その気持ちも伸ばされた手も全部君が選ぶんだ
君の手を取るだろう
人には向き不向きがあって、残念ながらそれを理解出来ていない人間が世に蔓延っているのは事実だ。自分が出来ないくせに人に押し付ける人だっている。何が言いたいって、僕は随分昔から人間に絶望しているという事だ。
朝より夜が好きと言えば暗い人間だと言われ、太陽より月の方が好きだと言えばおかしいという。人それぞれでいいじゃないか。けれど世の中は多数派は正義と謳うだろう。少数派は悪だ。結果が全てで過程なんてどうでもいい。人をまとめたことがある人間が上で、創造的な意見を発した人間が下。くだらない。馬鹿げている。何が馬鹿げているってそれに染まらなくてはいけないことが。
死地に面した時、僕の手が誰か一人を救えるとして。数多の人が僕の手に手を伸ばすだろう。生きたいと懇願するだろう。全員が知らない人だとしたら。僕は多分、その一瞬で生を諦めた人の手を取る。間違いなくそういうことをするやつだ。
今まで僕を散々傷つけて除外した人間が都合のいい時だけ手を伸ばすなんて笑えるだろう。生きたいときっと誰もが懇願する。けれど、手を伸ばしている最中に必ず諦めを抱く人間がいるはずだ。僕がそうであるように、きっと表情に出る人間がいるだろう。僕はそんな人の手を取りたい。僕のくだらない人生を投げ打ってでもその人に生きてほしい。だって生きることを諦めるということは、今まで大して楽しいこともなく人生に悲観した人間だ。生きたいと願う人間にはない、諦めという癖がついている。
だから生きてほしい。生きて生きて生き続けて。救われた命を大切にしようなんて思わなくていい。ただ、君が一つだけ大切なものを見つけてくれたらそれでいい。一瞬でも楽しいと思い笑ってくれるならそれでいい。僕はそういう人間を救いたい。
僕は昔からそういう考えで生きてるから同意してくれとも理解しろとも言わない。ただ、それだけで僕を判断する資料にするのなら大間違いだ。君は間違っている。人の本質なんて分かるわけないだろう。君は結局、自分と同じような人間を集め安心したいだけだ。変化を恐れ変わらぬ時間にいつまでも浸っていればいい。僕はそういうやつが大嫌いだ。
って色々書いたんだけど。くだらないと嘲笑するような判断をされたりすることが多くてちょっと手が動いちゃったよ。笑って許してね。
今日は恋愛の定義について話そうと思ってたんだけど前置きが長すぎました。千字越えちゃった。
恋と愛の違いって何だろうと考えて、僕が恋愛から遠ざかっているのは自分のせいであり君のせいであり愛を求めてしまったからだと思う。
恋は自己利益、愛は自己犠牲。まさにこの言葉に尽きるだろう。恋は自分のことしか考えなくていいけれど、愛は相手を一番に思って行動するものだ。つまり、相手と自分が崖っぷちにいてどちらかが助からないという状況下になった時、自分を助けるのは恋、自分が落ちるのは愛、ついでに言うと一緒に落ちるのが恋愛に酔ってるやつ。そういうことだ。
空想は恋が愛に変わるお話だ。最初から愛を持っていた少年と、その愛を受け入れてしまえば終わることに気付き自己利益を求めた少女のお話だ。終わりが目の前にあったのなら、共に終わりたいと思うだろう。片方がいない世界に意味はない。けれど愛を持っている人は相手を救おうとしてしまう。残された側の気持ちなんて知らないままに。これも一種のエゴだ。生きてほしいと願う、ただのエゴだ。
恋と憧れが同義のように、愛と終わりも同義であると僕は思う。愛って偉大だ。それを抱いている人はもっと偉大だ。どれだけ傷つこうとも相手が幸せであればそれでいいと思う献身的すぎる思いを抱ける人間はこの世に何人いるのだろうか。恋をして結ばれて家族になって。それでも真実の愛を手に入れている人はいるだろうか。多分、そう多くはないと思う。特に口に出して愛を持っているというやつほど持ってない。そういうものだ。
君の忘れられない恋愛はあるだろうか。
長年見続けてきたのにも関わらず声をかけられなかったとか、当たり前のように傍にいたのに忽然消えてしまったとか、くだらないプライドが邪魔をしたとか。色々あるだろう。それが恋であったのか愛であったのかは置いておいて。きっと一生忘れることは出来ないのだろう。
僕もそうだけど、忘れられない恋愛を経験してしまった人って次に歩き出すことが出来ないのだ。傷つくのが怖いとか、そういう考えもあるかもしれない。けれど僕はそれ以上に、まだ、まだ君が消えてくれない。ふとした瞬間君がそこにいる。酸素を吸うのと同じように思い出す。そんな気持ちを抱いた僕を丸ごと愛してくれる人なんてほとんどいない。きっと皆、恋でも愛でもないこの気持ちを抱いたまま誰かと結ばれることが怖いのだ。
今も好きかと聞かれれば、否と答えるだろう。もう好きとか嫌いとかの次元じゃない所に来てしまったのだ。これはただの後悔だ。後悔が恋愛に絡んで複雑になった気持ちだけが残された。だから新しく誰かを好きになることも可能なのだろう。それでも出会いの場に足を運ぶことが出来ないのは。性格もあるだろうが、次の恋もそうなってしまうのではないかと恐れているからだ。
こんな気持ちを抱えた僕を愛してくれる人がいるだろうか、いないだろう。そう思ってしまうからだ。だから同じような気持ちを抱いた人に言いたいことは、無理に歩き出さなくてもいいんじゃない?だ。
恋愛化石の僕でも恋愛小説書いてるし、これは今世紀最大のジレンマなのだけど。
本当に恋愛が始まる時は、何もしてなくとも自ずとその場所に行ってしまって勝手に心が動くのだ。今その感情がないという事はそういうことなのだ。始まりはいつも突然で予想がつかない。だから君が無理をする必要はない。周りは周りだ。頻繁に恋人を変える人は恋に酔っているか恋をしている自分に酔っているかだ。相手のことなんて一ミリも気にしない。自分が良ければそれでいいという考えを持つ人がほとんどだ。実際話を聞いたことがあるが全くその通りだった。
たまに。きゅんとする出来事が欲しいと思う時があるのだけれど。それくらいだ。果たしてこの先、僕は誰かを好きになって愛を抱くことが出来るのだろうか。答えは分からない。今の所ほぼ無理だと思っている。でも、それでいい。
これは僕の人生だ。君を好きになったのも、君が空気のように当たり前に傍にいてくれたのも、くだらないプライドが君を傷つけたのも、全部僕が選んだ結末だ。選択した重みを抱きながら僕は今日も空想を書くだろう。君に届かないままでいい。もう一度は望んでいない。今、会えたとしても。謝罪と当時の想いを伝えたとしても。付き合いたいとは思えない。そもそもそんなラッキーが起きるわけがない。起きたとしたら僕は来年を迎える前に死ぬだろう。
だから、どこかの誰かへ。
僕と同じ気持ちを抱いた、どこかの誰かへ。
そのままでいいんだ。この思いを捨てる必要はない。隠す必要もない。
もしかしたらいつか、それを含めて君が好きだと言ってくれる人が現れるかもしれない。
もしかしたらそれを言ったのは僕かもしれない。
焦る必要も虚無を感じる必要もない。君の人生は君のものだから、君が好きに選択しろ。
僕も同じように選んだ結末を受け入れて歩くよ。いつかこれを見ている誰かに会えるように。




