スーパーお腐れ発言をします
腐った発言マンします。
例えばずっと前を向いて歩いていたとして、這いつくばってでも月明かりを目指していたとして。何もない荒野に一人、立ち尽くしたとして。いつか必ず限界は来るだろうという事はずっと前に気付いていて、けれどそれに気付かない振りをしていたのは、まだ折れちゃ駄目だよってどこかから聞こえた気がしたからだ。それは自分の脳内で発した言葉なのかもしれない。それとも何もないと思えて何かを持っていたのかもしれない。誰かに希望を抱いていたのかもしれない。まあ過ぎた事だから分からんけども。
トルストイが言っていたけど、愛は人生に没我を教える。それゆえに愛は人間を苦しみから救う。ってこれは戻る話だからだ。与えた愛がトルストイ自身に返って来たからそれを言えただけ。それがどれほどの奇跡で作られていたのか、彼は知っているだろうか。
それ以上にゴッホの方が好きなのだ。当た陽とばかりして、貰おうとしなかった。なんと愚かな間違った誇張された、高慢な短気な恋愛ではなかったか。ただ相手に与えるだけではない。相手からも貰わなくては。でもこれって、貰える確率をゴッホ先輩は考えていたのだろうか。いや、多分貰えなかったから耳切り落として自殺したんだろうな、よく分かるよ、僕結構君の考えが読めるし自分が同じ立場だったら耳は切り落とさないけれど同じ事をすると思うよ。だからなりたくないんだよなあなんて。くだらない事を思う。
あまりの疲弊っぷりに職場の方に大丈夫か?と問われた事がある。一度ではなく何十回も。ただ大丈夫だった頃の自分がどんな感じだったのか分からなくなってしまったから、多分大丈夫じゃないですか?って笑った。でも最近笑って返すのも疲れて来たから、いや何か心配かけてごめんなさいって思う。
一人で月明かりを見ているだけで良かったのに、相も変わらず僕は学習能力がないので一人がとても怖いのを知っているから二人以上になろうとする。そう、もう充分一人を味わったから。芸術が没我を与えるなら愛は間違いなく人生を狂わせて人を殺すだろう。
最早何でこんなに腐ってるのか分からないし原因すら思い出せないんだけど、たった一つだけ小さな理由は憶えている。沢山ある中の小さな一つ。色々考えたんだけど、月は綺麗だけど遠いのだ。返って来ないのに想い続けるほど、僕も多分ほとんどの人類も聖人ではないし、もしそれが出来るならそいつは間違いなく歴史に名前を遺す。絶対遺る。違いない。
変わらないのにもう何を言っても意味のない言葉だろうなと思って口を閉じる。今更言っても遅いし、ていうか最初から遅かったのだろうとも思う。小説でよく見るどんでん返しは、実際の人生で起きないのだ。選んだつもりが何も選んでなかったんだろうなあとか、もうちょっと自分が素直でいい子だったらなあなんて色々な事を考えるんだけど、素直でいい子は小説家なんてなれません。これに関しては確証です。屈折してるからここにいて、多かれ少なかれ芸術の神様に愛されたからここにいるのだ。僕多分とてつもなく少ないけど。
ただ、変わらない事だけが一つだけあって。人生が報われようが報われまいが、僕はいつかの君に何十回だって何百回だって向き合うつもりなのだ。その先に何もなかったとしても。僕が先に全てを忘れて死なない限り、それだけは守る予定なのだ。まあぶっちゃけ僕は今すぐここ一年くらいの記憶をなくしたいのだけれど、誠に遺憾ながら心身共にしぶといというか何というかなので、それは起きてくれないだろう。
さて、僕の人生がまだ見れる物だった頃、終わりは海外の海沿い高台ハンモックに揺られながら午後一時過ぎに昼寝をしてそのまま二度と目が覚めない。そんな終わり方が良かった。夜明けを見る事もなく、トワイライトなんて夢のまた夢、そんな良く晴れた日に終わりたかった。
最近の僕はもうエブリデイ布団に入ってこのまま寝たら終わってくれればいいのになと思う。(真似しないでください)事故に遭ったら仕事行かなくて済むなとか、全部を忘れたら芸術から足を洗えるなとか、優衣羽としてではなく、会社員の自分としてでもなく、ただの一人の人間として自分が一番幸せになる選択を出来るだろうかと思った。相手の気持ちなんて考えず好きだって言ってみたり、責任なんか何もなく好きな事していつか沢山回り道をしてもう一度、書きたいと思える日が来たら書けばいい。それが何年でも何十年でも構わないって、ある人に言われて涙が出た。最低最悪の誕生日、電車に座りながらその画面を見て涙していた。
そうしたいなあと思ったのだ。書くのは好き。とても好き。息をするのと同じくらい生活に息づいた。でも評価されるのは嫌い。指を差されるのも、比べられるのも、何より自分自身がそう思ってしまうのが嫌で仕方ない。人生のほとんどを比べられて育って来たので、どうしても人を見て自分がずっと劣っていると思ってしまうのだ。何をしても何を見ても。どうやったらその考え方は無くなるかなと考えたのだけれど、多分全肯定マシーンでも隣にいない限り無理だわ。無理でーす。
だから書いて書き続けて、ねえこれは誰のためのもの?ってなるのだ。自分のためのもの?誰かのためのもの?自分を救うために書いたもの?たった一人に向けて書いたもの?もし自分を救うために書いたものなら馬鹿げてる。だってそれに苦しめられて死にたいと思うんだろって。馬鹿ですねえ売れてえ。
売れてえって思うのは有名になりたいからじゃなくて、自分に自信を持って心に余裕が欲しいからだ。別に金欠なわけでもないし、ていうか同期の中では随分持っている方だと思うけれど、もうずっと昔から気づいている。本当に欲しいものは全部、お金で買えないのだと。何一つ買えないから、せめて金銭だけは持っていれば虚しいと思った日にいつでもどこかに消えられるから。本当に、それだけのために売れたい。何か崇高なる意志とかない。ただ、沢山稼げたら誰かが幸せになるためにお金を使いたいのだ。きっと一生涯その対象に自分は入らない。何かよく分からんけど入らない。
そして死んだ日には皆の記憶から消えたいのだ。生きた痕跡全部消えればいい。死んでから価値が出る作品なんていらないし、ていうか死なないと脚色されない物語は作品の価値ではなく周りが一時的にもてはやしただけの芸術でも何でもない何かだよ。そんなものはいらないからやっぱり消えたいなあと思うのだ。遠くに、ずっと遠くに。痕跡全てを消して。
それでも最後に迎えに来てしまった誰かがいるのなら、そこでようやく全てが報われるのではないだろうか。なんて馬鹿げた空想をしながら。




