夢
ある日、夕食のテーブルに握りこぶしのようなメンチカツが載っていた。
「サトウのメンチカツ?」
「はい。池田さんに頼まれたので、ウチの分も一緒に買ったんです。
5つ以上買うと安くなるんですよ。それで池田さんの家が4つ、ウチが2つ。」
隣に住む池田さんは60代のご夫婦二人暮らしだ。
「池田さん、2人で4つなの?」
僕は不思議に思って尋ねた。
「息子さんが帰ってきて、お客さんもいらっしゃるそうです。
吉祥寺の名物だし、息子さんの大好物だから食べさせたいって。」
「へぇ、雅彦君、アメリカから帰ってくるんだ。」
「旦那様、御存じなんですか?」
「そりゃ隣の子だもの。」
「ニューヨークから戻ってこられて、次はパリに赴任されるそうですよ。」
寝る時間になっても、フェアリーはまだ雅彦のことを気にしていた。
「いいなぁ、アメリカ。行ってみたいなぁ。」
うつぶせになって、足をバタつかせて羨ましがっている。
「それもニューヨークだもんねぇ。」と相槌をうつ。
「次はパリですよ。」
「格好いいよね。」
「私も海外で暮らしてみたいなぁ。
そうだ旦那様。外国で仕事すればいいんじゃないんですか?」
「イラストレータの海外赴任なんて聞いたことないよ。」
「アメリカとかフランスの会社にイラスト売り込めばいいんですよ。
イラストなら言葉はあまり関係ないでしょ?」
「打ち合わせや契約もあるんだよ。
僕に頼るより、雅彦君に連れて行ってもらえばいいんじゃない?」
「家政婦を雇うんなら向こうで探しますよ。」
「そうじゃなくて、奥さんとして行けばいいじゃない。」
「えっ?」フェアリーの足が止まった。
「結婚すれば一緒に行けるんじゃない」
「そんなの無理に決まってるじゃないですか。」
前より激しく足をバタつかせた。
翌朝、雅彦が訪ねてきた。
「お久しぶりです。
日頃、父、母によくしていただいて、ありがとうございます。
父も母も感謝しております。当人たちは若いつもりですが
年も年です。何かとご迷惑をおかけするかもしれませんが、
よろしくお願いいたします。」
そう挨拶して菓子折りを差し出した。
背が高く、ハンサム、そして一流企業のエリート社員
ということが分かる、そんなきちんした態度だった。
それに対して僕は「いえいえ、こちらこそと」としどろもどろの
返事をするのが精一杯だった。
「それから」と雅彦は続けた。「僕の妻になる慶です。」と
後ろにいた美しい女性を紹介した。
「本来、嫁である私がお世話しなければならないところ、
いつもお気遣いいただ本当にありがとうございます。
特に涼音さんに大変よくしていただいていると義母に
言われるんですよ。今後ともお付き合いのほどよろしく
お願いいたします。」
今度はフェアリーが「いえいえいえ」としどろもどろになった。
「少し期待してたんだけどなぁ...」
夜、ベッドで大の字になったフェアリーがつぶやいた。
「あんな美人が相手じゃ話にならないですよね。」
ちょっと残念そうだ。
「そうねぇ、向こうのほうが先に出会ってるしね。」
僕もうなづく。
「慶応大学でゼミの先輩、後輩だそうですよ。」
「さすが慶応、格好いいねぇ。」
「そういえば旦那様は別れた奥様とはどこで出会ったんです?」
「大学のサークル。」
「大学に行ったら、私も出会いがあるのかな。」
フェアリーは頬杖をついて考え込んだ。
「フェアリーも、そういうこと気になるんだね。」
「そりゃそうですよ。私の夢に関わりますから。」
「夢?」
「幸せな結婚生活ですよ。
私、小さいころからずっと、夢の家族写真を想像しているんです。」
「へー、どういうの?」
「家族4人の集合写真なんです。
私は楽しそうに笑ってるんです。
私の前には私の子供。ちょっと大人しいお兄ちゃんと
おしゃまな妹の二人兄妹。
そして私の隣には愛する夫がいて、私の肩を抱いているんですよ。」
「フーン、それがフェアリーの幸せの形なんだね。」
「そうなんです。でも最近、私の隣が旦那様なんですよ。
一体どうしてなんでしょ?」
フェアリーはちょっと困ったような顔をした。
「どうしてって僕に言われてもねぇ。
毎日、僕しか見てないからじゃない?」
「そうですかね、やっぱり家政婦じゃ出会いがないかな。
大学に行かないと出会えないのかな、私の結婚相手。」
「出会いを求めて大学に行くっていうのはどうかと思うけど、
大学に行くこと自体は賛成だよ。学費なら貸してあげるよ。」
そう言われてフェアリーは天井を眺め、しばらく考えていた。
「大学はもう少し考えさせてください。
まずは、どこか外で働いてもいいですか?
