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竹庭  作者: 小川すみれ
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 ヤエが泣いていた。私の顔を覗き込むようにして涙を流していた。その背後は天井の木目。

 暗い。枕元には明かりが灯されているようだけれど、いまは夜なのだろうか。それとここはどこだろう。

「紫のお屋敷よ」

 ヤエの隣でおばあさまが私に話しかける。

「カヤちゃん、あなたが無事でよかったわ」

 私の大好きな手がおでこを撫でる。少し汗をかいているらしい。

 全てが夢うつつ。長い幻を見ていた気分だ。

紫都(しづ)さまから、カヤにお話があるそうだ」

 おじいさまが悲しそうな表情で私を見おろして言葉を放ち、ヤエはどこか緊張したように、おばあさまはおじいさまと同じように眉をさげた。

 そしておもむろに立ち上がり、ふすまを開けて退出していく三人。私はそれを顔だけで追いかける。

 一人ぼっち、取り残された空間。紫のお屋敷だというこの場所。ふう、と深いため息をついてみれば、竹林のさらさらという音色が聞こえた。

 涼やかな音だ。ここから外は見えるだろうか。そう思って頭向きを変えたときだった。

 音もなく、いつのまにか枕元に座っている誰か。膝の上に組まれた白い綺麗な手。ミヤコ様の。

 見慣れた手なのにどこか違和感があるのは、記憶よりもそれが男らしいからなのかもしれない。

 そしてその手を辿った先、ちょうど先ほどまで三人が座っていたところに。

「私は紫都といいます。あなたのこれからとミヤコのお話をしましょう」

 顔の片側を長い前髪で隠した青年が座っていたのだった。 


 ◆


「あの子は私が八つの時に生み出しました。九十九神(つくもがみ)になり損ねた鏡の破片で。私は駒に、生み出した子のことを駒というのですが、駒に自らの一字を与えてミヤコと名付けました」

 青年の形の良い口からぽつりぽつりと始まっていく思い出語り。

「私が未熟なときに生みだしたからなのかもしれません、他の駒と違ってミヤコは随分と感情豊かでわがままで、手のかかる子でした」

 布団に寝たままの私と、枕もとで正座をして私に語りかける紫都さま。

 竹の葉がさらさらと鳴る世界で、さまざまなミヤコ様のお話を聞いた。言葉を教えるのにはあまり苦労しなかったということ、好奇心旺盛で我が強いということ、こんぺいとうが大好きだということ。

 柔らかい口調だった。ミヤコ様のような喋り方をする人だと思った。

 夢のときともあのときとも異なって紫都さまの表情はころころと変化をし、いままでのどんな時よりも人間らしく感じられた。けれどその表情の大抵は寂しさを示していることに彼は気付いているだろうか。

「私と同じ姿をした子が目の前で笑っているというのは可笑しく不思議なものでした」

 ミヤコ様は自分の姿を持たないらしく、いつも誰かを自らに映してその姿を借りていたのだという。それはまるで鏡のように。

 どうやら私が知っているミヤコ様の姿は紫都さまを映したものだったらしい。御三家の男児はみな、小さい頃は妖怪に魂を持って行かれないようにと女児の恰好をするのだと、少し気まずそうに教えてくれた。

 けれども紫都さまが声変わりを迎えると同時にミヤコ様は声を出さなくなり、男児から男性へとかわる断髪式で紫都さまが完全に男性の恰好をするようになったときから、彼女はふさぎこんでしまうようになってしまったという。

「ミヤコの前の持ち主は女性だったんでしょうね。駒は性別などありませんが、彼女は女性であろうとしましたから。容姿にも気にしていました。私の目はこうですけれど、ミヤコはきれいな黒目でしたでしょう?」

