山が、近い。港から少し歩くだけで、斜面が迫ってくる。その地肌には、奇妙なうねりが走っていた。僕は、思わず足を止める。
「あそこ……蛇みたいだな」
頂上より少し下、植物は薄っすら生えている程度だろうか。無数の蛇が、山肌を這い下りた痕跡。そんな印象だった。
「あれ、千蛇谷っていうらしいよ」
室田が、どこで仕入れたのか、さらっと告げる。
「溶岩が流れた跡なんだって。今から百年だか百五十年だか前だってさ」
割と最近なことなのに、僕は驚いた。
「なるほど溶岩、か」
「里まで流れ出てたら、大変なことになってだろうな」
「つまり、これを封じたから、この山の神が敬われてるわけか」
榊原が納得したように頷く。
「それだけじゃない。前回の噴火のときには、それと同時期に俘囚の乱、公式に記されている蝦夷反乱も起きている。そして、それは将門の乱とも同時期。関係があったかは確かなことはいえないけど、民衆はもちろん、朝廷にとっても、この山の怒りは、日常を揺るがす力がある」
相原が、自分たちの任務の重要さを確認するように告げる。
「もしかして、俺たちのクエスト、結構ビックなイベントか?」
「そうかもね、こりゃ当たりかも」
榊原と室田は、相変わらずのゲーム思考で、これを解釈する。
瀬戸は、何も言わなかった。ただ、山を見つめている。視線の先にあるのは、雪か、蛇か、それとも別のものか。僕には分からなかった。
吹浦口の大物忌神社は、港と山の境目にあった。
鳥居の手前で、空気が変わる。潮の匂いが薄れ、代わりに、焚かれた香の匂いが鼻を刺す。
そのときだった。
目の前の鳥居を塞ぐようにして、10数人の男が歩み寄ってくる。服装はばらばらだが、武装している。そして、共通して目が据わっていた。
蝦夷だ。
無言のまま、距離を詰められる。榊原が、すぐに前に出た。
「何の用だ」
男の一人が、低い声で言った。
「……その者だ」
指が向けられたのは、僕だった。
榊原が一瞬、動きを止める。
「多賀城で放火した」
「反逆者として、指名手配されている」
「そいつのせいで、俺たち俘囚に疑いがかかる」
責める言葉が続く。
――空気が凍る。
榊原は刀の束に手を掛けた。室田も構えて相原の前に出た。ただ、それ以上は動かなかった。彼らは、多賀城の軍人であり、官吏であるが、調査に来ただけであって、現地の豪族と事を構えるつもりはさらさらないはずだ。一線を越えるならば、それなりの理由と覚悟が必要だった。
さらに、別の男が瀬戸の方へも回り込む。瀬戸は戦闘職ではない。こう露骨に囲まれると為す術がない。
僕は、状況を理解した。ここで抵抗しても、誰も得をしない。
「……分かった」
そう言って、僕は腰にある山刀を鞘ごと抜き、榊原に手渡す。それから一歩、前に出た。観念した、というより、覚悟を決めたに近い。
背後で、瀬戸が何か言いかけた気配がした。ただ、僕は振り返らなかった。




