出現した気取り野郎
友達ってどこまで友達だろうか。相手は友達だと思っていても、僕にとって友達じゃなければ、それはもう友人と呼べないのではないだろうか。ただの知り合いという形になるのではないか。事実、そういうやつがいた。てか、いる。今週現れてさすがに笑ってしまった。
例えば有名になったりだとか、人気者になったりだとか、名声を得た時そういうやつらはやってくる。それまでは大して仲良くなかったくせに、突然仲良いと言い出す。距離を置いていたくせに、友達だと言って声を大にする。僕そう言った奴らが世界で一番と言っていいほど嫌いで反吐が出そうになる。面倒だから愛想笑いでかわすのに、愛想笑いだという事も気付けない脳内お花畑野郎、僕、とても嫌いです。
結局そういう人って、僕や君の事を本心から好きなわけじゃなくて、僕らが持っている人気や名声、富とか権力が好きなだけなんだよね。あと、人気者の友人の自分凄いでしょうって言いたいだけ。でもそれってさ、酷い事だと思わない?口から出る出まかせも、本心も、僕は全部気付いてる。気付かれていないと思って彼女は言葉を続けるんだ。酷く滑稽だし、こっちにも失礼だよね。そんな人は僕らの事を簡単に裏切るんだ。噂に踊らされる大衆と同じ。僕の事を信じてもいない。
そういう人を沢山見て来た。だから、その人たちが自称僕の友達を気取っていても、僕は無視するし反吐が吐くと言い続けようと思う。そういう事をやってきた人間には、当然の仕打ちだ。
僕の事を本当に好きな人達って、そういうことがあった時凄い喜んでくれる。そして外に広めない。中には涙を流す人だっていた。真に好きでいてくれる人とそうじゃない人達の差って明確だ。僕は僕の事を真に好きでいてくれる人に真摯に向き合って生きたい。後のやつらはどぶに捨てても良いと思ってる。僕は結構薄情な人間だ。いや、人間じゃないな、ヒトモドキ。
最近くだらない事を考えてるんだけど、足並みをそろえて個性を失くし、隊列からはみ出た人を悪とするのが人間なら僕は人間じゃないのだ。限りなく人に近い、でも人じゃない、ヒトモドキなんだと思う。
ヒトモドキの人はきっと、隊列からはみ出てきた。自分の信じるものを追いかけて、悪とされた。君達の中にもいるだろう。変わっている事を悪とする人間が。
個性がないなんてつまらない。他者の考えはとてもためになるし、価値観が違う人は面白い。目に見えているだけが世界じゃない。でも、それを嫌だという人もいる。ついでに毒を吐くと、そういうやつはさっき言った友達気取り野郎に多い。
だから君の周りにそんな奴がいるのなら。放っておけ、相手にするだけ無駄だ。だってその人は君の事を本当に好きなわけじゃない。ただ、君を傷つけるために生きているような人だ。君の立場が好きなだけの人だ。馬鹿みたいだろう。そんな奴を相手にして傷ついて涙を流して、忘れられない悲しみなんて背負いたくない。君は君のために最善の道を選ぶ権利がある。
世界中の人達が尊敬しあえる世の中ならよかったんだけど、きっと永遠にそうなる事はないだろう。僕等は分かり合えない。もしかしたら、これを見ている君も僕の考えを受け入れられないかもしれない。でもそれって仕方がない事なんだ。ただ、その仕方がないを、こういう考えもあるんだと思うか、絶対ないわと思うかで君という人間がどういう考えを持っているのか変わってくる。どっちがいいとは言わないよ。どちらにも考えがあると思うし。僕の中でも曲げられない事はある。絶対ないわって思う事もある。信念だけは人に変えられちゃ駄目だと思ってる。影響を受けるのは良い事だけど。
でも、せっかく色々な人がいるのなら。その人達に触れあって、分かり合える人と共に生きて行きたい。僕等は僕等の世界がある。周りを固める人は自由でありたい。でも、出来ることならもう二度と、誰かを傷つけない結末を。そんなの無理だと思うけど。
誰かにとって僕は善にも悪にもなるだろう。自分の考えを言えとか言いながら、声を大にして言ったら批判を食らう世の中だ。自分の一言が誰かを傷つけるかもしれない。でも、言葉にしないと始まらないから自分の気持ちを口にしよう。
友達気取り野郎どもは反吐が出るほど嫌いだって。