 伏せられた長い睫毛。枕元の灯りがほんのりと紫都さまの頬を照らす。

「あなたに会いたいと、障子越しになんどもその言葉を聞きました。けれどあなたにこんな姿は見せられないとも言っていました」

 私とミヤコ様が疎遠になっていたあの頃、彼女はどれほど私を呼んだのだろうか。

 頭の片隅で彼女の声を思い出しながら、紫都さまの瞳を見つめる。けれども彼は手元を見つめたままで、私たちの視線が交わることはない。

「ミヤコがあなたに興味をもってしまったのは私のせいでもあるんです。私がいつもあなたを見ていたので」

 危うい者は心配で目が離せない気持ちが分かりますか、と彼は呟いた。

「あなたは体は丈夫ですが普通の人よりも随分と脆く、清められた場所でしか生きられませんでした。物の怪の放つ薄い毒にも反応しやすいと言えばいいのでしょうか」

 ――あなたは自分が思っているよりも脆いのよ

 そういえばあのとき、ミヤコ様も私がアヤカシの瘴気に侵されやすいのだということを言っていたっけ。

「一族の敷地はとくに清められているので大丈夫と思いながら、けれど人一倍か弱いあなたと顔合わせをしたときから、あなたの姿を見るたびになぜか私は目が離せませんでした。普通に使用人として働くあなたをみて、あんなに外に出て大丈夫なのかとはらはらしたものです」

 掌を見つめたまま小さく笑う紫都さま。

 竹の葉の音、揺れる灯。

「そんな私の視線を追って、ミヤコはあなたに興味を持ちました。はじめは純粋な好奇心だったのでしょう」

 紫都さまの言葉ひとつひとつを、あの白い花畑で聞いたミヤコ様の独白と重ね合わせる。

 けれど友だちを欲しがる私に毒されてしまったのかもしれません、と彼は言った。私もひとりぼっちで、友だちが欲しかったのです、と。

「彼女は次第に友だちに、つまりあなたに執着するようになりました。あなたがミヤコのもとから離れていくことを彼女はひどく恐れていたのです」

 あなたを私だけのものにしたかったと私に迫ったミヤコ様。彼女は孤独に怯えていたのだろうか。

 どうして私以外に友だちを作らなかったのだろう。なぜ。物の怪だからだろうか。その姿をあまり人に見られるわけにはいかなかったのだろうか。

「あなたが屋敷の外に出たがったあの日、ミヤコが暴れ出しました。あなたの望みをかなえると言って、それから……不気味に笑っていました」

 紫都さまは辛そうに眉を寄せて教えてくれた。ぞっとしたと。

 強大な力を持つ彼が生み出したミヤコ様の持つ力もまた大きく、しかしそれは以前の清らかなものではなくどす黒い狂気に染まっていたのだとういう。彼女はその口端を(いびつ)にゆがめ、目をぎらつかせて私を求めたのだそうだ。

 あの物腰柔らかなミヤコ様からはそんな姿を想像できずに戸惑う私に、あなたが食われると思いました、と紫都さまは続けた。

「あなたが危ないと思いました。しかしそのときは私はまだ力が安定していなかったせいで取り押さえるのに精いっぱいだったため、あなたをミヤコから離すのが最善だと判断しました」

 枕元の灯りが揺れる。

「あなたをいつも気にかけていた女の子に協力してもらいました。あなたの行方が分からないように、足跡を消す術を履物に編んで、紺の一族の遠縁の老夫婦に言伝(ことづて)を送って協力を仰ぎました」

 ――逃げなさい!

 竹庭を駆け抜けたあの日のヤエを思い出す。

 ――カヤちゃん、新しい履物よ

 ――カヤ、じいさんが編んだ傘をつけていきなさい

 ぐるぐると頭を駆け回る、おじいさまたちの声。

「けれど、隙をつかれましたね」

 そのとき初めて合った視線。髪で隠されていない方の片目。黒い、紫都さまの瞳。

 ミヤコ様に似た白い手が近づいてくる。きゅっと引き結ばれた口もとを見て、私の中で緊張の糸がぴんと張られるのが分かった。

 そして一呼吸おいてから静かに紡がれた言葉。

「あなたはもう、人間ではありません。そしてミヤコは消滅しました」

 優しい口調だった。ほの暗さを孕んだ、悲しい声だった。

 ひゅっと呼吸が止まる感覚が私を襲い、指先が冷たくなってゆく。

「あのとき私はあなたたちを守るために術を編みましたが、それは半ば間に合わず、ミヤコの破片があなたの胸の奥に突き刺さり、あなたの弱い体は一気に瘴気に侵されました。肌は灰色へと変わり、氷のようにぬくもりを失って」

 私の視線は紫都さまのくちびるに釘付けで、目じりをなぞる親指も、竹の音さえも気にしている場合ではなかった。

 私が、人間ではない?

 ミヤコ様が消えた?

