居酒屋
フェアリーが大学入学した年の2月。
「たまには二人で飲まない?」と智美ちゃんを誘った。
了解と返事をもらったのは数日後。
指定された居酒屋は西荻の駅から少し離れていた。
魚がおいしいと評判の店らしい。
「いらっしゃーい」
声を掛けられて中に入ると既に智美が待っていた。
「はーい、お疲れぇ」と乾杯。
開口一番「フェアリー、友達とスノボって言ってたけどどうなの?」
と聞いたら、少し怒った。
「愛するフェアリーちゃんが気になるかもしれませんが、
普通、気を使って、私のことから聞くんじゃないの?」
と憎まれ口。
でもすぐに「ラブラブカップルだから仕方ないか。」と笑いだした。
「涼音からメールもらったけど元気だよ。
こんなの出たから張り切ってるみたい。」
そう言って雑誌を取り出した。
「ほら、この写真」
付箋紙を貼ったページの左側、涼音ともう一人の
丸顔ショートカットの女の子がチアリーダー姿で写っている。
「この子、フェアリーの友達の田中さん?」
「そう田中真理恵ちゃん 。」
「入学式の後、二人で井の頭にやって来て、
チアやらせて下さいって頼まれたんだよね。
その後も何回かウチに遊びに来たことがあるよ。」
「そうだったんだ。
涼音、真理恵ちゃんと気があうみたいで
ウチでよく一緒にご飯食べて、泊まっていくんだ。
近所じゃ真理恵ちゃんの方が私の娘だと思ってる人がいるくらい。」
「そうなんだ。フェアリー、同年代の友達
いなかったから良かったよ。」
「チアでもみんな、仲良いみたいだよ。
他の子よりも2つ年上だし、しっかりしてるしで信頼されてるみたい。
男の子の品定めも頼まれてるんだって。
『私が選ぶ子は人柄がいいって評判なんだ』って自慢するから、
『涼音のタイプって隆文みたいに性格しかいいとこないからじゃない?』
って、からかったら怒ってたけどね。」
と笑った。
「ところで涼音にニックネームがついたの知ってる?」
「ブルーローズだろ?
スズランが良かったってフェアリーは文句言ってたけど。」
「花のニックネームがつくのは人気がある証拠だってよ。
ファンがたくさんいるんだって。」
「へぇすごいね。」という僕の言葉に
「喜んでていいの?」と智美はニヤニヤした。
「大勢の若い男達が狙ってるんだよ。獲られちゃうかもしれないんだよ。」
「フェアリーが本当に好きな人でれば、それでいいんだ。
それを望んで、こうしているんだし。」
僕が応える。
「余裕ですなぁ。」
さらにニヤニヤ笑った。
「ところで名古屋のご両親は元気?」
と話題を変えた。
「うん、おかげさまで。元気過ぎるくらい元気。
涼音のことも大事にしてくれてる。
『涼音は美人だ。智美に似なくてよかった。』とか『嫁入りは盛大にやらんとな』って。
涼音は実の娘よりも大切にされてます。」
智美は大袈裟に言って笑った。
「よかった、安心したよ。
フェアリーと僕の関係はご両親に話したんだよね?」
「もちろん。そうでないと養子にする説明ができないもの。父が隆文君にくれぐれもよろしくって。」
智美ちゃんの口が重たくなった。
僕は本題に入った。
「実は今、あの本を作ってるんだ。
来月ぐらいに出版できると思う。製本できたら送るよ。」
「あの本って隆文が作りたかった本?」
「うん。フェアリーにうまく乗せられた感じなんだけどね。
出版社の人と話をしていくうちに写真集という形で作る
ことになったんだ。」
「写真集?」
「文字もイラストも手書きにして、
コラージュにしたものを写真にするんだ。。
バインダーの内容をそのまま写真集にする感じかな。」
智美は上を向いてうなった。
「なるほどね。私には写真集の発想はなかったな。
文章中心でいくんだと思ってた。」
「最初はそう思ってたからね。
でも試しに作ってみたら、文章で書くよりも絵にしたほうが
いいと思うものが多かったんだ。
これまでの仕事の影響もあると思うけど。」
「まぁ変わって当然よね。
あのころからは随分、時間もたったし、隆文だって変わったし。
タイトルはどうするの?」
「『心の中の井の頭』ってしようかと思ってる。」
「フーン...」
軽くくちびるを噛んだ。
「悔しいなぁ。
隆文もあの本も、結局全部、涼音かぁ。
涼音には本当にやられっぱなしだな。」
智美は遠くを見るような目をした。
「でも不思議なんだよね。
これが他の人だったら、嫉妬したり
負けるもんかって思うんだろうけど。
涼音にはそう思えないんだ。
涼音と暮らして、親の気持ちっていうものが
わかったような気がするよ。
2年前は、とにかく隆文と涼音の距離を
あけることだけを考えたんだけど。
今では誰よりも身近な存在だし、
本当にかわいいと思っている。
素直で真面目で本当にいい子だよ、涼音は。
私にはとてもあんな風に育てられなかった。
それだけは確信を持って言えるよ。」
そして僕を見てこう言った。
「あなたにはあの子を幸せにしてほしいし、
あなたにも幸せになって欲しい。
心の底からそう願ってる。」
ちょっと寂しそうに笑った。
「あーヤダヤダ。変なこと言っちゃったね。
さぁ飲も飲も。」
そう言って明るく笑った。
西荻からは歩いて帰った。
空気は冷たかったが、体の中は暖かかった。
その暖かさが少し申し訳ないような気がした。