お金も貯めたほうがいいし、そこで出会いがあるかもしれないし。」
「僕のほうは問題ないよ。」
「ありがとうございます。」
フェアリーがまっすぐ僕を見つめた。
「ところで旦那様の夢って何ですか?」
僕は少し迷ったが正直に答えた。
「本を作ることなんだ。」
「本ってイラストのですか?」
「いや、文章もあってイラストもあって写真もあって。
僕の頭の中でぼんやりとしたイメージがあるだけなんだけど。」
「旦那様、文章も書くんですか?」
「そのつもりだよ。」
「へー、旦那様、イラストも描けて、文章も書けるなんて
すごいですねぇ。見てみたいな。」
フェアリーは素直に感心した。
それまで僕の夢を話したのは別れた妻の智美だけだった。
それも大学1年の時。いつか作ってみたいというだけで
曖昧なイメージなままだった。
フェアリーがさらに尋ねた。
「旦那様は、その本、作ってるんですか??」
「いや、全然。時間もないし。僕の頭の中にイメージがあるだけだよ。」
「フーン」フェアリーは口をとがらせた。
「でも旦那様の頭の中はだれも見えないですよ。
何か形にしないと...。」
僕は何も応えられなかった。
「じゃあ、旦那様はがんばって時間を見つけて作ってください。
私もお手伝いします。できたら見せてくださいね。」
そういって自分の部屋に戻って行った。
翌日フェアリーは僕がこれまで描いたイラストをコピーし、
切り貼りしていた。午後にはスクラップ帳のように
まとめたものを応接間に置いていた。
出来上がったものを見せに来たフェアリーはちょっと偉そうだった。
「私が作った旦那様の作品集なんです。
応接間にあればお客様に見てもらえるでしょ?
気に入ってもらえたら、お仕事増えるかもしれないし。
素人が勝手なこと言っているだけですから、怒られるかもしれませんが、
旦那様の作りたい本も、こんな風に作っちゃったらどうですか?
私、 1ページでも2ページでも、旦那様が作りたい本を見てみたいです。」
そしてにっこり微笑んだ。
「何事も第一歩からですよ。」
数日後、フェアリーは井の頭公園近くのハンバーガー・ショップで
バイトを始めた。平日の朝10時から午後4時まで。土日は学生さんで
手が足りているからと平日になったという。
「土日のほうが出会いが多いと思うんですけどね...」
最初は不満そうだった。
でも1週間もするとファンが出来たんですよと自慢した。
中にはよくない客もいるのだという。
「お釣りを渡したら、手を握られたんですよ。」
「えっ!」と僕は驚いた。
「それを見た店長が『手が滑った』って、
水をかけてくれたんです。
次からは私も頑張って手を滑らさなくっちゃ。」
そう言ってケラケラ笑った。
年頃の娘を持った父親は、こんな風に心配するのかと思った。