 それはつまり、どういうことだろうか。

「あなたを救う術は一つしかありませんでした」

 戸惑う私をよそに、紫都さまは落ち着いた声で話を続ける。

「ミヤコがなぜあなたの名を知りたがったか分かりますか?」

 じわりと熱を持つ目頭を無視して、私はただだまって言葉の続きを待った。

「魂の契約を結ぶためです」

 ――カヤ、教えて、あなたの名はどう書くの

 夢の中で何度もミヤコ様が問うてきた言葉が、頭の片隅にこだまする。

「名乗ろうとして発せられた名と、真実の名を教えようとして紡いだ名ではその言葉に宿るものが違います。真名(まな)は後者にあたり、魂の契約を結ぶために必要な……泣かないでください、これしか方法はなかったのです」

 どうかお許しくださいと、彼は袖でそっと私の目元を拭った。

「香耶、あなたは私と魂の契約を結び、その身を妖に変化させて私の(しもべ)となりました。体を侵食する毒から救うためには、あなた自身を毒に変えるしかなかったのです」

「毒に……」

「ミヤコが為そうとしたことを阻止しようとしたつもりが、結果として彼女の望んだとおりになってしまいました。あなたを守れず、すみません」

 落ち込んだ様子で涙を拭いていた腕を再び戻す紫都さまをただ目線だけで追う。

 夜の闇のような黒髪が少しだけ揺れた。

 そして放たれた言葉。

「ミヤコは自害しました。あなたと心中するつもりだったようです」

 花のざわめき、強烈な風、全てを薙ぎ倒してしまうような力――耳鳴りするほどの甲高い音。

 あれはミヤコ様の叫び声だったのではないだろうか。

 ミヤコ様を失った悲しみと人間でなくなったという絶望、未来の見えない不安にどうしてもぽろぽろと涙があふれ、少しずつ枕をぬらしていく。

 そんな私をじっと見つめ、眉をさげて言葉を紡ぐ紫都さま。

「あなたへのミヤコの執着は恐ろしいものでした。けれど、それほどにまで彼女があなたを愛していたのは確かです。私にあなたを渡すまいと心中するくらいに」

 俯いた拍子に、さらりとした前髪の隙間から黄色の瞳が姿をのぞかせた。蛇の瞳。それは灯に照らされて煌々と輝き、光の揺らめきのせいか、少し潤んでいるようだった。

「ミヤコは命を賭してまであなたといることを望んだのです」

 いい子でした、と耳に伝う掠れた声。

 竹の葉のさらさらとした音が辺りを包む。

 どこから誤ってしまったのでしょうか、と彼は囁いた。

「本当にいい子だったのです」

 そうして私の手元へと、彼は静かに涙を落としたのだった。


 ◆


 部屋にただ一人取り残された私は、何の意味もなく掲げた自分の掌を見つめていた。

 私はこれからこのお屋敷で生きていくことになるのだと紫都さまは言う。物の怪の瘴気に()てられても平気になったこの身は、しかし紫都さまの力をもって生を保っているところがあり、その力が物の怪にとっては喉から手が出るほど欲しいものなのだそうだ。

 一族の敷地から出ると、あなたはたちまち食べられてしまうでしょう。

 彼は私にそう注意をして、それから、普段は私のそばを離れぬように、と厳しく言い付けた。

 そう言ったそばから彼は私を一人置いて百鬼夜行に出かけてしまったけれど。

 ずいぶん時間が経ったように感じたものの、どうやら成人の儀があってからまだ日をまたいではいないらしい。

 私もいつかはそれに参加することになるのだろうか。寿命はいくつまであるのだろうか。人間と同じ食べ物を食べていけばいいのだろうか。やはり昼より夜の方が動きやすいのだろうか。

 さまざまな疑問が浮かんでは宙へと消えていく。

 ふ、と短いため息をついて胸に手を当てれば、指から伝うのは包帯の感覚。

 未だこの胸には、ミヤコ様の――鏡の破片が埋め込まれているらしい。

 さらさらと涼やかな音、白い花。

 ミヤコ様はなぜ、私と魂の契約を結ぼうと思ったのだろうか。

 ――あなたの名は何と書くの

 彼女はなぜ、私を物の怪にしようと思ったのだろうか。

 ――私はあなたを幸せにしてあげたかっただけなのよ

 もしかしたらミヤコ様は、瘴気に侵されやすいこの体を変えたかったのかもしれない。私が竹庭の外で自由に生きられるように、この身を物の怪に変えることで瘴気に触れても平気なようにしたかったのかもしれない。

