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平安京エイリアンズ~彼女の独身垢によって裸にされた感情、さえも  作者: 岬口大鴉
【十日目】

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近衛恒一の仕事

 九日目は、騒ぎはなかった。むしろ、静かすぎた。近衛恒一は、ログイン後に目を覚ました、仮の宿の梁に雨音が乗るのを聞きながら、前日の自分の動きを頭の中で反芻していた。


 派手な戦闘もない。大きなイベントもない。だが、九日目に積んだものは、十日目以降の骨格になる――俺はそう確信していた。

 すべての転機は、平貞盛に目をかけられた瞬間に始まった。

 貞盛は、豪奢な言葉で人を縛る男ではない。褒めもしない。励ましもしない。ただ、役目を渡す。そしてそれは、そのまま格になる。


――馬を揃えろ。


 命令というより、任務の授与だった。馬はただの移動手段ではない。兵站であり、軍威であり、領主の顔だ。そしてそれが、朝廷に届く。

 貞盛が求めたのは数ではない。質だった。「最高の馬」を用意すること。天皇に献上するに足る一頭を――それが至上命題だった。

 俺は、その重みを物語としてではなく、制度として理解した。馬を献じることは、忠誠の証明であると同時に、貞盛自身の力量の証明になる。優れた馬を揃えられる領主は、優れた支配者だ。支配が強いからこそ、馬が集まる。馬が集まるからこそ、支配が強まる。その循環の中心に、献上がある。

 そして秋。京都には、全国の馬産地から馬が集まる場がある。


――駒牽。


 まさに格付けの儀礼だ。

 この目利きと序列の舞台は、貞盛にとって、負けられない場所だ。朝廷の目が集まり、同時に、敵も味方も、誰が力を持っているかを量りにくる。勝てば権威が増し、負ければ足元が揺らぐ。献上する一頭を欠いた瞬間に、貞盛の統治は疑いに変わりうる。

 俺は、そこでようやく理解した。この任務は、馬を揃える話じゃない。貞盛の勝ち筋を作る話だと。


 だから、九日目、俺は戦わなかった。無駄に走り回らなかった。整えることに専念した。

 藤巻と国分を連れて、まずは蝦夷の馬筋を押さえた。山奥の生産地は、噂と血縁と恐れで回っている。命令書一枚では動かない。

 俺も、言葉を選んだ。威圧せず、へりくだらず、ただ条件を並べる。協力すれば、保護する。裏切れば、切り捨てる。だが切り捨てるのは感情ではなく、仕組みにおいてだ。

 通じたのは、権威だった。


 騒速の剣――ソハヤノツルキは、腰にあるだけで充分だった。抜かない。抜けば減る。刃は消耗し、いざという時の切り札が、ただの実績に変わってしまう。

 当然、こんなところでは抜かなかった。代わりに、気づかせることに使った。貴族たちがこの剣の意味に気づかぬはずがないように、俘囚の豪族もまた、気づく。剣そのものではなく、剣を抜かずに保持できる立場に。


――こいつは、坂上将軍と同列の存在であり、争うためではなく、交渉に来ている。と。


 その理解が生まれた瞬間、豪族の態度が変わる。懐柔ではない。取り込まれたのでもない。合理の結果として、俺の管理下に入ってくる。

 馬の話は、早い。馬は嘘をつかないからだ。血統、脚、体格、気性。見ればわかる。触ればわかる。そして見られる側もまた、見ている。

 俺は一頭ずつ、名と由来を記録させた。藤巻に言わせる。国分に足を運ばせる。自分は前に出ない。それでも、中心にいる。整えるとは、こういうことだ。


 九日目の夜。その報告チェックが一段落したあと、近衛は別のログを開いた。


――瀬戸澄佳。


 俺は、彼女の動きを追っていた。あの火事未満の騒ぎから、瀬戸はずっと「巫女」としての筋を保っている。その筋が崩れる瞬間が危険だ。崩れるのは、強い刺激が入ったとき。つまり――満足燈彦がそばにいる時だ。

 藤巻は、瀬戸と満足の動向について簡単な報告を寄越した。

 俺はそれを読みながら、内心で頷く。


……概ね合っている。


 だが、藤巻の報告にない部分も、俺はすでに知っていた。

 瀬戸と満足は、また距離を縮めた。それは報告書の文面ではなく、映像として俺の中に残っている。参道を歩く速さ。言葉を選ぶ間。視線が、ほんの一瞬だけ満足の方へ流れる癖。巫女装束の袖が揺れた角度まで、把握していた。

 表面的には、雑談だ。同行だ。情報収集だ。だが、関係性というものは、名付けられる前に固定される。俺はそれを知っている。


 だから三人を混ぜた。榊原、相原、室田。

 結果は、半分は目論見通りで、半分は外れた。

 メリットは明確だった。閉じた二人に、外気が入る。判断が分散する。世界が二人のものになりにくい。

 だがデメリットも出た。瀬戸は、同じ価値観、同じ目線でものを見ている人、それは貴重な存在だと認識し始めている。後から来た三人が見ているものと、自分が見ているものはあまりにも違った。ただ、満足だけは近い目線で見ている。これが、二人の距離感を縮めた要因だろう。

 ただ、こちらで管理できないこともない。満足の迷いが、集団の中で目立ち始めた。迷いは倫理の証明でもあるが、同時に脆さでもある。

 その脆さは、利用することもできる。京崎ルリカのような外部の強い意思が来れば、なおさらだ。


 だから、準備をする。

 榊原たちは、多賀城から追加命令を出せば動く。強制ではない。だが、方向づけはできる。「調査」も「護衛」も「補給」も、名目はいくらでもつくれる。俺の手は、届く。


……いい状況を作る。


 そのために必要な情報は、すでに揃っている。瀬戸の行動、判断の癖、巫力の消耗のタイミング。本人が意識していない部分ほど、管理には価値がある。

 俺は、これを監視とは呼ばない。整えるために把握しているだけだ。それが俺の仕事だ。守るためでも、支配するためでもない。破綻しない形に整えるためだ。


 雨が強くなった。海が荒れれば、船は出ない。出ないなら、整える時間が増える。

 俺は、腰の剣に触れた。鞘越しの冷たさが、妙に現実的だった。

 まだ抜かない。抜くのは、最後だ。その最後に、剣がただの武器ではなく、決定打になるように。


 やることは山ほどある。管理の力を高める。そのための身分と出世を固める。そのための馬を揃える。そして、その上で――瀬戸と満足の距離が、取り返しのつかない形に固まる前に、盤面を整える。

 俺は、雨音の向こうに京都を見ていた。


……八月。駒牽。天皇に献上する最高の馬。


 その舞台に立つために、今はまだ、牙を研ぐだけでいい。




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