神頼み
神様なんていないと言った。僕はまだそれを信じていたい。
死ぬほど忙しい日々が終わったと思ったら、今度は責任を負う立場になる。忙しさは止まる事を知らず、今日も今日とて走り続けている。きっとそのうち電池が切れる日が来る。でもまだそれが見えないだけだ。そうならない日を心から願っているのだけれど、多分遠くない未来に叶ってしまうだろうと思った。
朝起きてふと、神様に会いに行こうと思った。明日の朝、いつもより早く起きたら。陽の光が優しかったら。足の調子が良かったら。すべての条件が揃ったわけでもないけれど、揃わなかったわけでもない。ただ何となく。今行かないと心が死ぬと思った。今、見えない何かに一瞬でも縋らないといけないと思った。
だから一人で行こうと思った。けれど何だかラッキーな事に足をゲットした。車の中は快適で、でも考えるのは仕事の事ばかりで、動画を撮っては使えるか否かを判断し、本当の意味で何も考えない日はもう来ないと知った。随分と勤勉になったものである。一年前の僕に教えてあげたいくらいだ。君は思っていたよりも体力があって、精神力があって、他人に何かを言われても心は崩れないと。君は変わらず君自身だけを信じていると。どれだけ周りが豊かになっても、そこだけは変わらないのだと。ただ、何となく。いもしない、会った事もない神様をたまに信じたくなると。
変わらずに。
散々物語の中で神様なんていないと言った。この先も変わらずその言葉を言う。けれど信じるか信じないかは本人次第だ。僕もいないと思ってる。でもそれでも、願掛けしたくなるのは、辛い現実から一瞬でも目を背けたいからなのだろう。涙を流したくなるような衝動を、少しでも軽減させたいからなのだろう。そして必ず言うのだ。今から叶えに行くから見ていてくれと。僕は神様に会いに行ってるのではなく、自分自身の決意表明のために行っているのだと思った。どれだけ落ち込んで前を向けなくなったとしても、これだけは変わるなと言って心に言い聞かせるのだろう。全てが終わる瞬間まで、忘れずにいろと。
忙しい毎日はいつかの幸せに繋がると誰かは言った。けれどその日を待ち侘びるのが辛いのも人間だ。時間は一瞬だ。でも、一日一日は心を殺していく。沢山降りかかってくるものを、避ける事も、目を閉じてそのままにする事も出来ず、両手を使って全て受け止めなくてはいけない日々だ。ずっとずっと。誰かが少しでも受け止めてくれればいい。でもそんな人間が一生涯現れない事を知っている。それだけは変わらずに理解している。だから手を広げる。ああ、これ全部受け止めてこなした後、生きていればいいななんて思いながら。
人は他人の感情なんてどうでもいい。自分さえよければいいのが人間だ。隣に座った人が何を抱えてどれだけ苦しんでいたとしてもどうだっていいのだ。どれだけ近くにいてくれてもずっと変わらずに受け止めてはくれない事を知っている。だから、どこか遠くに行って自分を知らない人たちの中に溶け込んで消えてしまいたいと何百回だって思う。それでも何かを変える力を手にしてしまったのなら、何も言わず笑って矢面に立つのだろう。
八月最終日、ある種の始まりと終わり。朝の予報を見たくせに傘を持って行かなかった。降らなければいいと言いながら、降った所で濡れて帰ればいいと思った。ただ、雨の中を歩きたいと思った。びしょ濡れになって帰路につきたいと思った。その心理は天に届いた。僕はびしょ濡れになって帰った。
これまでの人生で印象的だった雨の日は沢山あるけれど、一番に思い出すものがある。真っ暗な空はあの日と酷似していて、マンホールに足を滑らせ転びそうになっては立て直す。不意に、マスクの中で苦笑してしまった。変わらずに思い出す一瞬はまだ僕の心に生き続けている。忘れたと思った頃に現れて、変わらない姿で美しいまま止まり続ける。濡れながら帰る中、何だか不意に目頭が熱くなった。どうしてかは分からないけれど、ただ今が過去を塗り替えろと思った。そんな事無理だって分かってるのに、変わらないまま溢れ出しそうになる想いを堪えた。人間に会いたくなくなった。
書く事もしたくなくなって、平凡な人生を選びたかったとだけ思った。もう遅いし、何なら生まれながらそれは難しかったのだけれど、それでも。天から降り注ぐ雫が愛であればいいと思った。誰かに向けて惜しみなく降り注ぐ愛であればいいと思った。それが、自分に向かって降り注ぐものであればいいと思った。
今が思い出になるまでどのくらいかかるだろう。過去を思い出せなくなるまでどのくらいかかるだろう。これ以上苦しくなりたくないから、どうか一瞬が積み重なって今の自分が温かな慈愛に包まれますようにと願った。
祈りはまだ、届きそうにもない。