 一緒に遠くへ行きましょうと彼女は言った。

 優しい人だった。

 初夏のすきとおったそよ風のような人だった。

 竹の葉の音がよく似合う、素敵な人だった。

 私、あなたと笑い合えることが幸せだったのよ。

 あなたとおしゃべりすることが幸せだったのよ。

 ぽろぽろと目から零れおちるしずく。

 カヤ、と愛おしそうに私を呼んでくれた友だちはもういない。


 ◆


 人びとは眠り、夜の底。

 静まり返った世界の中で、誰かが私の髪を撫でる感覚がした。

 懺悔をしましょう、カヤちゃん、と声が聞こえる。あなたを逃がしたのは私の末の娘よ、と。

 狂った主とそれを引きとめる妖怪を見た娘が履物に術を編んだのよ。あなたを助けようとしたのは私の娘なのよ。

 夢へ溶けていく言葉の数々。さらさらと竹の葉がそよ風に揺れ、爽やかな音を立てている。

 ごめんなさい、と声が聞こえた。常闇に閉じ込められた娘を助けるためだったの、と。

 紫都さまが怒って常闇に娘を閉じ込めるから、だから、ごめんなさい。

 大好きな手が私の髪を優しく梳く。さらさらと竹の葉がそよ風に揺れ、夢の中で、カヤ、とミヤコ様が私を呼んだ。

 懺悔をしましょう、カヤちゃん、と声が聞こえた。あなたを連れて来れば、娘は助けてくれると彼は言ったわ、と。

 ごめんなさい、カヤちゃん、あなたの自由と引き換えに、私たちはね、ごめんね、カヤちゃん。

 優しい指づかいに、眠りは深く深くなってゆく。

 私は知っているわ。きっと彼はわざとあなたに怪我をさせたのよ。きっと彼はわざと術をゆるく編んだのよ。彼ならあの子の死を防げたはずなのよ。あなたを独り占めしたかったのはあの子だけではなかったのよ。

 黒い髪、白い手、桃色の頬。カヤ、と銀の花畑の中、風を髪に遊ばせたミヤコ様が私に手を差し伸べてくる。

 ごめんなさい、カヤちゃん、私たち、はじめはあなたがあの子から逃げてきたと思っていたの。でも違ったのね。

 光輝く世界で、カヤ、と、響く透明な笑い声。銀の花畑。

 彼ほど冷酷な人はいるのかしら。この二年あいだ空が騒がしかったのはきっと、あの子が彼からあなたを遠ざけるために、ずっと頑張ってくれていたからなのね。

 カヤ、とミヤコ様が穏やかに微笑み、ゆっくり静かにこちらへ近づいてくる。白い花が揺れた。

 あの子は間違っていなかったわ。私だってきっと心中を選んだもの、カヤちゃん、あなたの自由のために。

 夢に響く優しい声がミヤコ様の声と重なっていく。

 愛しているわ、と彼女はそのたおやかな手で白い花を一輪だけ私の髪に挿した。私はただあなたを幸せにしてあげたかったのよ、と微笑みながら髪を梳いてくれる。

 さらさらと竹の葉の涼やかな音が聞こえた。

 カヤ、私はただあなたを自由にしてあげたかっただけなの、とミヤコ様は優しく笑い、そして白く白く、淡い粒となってその形を消していく。悲しそうな顔をして、その形を消していく。

 懺悔をしましょう、カヤちゃん。ミヤコ様の赤いくちびるが言葉を紡いだ。

 あなたを守れなくてごめんなさい、と消え入りそうな声を発した。

 少しずつ(ほど)けていくミヤコ様の体。その頬に伝うのは真珠の涙だろうか。

 動くことを忘れるほどに、その姿は幻想的で儚いものだった。

 竹は格子、名は鎖、と、悲しそうな声が響く。

 すべてはあの人の思いどおりなのかしら、と切ない声がこころに浸みていく。

 そして次の瞬間、ざあっと風が吹き、散々(ちぢ)に去っていく淡い粒。

 さらさらと竹の葉の涼やかな音。

 香耶、と私を呼ぶ優しい声。

 振り向けば、黄色い隻眼を持った美しい青年が目元を和らげ笑みを浮かべていた。




 終

嘘吐きは誰なのか、何が真実なのか。

とっても意味のわからない話。

お読みいただき本当にありがとうございました。

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