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三秒前と、お別れしよう  作者: 優衣羽
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手を広げて落ちて


あなたがたがしあわせになりますように。そしてあなたのことを永遠に忘れられないだれかのことは、どうか忘れてください




ハンス・クリスチャン・アンデルセンを知っているだろうか。アンデルセン童話の作者であり、人魚姫やマッチ売りの少女などを書いた作者だ。僕はこの人の事を常人よりかは知っているのだけれど、彼の作品の中には幸せな結末で終わる作品だってあるのに、それでも悲劇的な話の方が後世に残り続けるのは、きっと彼の人間性が滲み出たからなのだろう。


子供の頃、よく行っていた小児科に置かれていた人魚姫の話は最後、泡になって消えていた。現代のご都合主義ハッピーエンドなんてどこにもなくて、僕は泡になって消える結末を愛した。大学生になって、消えた後の小さなエピローグがあったと知った時は驚いたけれど、多分あのエピローグは救済措置だろう。子供の頃から悲劇的な結末を愛した。否、悲劇的ではなく一番美しい終わり方を愛した。泡になって消えるからこそ美しいのであって、あそこで王子を刺してしまったり、王子の彼女を刺し殺していたらそれは美しくなかっただろう。全てを打ち明けて消える結末も、きっと美しくなかったはずだ。何も言わずに泡になったから、だからこそ美しいのだと僕はいつまでも言う。


でも人間には泡になって消える結末よりも、もう少し強かな方がいいだろう。人は自分の欲を叶えるために非道な手を使って醜く足掻く生き物だから、足掻いた方が自分にはいいと思う。僕はあんまりしようとしないけれど。


さよならが目に見えたら、それこそ泡になるように、煙のように消える結末を望む。足掻いて傷つくのはもう疲れたし、充分過ぎた。足掻けるのは元気のある人間だけだし、何なら絶望を味わわず希望を信じて疑わないある種のお馬鹿さんだけだろう。そうはなれないから今ここにいて、波にさらわれ薄れゆく後悔に、まだここにいてくれとしがみついている。そんな僕もほどほどにお馬鹿さん。


冒頭に書いた一文は、アンデルセンが愛しい人に綴った愛の言葉らしい。僕はこれを見て、ああ、やっぱりどれだけ混同して欲しくないと願っても、作品と本人は比例してしまうのだと思った。だって書いているのは僕らだ。そりゃあ作品に考えは反映されるよ。こんなにも馬鹿みたいに美しくて切なくて共感できる言葉、世の中には中々ない。人生は芸術を模倣するように、好きになった芸術が僕らの考え方になるのだと知る。


愛は無償かという話を友人としたことがある。振舞って見返りを求めてしまったら、それは無償ではないのだろうという結論に至った。結局、無償の愛なんてどこにも無いと思った。愛して欲しいから愛して、返して欲しいから渡して。それの繰り返しだ。世の中需要と供給で成り立っている。イエスキリストだって、異教徒に無償の愛を振舞うほどの存在じゃない。もしそうだったら、救いなんてどこにもないし、この世の人間全てが同じ宗教を信仰していただろう。そうでないから今がある。



忘れて欲しいと願うのは酷だろうか。勝手に愛しているけれど、記憶に残らなくてもいいと思うのは酷い話だろうか。例えこちらを見ずともいい。君がどこかで勝手に幸せになっていてくれればそれでいい。けれど君が幸せでないのなら、そのために僕は手を差し伸べよう。君を生涯幸せにしてくれる人の元まで連れて行ってあげようと思うのは、酷い話か。僕の手を取って欲しいという気持ちは一ミリくらい入っているのだけれど、別に僕じゃなくてもいいのだ。君が幸せになれるのなら、その選択肢の中に僕がいるだけでそこを選ばせなくてもいいと思うのだ。この世界に誰か一人の人生を幸せに出来る人などどのくらいいるだろうか。って僕は思ってしまう。


いつか月明かりじゃなくてスポットライトの下に出た時、僕は手を広げてその舞台から飛び降りてやりたいのだ。望んでいたのはこれじゃないと言って、笑いながら世界から消えてやりたい。最近色々な人から期待されて、職場でも大きな期待を背負っているのだけれど、それは勿論嬉しい限りですが僕は期待をかけて欲しくてここにいるわけじゃないとどこかで思ってしまう。期待されない人間より、される方がよっぽどいいし、それに応えられるだけの存在でありたいと願うから日々積み重ねていくのだけれど、別に期待かけられるの好きじゃないんだよなあと思う。


これまでの人生でかけられた期待には応えられる限り応えてきた。辛くて消えてしまいたいと泣いても、一人で立つしかなかったから立ち上がって笑って手を伸ばした。そうやって生きて来て今があるから、僕は僕のこれまでを否定する気はない。ていうかこれからもそうするから否定出来ない。でもちょっと疲れた感は否めない。


元々ふらふらと一人でどこかに行きたい質なので、余計な責任なんて負わずに足を放り投げて浅瀬に座っていたいのだ。だけど悲しきかな。まだまだそんな事させてくれないようです。一生涯出来ないかもね。


話は逸れたけど、アンデルセンの考えは大いに頷けるのだ。この愛の言葉が誰かに取って、自己犠牲が過ぎるとか、そんなの自己満足だと言われても、そもそも愛なんて自己満足だろって僕は言うだろう。


だから、僕らは確証が欲しいのだと思う。絶対を信じて疑わない人もいるかもしれないが、僕は絶対を信じない。信じられなくなった。永遠なんてものは存在しないし、無償の愛はどこにもない。だからこそ皆、この人となら絶対を信じられるのではないかと考えるのだ。誰かと一緒にいようとして、失敗して傷ついて、それでもまた誰かと一緒にいようとする。傷つくのを恐れていたら何一つ前には進めない。何一つ変えられない。けれど、誰かの幸せを願う事は出来るだろう。


僕は僕の大切な人たちの幸せを曇りのない瞳で祈り続けるだろう。自分の幸せは別にどうでもいい。耐えられなくなったら全部放り出して好き勝手やりに行くし、今が全てだと思っているから現状で満足しているのだ。それでも、そんなんじゃ駄目だと言って誰かが頭上から幸せを降り注いでくれるのなら、甘んじてそれを受けようと思う。僕はいつだって僕自身の事はどうでもいいのだ。昔から変わらずに。


傲慢になるのも嫌で、ただ一人、狭い部屋の片隅で誰とも接せず空想していられる環境があるのならそれで充分だ。



だから、この手を引く人はとてつもなく大変だなと他人事のように思う。

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