無駄になった夜と無駄にしたくない思い
無駄になった夜を無駄にしないかは自分次第だ
今日も今日とて色々あって、沢山の想いが巡る中ちょっといいこともあって、そんな日々を過ごしてます。こんばんは。君の日常が辛くないものであることを願います。
最近Wasted Nightを聞いているのだけど、この歌がとてもとても好きだったりします。
直訳は無駄になった夜。僕は直訳を見た時、どうして共感するのか納得してしまった。だって僕にも沢山あったから、無駄になった沢山の夜が。きっと君にもあったはずだ。無駄になった沢山の夜が。
僕は結構前から言っているけど、どんなに悲しいことがあっても辛いことがあっても、人生に絶望しても。残念なことに夜は明けてしまう。僕らは夜の間でしか生きていられない。悲しみは太陽が昇ると共に厄介な心残りになる。本当に悲しんでいられるのは、絶望できるのは夜の間だけだ。
夜の間だけ僕らは真に孤独になることが出来る。孤独でいられる間だけ、自らと対峙することが出来る。しかし同時に、前に進むことが出来なくなる。孤独の悲しみは何かを失った時と同義である。僕はそう思ってる。
どれだけ悲しみに浸っても夜が明けてしまえばいつもの日常だ。まだ絶望していたい。一日で立ち直れる悲しみは絶望じゃない。悲しみに浸るたび夜が無駄にされていく。立ち止まる夜があるたび、絶望に打ちひしがれるたび夜が無駄になっていく。
そうやって沢山の思いと夜が無駄になった。止まってはいけないとは思わない。けれど、どれだけ頑張っても越えられない壁が存在するのは事実だし、僕らが特別な人間でないことも事実だ。僕らが想像する大半のことはすでに誰かが形にしているし、僕らが越えられない壁を乗り越えていく人が選ばれた人間であることも分かっている。
でも僕は。泣き叫び絶望に打ちひしがれ月に願った夜を無駄にはしたくない。越えられない壁を知って、努力が実らないことを知って大人になった。でも、反抗したいくつもの夜を無駄にしたくない。だから朝日と共に歩き出す。夜明けはある意味、僕らにとってのパレードだ。現実を知って反抗して、それでも立ち向かうために狂ったふりをして歩き出す僕らのパレードだ。
夜が無駄になるかは君次第だ。嘆き悲しみ苦しんだ夜が、夜明けと共に無駄になるかは朝日が昇った後の君の行動に委ねられる。僕は無駄にしたくない。だって嘆き悲しみ反抗した夜も僕の一部だ。綺麗ごとばっかりの世界に立ち向かい絶望した真実を有り触れた言葉で終わらせたくない。
そうして生まれた物語が、今君たちの手元に届いていて、そうして生まれた物語が、今僕を形作っている。
絶望して何が悪い。悲しんで何が悪い。現実に反抗して何が悪い。僕らは聖人でもない、ただの汚い生命体なんだ。あがいて苦しんでそれでも幸せに手を伸ばす選択を出来るのが僕らだろう。その幸せがどのような結果であれ、僕らが選んだ結末だ。僕らが責任を持つだけだ。
質問箱に返事をして三秒前に書いている僕を見れば分かるけど、僕別に明るい人間じゃないし綺麗ごと大嫌いだし、差別的思考も嫌いだし、何だったら人が人として多様性を認められない考えを持つ人を見ると反吐が出る。努力は必ず叶うなんてテレビで誰かが言えば、馬鹿なんじゃないかな?と思うし、誰かの死が美しく切ないものだったと言われたら、君はそいつを知らないくせに何語ってんだバーカって思う。そういう人間だ。
でも、そういう人間だからこそ。僕は皆に嘘をつきたくないし、誠実でありたい。頑張れば出来るなんて言いたくないし、それで批判を食らおうともお構いなしに言うだろう。だって君に生きていてほしいから。人生の八割が上手くいかないことも、身を持って体験中だ。学歴社会なことも、差別的な視線があることも体感済みだ。
優衣羽の僕も現実の僕も、言っていることは変わらないけれど、大勢に届くか届かないかには差がある。現実の僕がいくら声を上げても、多くの人には届かないだろう。だって僕、頭悪いから。君たちの言葉でいう、人生負け組だから。負け犬の遠吠えとして片づけられるのがオチである。でも、優衣羽の僕は違う。その特異性から語ってもいいようになった。多くの人に届くようになった。人それぞれ考え方があるから、同意できるか否かは分かれるだろう。まあでも僕皆に愛されたいわけじゃないし、愛されないのも分かってるから構わないんだけど。
僕は僕が救える範囲の人間を文字で救いたい。世界中にいるシナスタジアのヒトモドキたちも。別に何かしらの差があるわけでもないのに批判を食らう人たちも。後ろ指を差されて辛い思いをした人たちも、特に何かあるわけでもないけど特に何かないからこそ人生に悲観してしまった人たちも。僕が救える範囲でいい。無理はしない。でも手を伸ばしたい。僕が手を伸ばしてほしかったから。
ただのエゴだ。無駄になった夜を無駄にさせたくないだけの、自己満足。そう言われても構わない。だって僕もそう思う。結局思いを伝えようと書き綴っても、最後には綺麗ごとだと言われてしまうだろうから。
手を伸ばして欲しかった時、その先には誰もいなかったことがある。「皆が皆傷ついて同じ思いをしている」「君だけじゃない」と言われたことがある。違うんだな、そうじゃないんだな。僕が欲しかったのはそんな言葉じゃない。大体、悲しみの重さなんて人それぞれだ。比べる事自体間違ってる。皆が傷ついているのも知っている。僕だけじゃないのも知っている。でも、今傷ついているのは僕だ。君の目の前で、翼の折れた鳥のように横たわっているのは僕なんだ。他の奴の話なんかするなと思ったこともある。まあ、そういう所あるよね。同意はしなくてもいいよ。
だからこそ、僕は極力同じ回答をしたくはない。君の悲しみは君だけのものだ。僕にも分からない思いの集合体だ。僕と比べたくもないし君を他者とも比べたくない。君にしか分からない思いがあって、君にしか訪れなかった夜がある。
全員に、手を差し伸べることは無理だろう。だから僕はここで書き続ける。空想を描くのと同じように、失っていく色彩を取り戻すように、僕はここで三秒後の君が幸せになることを願って書き続ける。その夜が無駄にならないことを願って書き続ける。伸ばされた手を掴めるように書き続ける。理由は単純だ。僕がそうしたいから。そうして欲しかったから。
君の悲しみに寄り添う事は出来ないけれど、共に朝を迎える準備をすることは出来る。だから絶望して苦しんでも、夜明けを信じてくれ。月明かりを頼りに歩いてくれ。太陽は必ず昇る。暮れたらきっと次の夜は輝いているはずだ。




