意志は強固、願望は絵空事
半期に一回くらいの確率で恋したくなるのは何でだろうね
一年が十二か月で、半年が六か月。今年が始まってもう五か月が経ってしまったのですが、僕は変わったでしょうか。
本質は変わらないけど、僕を取り囲む環境は変わった気がします。本を出したことにより、少ないながらもファンの方が出来て、ネット上で誰かと話す機会が増えました。正直、考えられなかったことです。嬉しい反面、皆の貴重な時間を僕で割いていいのかな?とも思ってます。気ままに構ってくれると嬉しいです。
現実と向き合わなくてはいけないことが増えて、夢を見てるだけでは何も出来ないことを知りました。去年までは考えなくても良かったことを考えて、一年後二年後三年後、その先の未来でどうなっていたいか考えて選択しなければならないことが増えました。正直、今言われても分からんと思うけど、いざその歳になってこの選択を振り返った時、後悔しないようにという意味で選ばなくてはいけないのも分かってる。だからこそしんどいのかなとも思ってます。
ところで今日一日中右眉毛の筋肉が痙攣するんだけど何?
そんな話はさておき。半年に一回くらいの確率で恋愛がしたくなるのは何でだろう。今僕そのシーズンに突入したんだけど、これは多分変わらない日常や上手く出来ないことばかりが増えて環境を変えたくて思うんだと勝手に解釈してる。何一つ生産性のない毎日を送るほど辛いものはない。
新作を投稿し始めるとそうなんだけど、やっぱり一からそのフィールドで戦わなくちゃいけないから前回みたいに上手くはいかない。名声を得るのはいつだって時間を経てからだ。けれど一度味わってしまった快感は、中々身体から離れない。僕の最高潮は365がネット上で少し脚光を浴びた時だから、どうしてもそれと比べてしまうんだと思う。致し方ないことだけど、そんな自分が嫌になる。
何もない荒地で大地を耕した先人たちの気分だ。そうやって今がある。けれどそれを何度もやれるかと言われたら中々しんどいものがある。裸のまま飛び込む瞬間がどれだけ怖いのかを知っているからこそ。しかし、飛び込まなくては次がないのも知っているから飛び込むのだ。それしか出来ることがないから。
例えば。365が有名な小説家の処女作のように爆発的に売れたなら話は変わっていただろう。次の話なんて気にも留めないほどに忙しくなるはずだ。しかし、そうならないのは環境と運と実力が備わってないからだ。
いや、売れてはいるんですよ。今日も3刷目の見本誌が来たくらいには。ありがたいんだけどね。
自分が売れないのは誰かのせいだとか言う人もいる。例えば出版社のせいとか、本屋さんのせいとか、営業のせいとか。色々言っている所を見てきた。確かに、そう思う気持ちもなくはない。でも僕はそれ以上に、自分の実力不足であると思っている。
誰だって書ける物語はいらないんだ。僕にしか書けない物語を作り出さなくてはいけなかったのに、有り触れたお話だと沢山の場面で目にした。ありがちなタイトル。有り触れた終わり。僕は何も言い返せなかった。だってあの本は僕のシナスタジアがなかったら陽の目を浴びてなかっただろうから。
才能、その才能を有り触れたものにしないための努力、実力、運。有り触れたっていう言葉を見る度にまだ足りない、まだ駄目だ、まだ、もっとと思ってしまう僕は相変わらず自分に自信がなくて貪欲である。その貪欲さが良い方向に向けばいいんだけど、今の所向きそうにないからちょっと困ってる。
口で言うなら簡単だ。願望は口に出した方が叶いやすいと言うが、口に出すことでチャンスを作り出し周りの人に知ってもらうことで逃げられない状況にするからこそ叶うのだ。いや、叶えようと必死になるのだ。つまり本当にただ言っているだけでは何も叶えられないということ。
歩き出さなければ何も変わらないように、小さな世界にいれば傷つかないのと同じように。結局僕らは怖がりだから、簡単に挑むことが出来ない。何事も簡単に挑めるやつは多分失敗を知らないやつだ。努力は必ず叶うと信じてやまなかったやつだ。でも、僕はそうじゃない。
相も変わらず口にするけど、努力は必ずしも叶うわけではない。頑張った分だけ返ってくるなんて嘘だ。人を愛しただけ人から愛を貰えるわけではないように。そんなに皆が叶ってたらこの世界はフリーランスの人たちで溢れかえっているし、皆が皆幸福でいられただろう。好きな仕事で生活出来る喜びは、運命の人と出会い結ばれた時と匹敵する。
その努力を誰かが見てくれて救ってくれるなんて体のいい嘘だ。現実にはそんなラッキーありはしない。そもそも、そのラッキーを手にした所で君は才のある人だったんだ。
だからいつも言ってるように、僕は皆に綺麗事を言いたくないし頑張ろうなんて言葉で誰かを苦しめたくもない。辛い時、悲しい時、頑張ろうよ!と言われたらそいつの事をぶち殺してやりたくなる。お前は僕じゃないだろ、僕の立場に立って、同じ悲しみを手にしてからそんな事言え!って。
結局、努力が必ず叶うとは限らないと知っていても、僕は歩き続けるのは自己満足なんだ。いつ辞めてもいい。本を一冊出しただけで終わりの人生でも良いだろう。誰も文句は言わない。けれど、僕が嫌だ。僕が諦められない。僕が蜘蛛の糸を掴みたい。他を倒してでも、どんな手を使っても、最後に立っているのは僕でありたい。数多の死体の上でボロボロになりながらも旗を掲げるのは僕でありたい。それだけの理由なんだ。
ただ、僕が満足しないから。誰に共有するわけでもない。醜い、愚かだと言われても構わない。努力する意味なんてそれだけでいい。人は人、君は君、僕は僕だ。理由を一緒にしようとする所が間違っている。
君の綺麗な努力も、僕の這いつくばった努力も、結局は変わらないんだ。
だから、人生後何年生きられるか分からないけど。僕は自ら命を絶つようなことはしないし、最後まで抗ってから死ぬだろう。愚か者だと嘲笑われても、そんなものは関係ない。僕が僕のためにする抵抗だ。現実に絶望しようと人間に諦めを抱こうとも僕だけは変わらない。意志は僕を作り出すたった一つの理由だから。
君が今取り組んでいることが無駄だと言われようと。他人の言葉なんて気にせず続けてくれ。君が満足していたらそれでいいんだ。




